今日の言葉・・・
『 物を持たない事の幸福 』
物を多く持つ事が幸せだと錯覚している人が少なくない。
物は、持てば面倒も増える。持つがために命を縮めさえする。
身の回りの余分な物を捨ててみよう。どんなにすっきりする事か。
そこに、物に隠された別の幸せがある。
この言葉・・・・
“物を捨てられない星人”の私とすると・・・・本当に耳が痛いです。(笑)
物は使ってこそ・・・遣われてこそ・・その価値を発揮する・・・
眠って埃をかぶっている状態では・・・本来の機能とは程遠い状態である・・・
愛着のある物(日常的に遣っている物)・・・・これはいい仕事もしてくれますよね◎
会社で机三台分占有している私・・・
年明けの正月休み期間が長かったので・・・落ち着いて机の整理をする事が・・
かなり余分な物を捨てました。で・・・使えるものも沢山発見?沢山では同じ??(笑)
これだけ時代の流れが速いと“今”あるもの(仕様の物)がやはり一番、・・・
そうふんぎると片付けって意外と進むものなんですね・・・実感しました。
ただ、残念ながら何年も掛けて貯めた物、一日やそこらでは・・・机3台はまだ占有中
4月には新入社員が入社します・・・それまでの宿題ですね(机を空ける)頑張ります。
さて・・・・
この言葉をPTA活動に置き換えてみました。
PTA活動のいい所・・・継続力がある・・・持続力がある。息の長い活動が得意!?
ちょっと大変な所・・・事業にややもすると追われてしまう・・事業を遂行する事が目的?
PTAってやる事が確実に増えていく(あるいは横ばい)組織・・それは継続性が強いから
事業=物で考えた時は・・その物はだんだん積もって増えていく・・・時代の要求もある。
その本来の目的や事業の過程や中身と言う部分の議論や試行錯誤が大切なのに・・
事業を遂行する事、開催する事、それ自体が目的となってしまい追われてしまっている。
そんな事を・・・そんな状態に・・・陥ってしまっていると感じることはありませんか?
物=事業を持ちすぎている事もその一因かもしれません・・・・また事業でなくても行為?
物に隠された別の幸せ=事業本来の目的だったり・・・その事業の成果(喜び・達成感)
あまりにも事業に追われ・・・開催が目的で・・・こなしになってしまった場合は・・
終わった事の安堵や・・・『やれやれ・・』みたいな感想・・・(これは正直哀しい・・・)
『ヤッター!』とか『終わったぁー』とか・・・・『涙・・・』、『・・・・』(充実感)
そんな気持ちになれる取り組みが出来たら良いなって思います・・・
『よし打ちあげだぁ!』、『反省会やるぞ!』って言葉が出る、そういう気持ちになれる。
単にお酒が好きなだけの集団ではなく・・・メリハリの効いた活動が出来る集団・・・
PTAってそういう集団ではないよねって声が聞こえてきそうですね・・・・
確かに・・私が上記に書いたのは・・・PTAの中でも過日書いた小さな単位の本部役員
でもその本部役員の力が学年役員へ・・そして本当のPTAへ(保護者へ教職員へ)広がる。
息の長い活動や継続力・持続力がPTAの特性なら・・・小学校では6年、中学校では3年
その期間が過ぎれば基本的にみんなで共有できる事(理屈では・・)・・はずです。
いい意味での精査した活動・行動がその期間あれば根づくはずなんです・・・・
最近・・・・家庭力の低下?親力の力不足?見たいな事が・・・盛んに・・
その解決方法の一つがPTA活動の充実じゃあないのかなって思います・・・
PTAが特別な事をするのではなく・・・・役割や責任として関わると言う行為を親が学ぶ・・・
社会の中で生きていくルールを(時には義務・・時には権利)親がまず率先して守る・・
その行為が大切なんだと思います。
個人の都合や事情、これは本当に耐え難い事だったりどうにもならない事も多々・・・
子どもが学校に行く。それは将来社会に出た時にきちんと生きていける術を学んでいる。
(それが知識や知恵であり・・・道徳であり・・・まさに“生きる力”である)
それと同様に・・・親も保護者も・・・今の社会の事を学ぶ(子どもに後姿を見せる)
その活動の一つがPTA活動であると思っています。
役割や役職・・・関わり方は千差万別・・・でも子どもが学校に行くのと同様に・・・
そう同様に・・大人はPTA活動だったり・・育成会活動に関わるべきだと思います。
子ども達は、義務教育と呼ばれている教育課程にいる状態・・・これは義務なんです・・
だから、その子ども達の保護者あるいは先生方がPTA活動をする行為は・・ある意味義務
大切なことは・・・個人の事情もあると言う事・・・一律誰もが同じルールでは無理が
そこで・・ポイントは出来ない理由を探して免除(放棄)の方向性ではなく・・・・
どうしたら出来るのだろう!?・・・どうやって関わっていけばいいの!?・・・
一番は・・何が出来るのだろう!?そういう関わり方の試行錯誤が出来ると良いですね。
ボランティアは、自発的意思、自己責任、無償性がその三原則・・・
現状PTAは、ボランティアではありません。役割と責任の分担制(ある種?輪番制)
PTAが純粋にボランティアと呼べる日が来ると良いですね・・・(私の見解です。)
『 物を持たない事の幸福 』
物を多く持つ事が幸せだと錯覚している人が少なくない。
物は、持てば面倒も増える。持つがために命を縮めさえする。
身の回りの余分な物を捨ててみよう。どんなにすっきりする事か。
そこに、物に隠された別の幸せがある。
この言葉・・・・
“物を捨てられない星人”の私とすると・・・・本当に耳が痛いです。(笑)
物は使ってこそ・・・遣われてこそ・・その価値を発揮する・・・
眠って埃をかぶっている状態では・・・本来の機能とは程遠い状態である・・・
愛着のある物(日常的に遣っている物)・・・・これはいい仕事もしてくれますよね◎
会社で机三台分占有している私・・・
年明けの正月休み期間が長かったので・・・落ち着いて机の整理をする事が・・
かなり余分な物を捨てました。で・・・使えるものも沢山発見?沢山では同じ??(笑)
これだけ時代の流れが速いと“今”あるもの(仕様の物)がやはり一番、・・・
そうふんぎると片付けって意外と進むものなんですね・・・実感しました。
ただ、残念ながら何年も掛けて貯めた物、一日やそこらでは・・・机3台はまだ占有中
4月には新入社員が入社します・・・それまでの宿題ですね(机を空ける)頑張ります。
さて・・・・
この言葉をPTA活動に置き換えてみました。
PTA活動のいい所・・・継続力がある・・・持続力がある。息の長い活動が得意!?
