武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

古民家を活用した保育園を視察してきました 1

2015年03月19日 21時22分01秒 | あいする会
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


 平成27年3月11日から12日まで、「武井武雄をあいする会」の会員有志6名は、栃木県の古民家を利用した保育園を視察しました。
 保育界で高く評価されている「小俣幼児生活団」と「陽だまり保育園」の2園です。

 初めに訪れたのは栃木県足利市小俣町の社会福祉法人「小俣幼児生活団」です。


 幼児生活団とは聞きなれない言葉ですが、元をたどれば女性初のジャーナリスト羽仁もと子氏の学校法人「自由学園」の幼児生活団に行き着きます。小俣幼児生活団長である大川眞氏の御祖母様が「真の人間の基礎を作ることを目指す」羽仁もと子氏の薫陶を受け、その考え方に沿った保育園を児童生活団として創設したのだそうです。

 ここは以前室町時代から続く大川家の住宅でした。
 広い庭園を囲むように歴史的な建物が立ち並び、池から続く流れや巨木の欅や紅葉など自然の景色の中にあり、すべてを見通せないほどの広い敷地です。
 西倉、旧納谷、巽蔵、続蔵、大門など全てが国登録文化財でそれらが点在しています。




 駐車場の看板を見つけさらに奥に進むと、歴史を感じる瓦葺の門と塀に囲まれたお屋敷の全部が「小俣幼児生活団」でした。
 保育室棟は、木立の中に他の建物と同じデザインで建てられており、まるで昔からそこにある別棟の住宅かと思われるほど調和していました。



 園内を子どもたちが元気に走り回り、のびのびとした歓声が聞こえます。
 板塀の内部に入ると手作り風の遊具が点在し園庭は土のままの整備でされています。


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 旧納屋を改装したミーティングルームで「小俣幼児生活団」大川団長(正面)から説明を受けました。



 続き蔵は、半分を給食室に、半分を図書室として利用しています。また、本蔵は資料室になっていました。




 路地を通って保育室に向かいます。回遊式日本庭園があります。




 木立のなかで住宅のように三棟が並んでいるのが保育室です。小さく作った建物は子どもに寄り添う気配りを感じます。あえて和室風に、たたみを敷き、縁側風の床板、障子戸をたて、外には濡縁を設けています。




 少し寒い日だったので、園児達は室内で絵本を読んでいました。



 少し離れたところに乳児棟があります。



 集会施設は地域に開かれており、年配者もよく訪れます。



 主屋は敷台玄関を持つ格式の古民家です。太い柱と差鴨居で組み上げられた強固な造りで、東日本大震災でも何事もなかったそうです。柱と差鴨居にはすべてケヤキ材が使われています。




 主屋の奥まった座敷には、江戸時代のものと思われるひな人形が飾られていました。日本の伝統行事は大切に守っているとのことでした。


 
 以前は保育室として使用していましたが、これからは仕切りを取り払い、ホールなどに改装したいと当主の大川氏は次の計画を話してくださいました。



 大川団長との記念写真です。



 子どもたちが歓声を上げ走り回り、目を輝かせ話しかけてくる素晴らしい保育園でした。

 「保育園には近接するほかの市町村からも園児が大勢来ています。その人気が評価と思っています。」

 「親子二代はもちろん、三代もこの園に通っている人もいます。」

 「和室の保育室は良い。畳と障子の保育室は壊れやすくて、汚れやすい。壊したり、汚したりしたときには、すぐに手当して、大切にしていることを見せることによって、子供も汚さないようになる。はかない繊細なものを大切にする和室は教育に良い。」

 「幼いときに日本家屋で過ごす体験は日本の文化を体で知ることと同じです。日本人として日本家屋で育ち日本の文化を肌で感じてもらいたい。」

 以上は保育園で聞いた言葉です。

 古民家を活用した保育園が子ども達の成長に大きく役立っていることを実感しました。
 日本の伝統文化を愛し、さらに後の世代へと伝えていく「日本人」を育てていくことは、私たちの責務ではないでしょうか。
 武井武雄の生家も、将来の日本を背負う「日本人」の育成に活用されることを願ってやみません。

 「陽だまり保育園」の視察報告に続きます。




 

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