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春日山の宿所にて旅装を解いて後,リハまでの空いた時間に明日の合戦祭の無事を祈願すべく、灼熱の斜陽を真正面に受けながら,春日山林泉寺と春日神社に参詣。
深緑の山野が広がる秀麗な風景と、何処と無くノスタルジックな御社には癒されました...。
リハ会場であり、明日の合戦場でもある春日山城史跡広場に入ったのは17時半頃。
行軍に際しては、自衛隊の輸送(車)で送られたので結構遠く感じたのですが、
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林泉寺からは歩いて行ける距離だったことは、意外でちょい拍子抜けな感じでした。
夕闇の迫る中,辿り着いたそこには、翌日の本番に向けて着々と,舞台や櫓が組まれており、声優陣のリハや、この祭を総合プロデュースする鹿児島の丸竹産業の方々,此度部隊長を仰せつかっている衆の入念で熱い打合せが為されていました。
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一方,名も無き私の様な一兵卒はその模様を見物していました。
ちなみにその場には、歴戦の兵たる左馬之助殿や飯綱殿が既に居られ、そこへ次々と,此度参陣せし兵達が集ってきましたが・・・ネットを介して繋がった方の多いこと多いこと。
特にここ最近,SNSの最大手“mixi”の影響も大きく、例年以上の率...。
上越市民と勢力を二分するほどの大所帯に発展したことに、少々驚きと感慨を持ちつつ...
その皆様方にご挨拶。
そして、時刻は落陽の刻,18時。
召集の号令が一体に発せられ、リハの場へと意気込んで行きました。
謙信公祭は、より高い完成度を目指してか,毎回前日夕刻から2時間程度のリハーサルを行います。
各部隊,平均10人編成となっているのですが、基本的には個人申込なので、このリハ時が(基本的には)初顔合せ。
1個団として参陣する石和とは違い、(下手をすれば?!)御大将含めて全員見ず知らずゆえ、この初顔合わせはそれなりに大事な時。
これに私は毎回参加はしていますが、参加率は例年然程に良くなく、今年もまた、御大将含めて旗下の将兵が1人も居らず、はや戦う前から全滅という隊もあったりします。。。
参加申込時や決定通知の書類中にも、リハよりの参加が促されているのですが...。
ただ、幸い私が今回属する武田方山縣三郎兵衛昌景隊は、御大将含めて7名ほどが(リハより)参加されました。
ちなみに,今回我らが隊には...。
御大将(山縣三郎兵衛昌景)の真下昌景殿や山内兵馬殿,碓氷六三郎殿など、謙信公祭を含めて数々の歴史祭に参戦したことのある兵が属しておられ、5キロ弱にも及ぶ行軍と、入念なる“作戦”の下に行われるこの合戦祭に於いては大変心強く,頼もしき方々でもありました。
特に、御大将の真下昌景殿は(我らに先んじて行われた)練兵に於いて会得されたものを丹念に,合戦時に対決する上杉方新発田治長隊との段取り等とも合せて、ご用意されたレジュメを配って解説下さいました。
この,実に有難く心強き事この上ないご配慮のお蔭を以って、余裕のある練兵と、明日本戦への心積もりを整わせることが出来ました。
斜陽の時,宵の口から始まった練兵は、予定の2時間を30分程越えて20時半頃まで行っていました。
その後,碓氷殿とマコ殿の3人で,史跡広場から歩いて10分ほど行ったところ,明日の行軍路でもある山麓線沿いにあった【ファミリー居酒屋有頂天】へ。
ここで2時間ほど,今日の疲れと明日への英気を養って、宿所へと帰りました。
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雲影が一つも無い満天の星空の下,ひっそりと静まり返った春日山の街中を、心地よい夜風が気持ち良かったです。
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