武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

武井武雄インタビュー(5)

2013年06月14日 10時51分27秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
「武井武雄・メルヘンの世界」(昭和59年)諏訪文化社から抜粋
(昭和56年2月に収録、オール諏訪1、2号に連載されたもの)


- 武井先生は、童画作品集で、昭和50年に東独ライプツィッヒにおいて「世界で最も美しい本」としてグランプリを受賞。これより先、昭和43年、ソ連文化団体の招請により「児童文化訪ソ団」を結成して、ソヴィエト各地を歴訪しておりますが、武井先生のお感じになったソ連の児童文化を中心にお話を。



グランプリを受賞した武井武雄童画作品集

モスクワ・ジャーナリスト会館で講演
武井 童画・アレンジの分野では僕には先輩がいないんで、どうも僕が先輩格にされちゃっているんです。だから、いつも審査員とか、賞をくれる側に回っちゃうんで、賞をもらったことがない。東独では、そういう事を知らないもんだからグランプリに選定されたんだろうと思います。
 ソ連へは25名で訪ソ団を結成して行ったんです。ソ連邦には15か国あるんですが、我々を歓迎するため、その全部の国から代表が集まったんです。我々の訪ソを非常に重大視してくれたわけです。その時、団長だったもんだから、皆の前で講演をさせられちゃったんです。それで僕は、外国のどこの国にも行ったことがないのにソ連だけは、なぜ来る気になったのかということについて話したんです。
 それは郷土玩具なんですね。僕は終戦直後、松本の放送局に呼ばれてその話をしたんですが。皆、日本は滅びちゃったように思っているけど絶対に滅びない証拠を見せるって話した。日本は一応戦争に敗けたけれども、民族として滅びる恐れは全然ない。なぜかというとね、僕は長年、郷土玩具を集めていてわかったことだけれども、勃興する民族は玩具が非常に多い。ところが、弱少民族や疲弊していくような覇気の弱い国は玩具がない。郷土的な玩具がないんですね。
 これは、そういうことを研究しているドイツ人のルンプさんという人も同じ意見ですがね。この人は日本にひところ来ており、歌舞伎の研究なんかやってたんですが、世界中を回って郷土玩具も非常に見て歩いているんですよ。
 このルンプ氏の言うのに、世界の二大郷土玩具国というのは、日本とロシアだと言うんですよ。ロシアってのは、つまり農民美術時代のもの、帝政時代のことを言っているんですね。そういう折り紙を付けている位なんで、日本とかロシアとかいう国はそう疲弊する傾向の国でないことはこれだけの例でも明らか。だから敗けた敗けたといっても、民族が滅びるわけじゃないんだということをしきりに言って放送したことがあるんですがね。
 そんなわけで、日本とロシアはともにたいへんな郷土玩具国という点で共通性があるということが一つ。
 もう一つは、ロシアでは昔は児童文化なんてなかったんですね。そりゃあトルストイみたいな人は童話を書いているけれど、これは特殊なものであって、児童文化運動というものがなかった。それで、本はどこから来るのかというと西ヨーロッパの方からクリスマスのシーズンだけ輸入してくるっていう。それで間に合わせて自家生産をしてないってんです。これは、メクシンというソ連の人からじかに聞いた話なんです。彼はむかし日本に来て、僕の家にも来たことがある人なんです。
 このメクシンは、教育人民委員会という、日本でいえば文部省の児童課長をしている人なんです。彼は、巌谷小波みたいな人と同じにソ連各地の子どもにお話をして回っていた、いわゆる話術家なんですね。学識経験者よりもこういう実践家を重く用いるという意味で児童課長にしたわけなんですね。
 そのメクシンの話によると、西ヨーロッパに依存していた児童文化は、革命後は来なくなってしまった。それで一般に呼びかけて文学的な作品を募集したんです。そうしたらもう学校の教員から文士の卵、あるいは労働者などあらゆる階層の人々が、原稿を持ち寄って随分集まったというんです。それをですね、今度はどこの国でもやっているんですが、学識経験者ってものにいちいち目を通してもらって、こりゃつまらねえ、こりゃややいいとかセレクトしてもらって、その上で残ったものを、日本じゃすぐ出版にかけるんですが、ところがソ連では、というよりメクシンですが…。それから先なんです、メクシンの偉いところは。彼はその残った原稿を持って子どもに話をして回ったんです。そして、反響のあるのと、そうでないのとを分け、反響の多かったのを出版にかけたんですね。ソ連は国営で、出版屋があるわけじゃなく国でやっているんですが。
 ですからソ連の児童文化史ってものは要するに革命から後のことですね。僕らが行った時はその50周年記念ぐらいの年です。それに日本でもちょうど児童文化の起こってきた歴史が約50年、近代的な見方でですね。ソ連と一致してるんです。
 これらの二点で、日本とソ連は非常に共通性があるんで、一度ソ連へ行ってみたいと思っていた-ということを僕は講演の代わりに話したわけです。



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