ちょっと大変な所・・・事業にややもすると追われてしまう・・事業を遂行する事が目的?
PTAってやる事が確実に増えていく(あるいは横ばい)組織・・それは継続性が強いから
事業=物で考えた時は・・その物はだんだん積もって増えていく・・・時代の要求もある。
その本来の目的や事業の過程や中身と言う部分の議論や試行錯誤が大切なのに・・
事業を遂行する事、開催する事、それ自体が目的となってしまい追われてしまっている。
そんな事を・・・そんな状態に・・・陥ってしまっていると感じることはありませんか?
物=事業を持ちすぎている事もその一因かもしれません・・・・また事業でなくても行為?
物に隠された別の幸せ=事業本来の目的だったり・・・その事業の成果(喜び・達成感)
あまりにも事業に追われ・・・開催が目的で・・・こなしになってしまった場合は・・
終わった事の安堵や・・・『やれやれ・・』みたいな感想・・・(これは正直哀しい・・・)
『ヤッター!』とか『終わったぁー』とか・・・・『涙・・・』、『・・・・』(充実感)
そんな気持ちになれる取り組みが出来たら良いなって思います・・・
『よし打ちあげだぁ!』、『反省会やるぞ!』って言葉が出る、そういう気持ちになれる。
単にお酒が好きなだけの集団ではなく・・・メリハリの効いた活動が出来る集団・・・
PTAってそういう集団ではないよねって声が聞こえてきそうですね・・・・
確かに・・私が上記に書いたのは・・・PTAの中でも過日書いた小さな単位の本部役員
でもその本部役員の力が学年役員へ・・そして本当のPTAへ(保護者へ教職員へ)広がる。
息の長い活動や継続力・持続力がPTAの特性なら・・・小学校では6年、中学校では3年
その期間が過ぎれば基本的にみんなで共有できる事(理屈では・・)・・はずです。
いい意味での精査した活動・行動がその期間あれば根づくはずなんです・・・・
最近・・・・家庭力の低下?親力の力不足?見たいな事が・・・盛んに・・
その解決方法の一つがPTA活動の充実じゃあないのかなって思います・・・
PTAが特別な事をするのではなく・・・・役割や責任として関わると言う行為を親が学ぶ・・・
社会の中で生きていくルールを(時には義務・・時には権利)親がまず率先して守る・・
その行為が大切なんだと思います。
個人の都合や事情、これは本当に耐え難い事だったりどうにもならない事も多々・・・
子どもが学校に行く。それは将来社会に出た時にきちんと生きていける術を学んでいる。
(それが知識や知恵であり・・・道徳であり・・・まさに“生きる力”である)
それと同様に・・・親も保護者も・・・今の社会の事を学ぶ(子どもに後姿を見せる)
その活動の一つがPTA活動であると思っています。
役割や役職・・・関わり方は千差万別・・・でも子どもが学校に行くのと同様に・・・
そう同様に・・大人はPTA活動だったり・・育成会活動に関わるべきだと思います。
子ども達は、義務教育と呼ばれている教育課程にいる状態・・・これは義務なんです・・
だから、その子ども達の保護者あるいは先生方がPTA活動をする行為は・・ある意味義務
大切なことは・・・個人の事情もあると言う事・・・一律誰もが同じルールでは無理が
そこで・・ポイントは出来ない理由を探して免除(放棄)の方向性ではなく・・・・
どうしたら出来るのだろう!?・・・どうやって関わっていけばいいの!?・・・
一番は・・何が出来るのだろう!?そういう関わり方の試行錯誤が出来ると良いですね。
ボランティアは、自発的意思、自己責任、無償性がその三原則・・・
現状PTAは、ボランティアではありません。役割と責任の分担制(ある種?輪番制)
PTAが純粋にボランティアと呼べる日が来ると良いですね・・・(私の見解です。)