くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

米沢から会津に、いざ!会津の悲運を観に、、、。

2012年06月27日 | 参陣記
上杉まつり参陣後、飯豊連峰を抜けて喜多方経由で会津に入り、学舎日新館、武家屋敷と巡って会津の悲運を見て来ました。
その都度、はっきり言って佐幕派な私は落涙せずにはいられませんでした。。。
そして次に、歴代の会津公が眠る【松平家廟所】へ行きました。

武家屋敷から廟所までは歩いて5分ほど。
案内板に従って住宅街の路地を進んで行くと、廟所入口に辿り着きます。

しかしそこは、人の立入を拒んでいるかのように木々が鬱蒼と茂る山なんです。

会津へ来た新撰組副長の土方歳三が局長の近藤勇を葬ったとされる天寧寺へ行ける看板はありましたが、もはや獣道のよう。
俄かには信じられません(苦笑)

伊勢霧山城の二の舞は避けたかったので、(時間的制約もあって)行きたくても行けませんでした(汗)
廟所まで続く道はなんとかありますが、さながら登山道。

道標がなければ、きっと迷ってしまう人がいると思います。

一応階段らしきものがあるんですが、整備が不良で崩れているところもあって段差がまちまちで、返って不便です。
前日来の雨でぬかるんでいて、道が川と化しているところもありました。

荒れている・・・というか、忘れ去られて廃れてしまった感じ、雰囲気がします。

この日の昼頃には式典があったようですが、訪れたのは夕方。
帰り道で老夫婦一組とすれ違いましたが、それ以外は人っ子一人もいません。
山を切り開いて造られたここは、とてもひっそりとしていて、聞こえてくるのは、鳥の囀りや風の音くらい。
まるで忘れ去られたかのような印象を受けるほど、荒れている・・・いや、残念ながら廃れてしまったかのようです。
ここには、2代正経公以降、9代容保公までと(一部)妻子が眠っています。

2代正経公は仏式ですが、3代正容公以降は神式で埋葬。

それゆえなのか、亀を模った礎石の上に、とても大きい石柱のような墓誌が乗っかっています。


途中、拝殿なる建物がありました。

そういわれなければ、倉庫と見紛いそう(^^ゞ
昼間、ここで式典が挙行されていたようですが、薄暗く、人をあまり寄せ付けない雰囲気。

かつては各墓所に拝殿が建っていたのか、礎石らしき趾がありました。

しかし、朽ち果てたか、はたまた会津戦争で失われたか...
何れにしても、先に見た米沢の上杉家御廟所や仙台の瑞鳳殿などとは全く違う在り様に、会津と松平肥後守家の悲哀を感じ、落涙せずにはいられませんでした。。。

ここ、国の史跡にも認定されているのに...。

この時の時刻は17時過ぎ。
この日の夜は栃木の親戚宅に泊まることになっていたので、ここから真っ直ぐ向かおう・・・と思ってましたが、やはり、鶴ヶ城を見ずして会津は発てぬ!と思い、(城に)立ち寄りました 。

この日の公開は既に終了していたので、外観のみでしたが、白亜に、葺き替えられた赤瓦が映え美しかったです。
震災と原発事故の風評被害も遭って観光客の減に悩んでいるとのことですが、震災直後に仕上がった赤瓦の鶴ヶ城は一見以上の価値があります。
私は、デジタルのエネルギーがここで尽きて十分に撮れなかったのでまた来ます。
茶室「麟閣」でもおもてなしを受けたいですしね。

多分(実は)10年ぶりにやって来た会津若松を短時間で巡りましたがそれなりに存分楽しんで、この日泊まる関東平野の縁に在る栃木県内の親戚宅へ向かいました。
会津若松から親戚宅までは、磐越道東北道を使えば短時間で行けるんですが、今回は敢えて一般道で。
再び国道121号線を通って日光周りで向かいました。

かつて、会津公や下越の諸侯が参勤に利用した会津西街道に沿って通る国道は、会津鉄道野岩鉄道東武(鬼怒川)線とも並行して走ります。
山道なのでトンネルが多くて随時視認できませんが、夜の峠道は滅多に車が通らないので(ナビはありますが)有り難い道しるべでした。
途中、芦ノ牧湯野上、三依、湯西川鬼怒川などの温泉街を通過しますが、駅が在ることによって、特に芦ノ牧温泉は19時前に通過したので温泉街らしい賑わいを少し感じることができました。

時間が有れば、、、
大内宿や平家の落人に纏わる地、または、会津西街道は戊辰戦争の激戦地でもあります。
その軌跡を辿って見たかったんですが・・・それはまた次回の楽しみとしました。
あっ!あと上に挙げた温泉も!!

デジカメのえねるぎーも切れていたので(^^ゞ

途中の休憩は湯西川の道の駅だけ。
ここではトイレと深呼吸と、温くなった足湯に浸かっていきました。
ここには温泉が併設されているので、足だけといわず、頭の天辺まで浸かっていきたかったんですが・・・時間との兼ね合いで、回れ右して目的地へ。
会津若松から5時間ほど掛けて辿り着きました。

久しぶりの米沢参陣。
そして、会津地方を抜けて帰路に着きましたが、存分楽しかったです。
いろいろな人にもお世話になりました。
この場を借りて御礼を<m(_ _)m>

また今度、いずこかへ。

▼いざ、 会津の武家屋敷へ ▼◇▲ 米沢参陣へ、いざ ▲


そういえば。
来年の大河は会津出身で同志社を創立した新島襄の妻、八重が主人公(八重の桜)とか。
地元会津では静かにこれを応援している雰囲気がありましたが、、、はてさて、どうなることやら。
佐幕な私としては、序盤だけは見たいです(笑)

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