あまりにも突然だった。
たしかに先月倒れたことがあったが、それは義父の看病疲れが主原因と考えていた。
離れて住んでいる私たち夫婦には何の前触れもなかった。
周りにいた近所の人も、そんなふうには感じていなかった。
月曜の朝、いつものように千葉から大阪へ行った。
空港について、ゲートを出るといつものように携帯電話のスイッチを入れた。
妻からのメールに、留守番電話。
飛行機に乗る寸前に、電源を切るのであるが、切った直後からの着信履歴。
これは何かあった。
と、感じた。
しかしながら、それが、義母の死の知らせだとは思いもよらなかった。
本来ならこのまま広島の妻の里に向かわなければならないのであるが、不幸なことは重なるもの、息子がインフルエンザにかかり動かせる状況にない。
私は一旦、大阪の住まいに戻り、礼服をとってから、また空港へ戻り、千葉へ戻る。
妻は、「高熱の子供を放っておけない。」といったが、「一時間くらいのタイムラグなら何とかなる。とにかく、準備をしておけ。」
息子は少しタイムラグはあったものの、まず私が帰宅してホッとしたようだ。
熱があり、水も受けつけない状態。
午後の部の小児科に行き、点滴等を受ける。
話題のタミフルの処方を受ける。
息子の方は落ち着いた。
息子の面倒をみてもらうため、私の母を呼び寄せた。
母はその夜に千葉に来た。
妻は何とかギリギリ通夜に間に合う。
喪主は形式的には義父であるが、体が悪く実際には勤まらない。
準備等は、すべて義母の兄弟が段取りしてくれる。
私は、その夜、千葉の家で、過ごす。
翌朝、早朝に、広島へ。
朝一便のレンタカーを使用して、何とか葬儀に間に合う。
田舎なので、自宅で、しかももう人だらけ。
手伝いの親戚・近所の人、参列者で、家の中はごった返す中で、着替えを。
なんとなく覚えがある程度の親戚から、
「大変だったね。息子さんも」
と声をかけられ、自然にグッとくる。
すぐに葬儀が始まる。
遺影をみた。
とてもいい写真だ。
そう思った瞬間、涙が出て止まらなくなった。
親族を代表して、一人娘の妻が挨拶をする。
あまりにも突然なことだったが、気丈に妻は参列者に向かって挨拶をした。
人前で話すのが苦手な妻。しかし、立派だった。きっちりした、そして素朴ないい挨拶だった。
出棺前の亡骸を初めて見る。
本当に美しい顔であった。
眠るようにしている。
皆が言う、「ただ眠っているだけなんじゃないの?」
本当にそう見えた。
どうして・・・。
なぜ、なくなったのか、その時も、私は死因を知らない。
火葬の場に向かう車の中で、ようやく、妻と話しをする。
日曜の夜、痙攣を起こし、横に寝ていた義父が、背中を擦ってあげていた。
落ち着いたか何かで、そのまま、眠った。
しかし、翌朝、そのまま、目覚めることがなかったとのこと。
人はこんなにも簡単に亡くなってしまうのか?
義父の看病をほとんど義母に任せていたために、こんなことになってしまったのか。
もう少し、私が面倒をみていれば、こんなことにならなったかも。
たった一人の孫を2月の倒れた時連れて行って会わせておけばよかったのに、と今頃後悔しても後の祭り。
とにかく、あまりにもあっけない、義母の70年の人生の幕切れでした。
たしかに先月倒れたことがあったが、それは義父の看病疲れが主原因と考えていた。
離れて住んでいる私たち夫婦には何の前触れもなかった。
周りにいた近所の人も、そんなふうには感じていなかった。
月曜の朝、いつものように千葉から大阪へ行った。
空港について、ゲートを出るといつものように携帯電話のスイッチを入れた。
妻からのメールに、留守番電話。
飛行機に乗る寸前に、電源を切るのであるが、切った直後からの着信履歴。
これは何かあった。
と、感じた。
しかしながら、それが、義母の死の知らせだとは思いもよらなかった。
本来ならこのまま広島の妻の里に向かわなければならないのであるが、不幸なことは重なるもの、息子がインフルエンザにかかり動かせる状況にない。
私は一旦、大阪の住まいに戻り、礼服をとってから、また空港へ戻り、千葉へ戻る。
妻は、「高熱の子供を放っておけない。」といったが、「一時間くらいのタイムラグなら何とかなる。とにかく、準備をしておけ。」
息子は少しタイムラグはあったものの、まず私が帰宅してホッとしたようだ。
熱があり、水も受けつけない状態。
午後の部の小児科に行き、点滴等を受ける。
話題のタミフルの処方を受ける。
息子の方は落ち着いた。
息子の面倒をみてもらうため、私の母を呼び寄せた。
母はその夜に千葉に来た。
妻は何とかギリギリ通夜に間に合う。
喪主は形式的には義父であるが、体が悪く実際には勤まらない。
準備等は、すべて義母の兄弟が段取りしてくれる。
私は、その夜、千葉の家で、過ごす。
翌朝、早朝に、広島へ。
朝一便のレンタカーを使用して、何とか葬儀に間に合う。
田舎なので、自宅で、しかももう人だらけ。
手伝いの親戚・近所の人、参列者で、家の中はごった返す中で、着替えを。
なんとなく覚えがある程度の親戚から、
「大変だったね。息子さんも」
と声をかけられ、自然にグッとくる。
すぐに葬儀が始まる。
遺影をみた。
とてもいい写真だ。
そう思った瞬間、涙が出て止まらなくなった。
親族を代表して、一人娘の妻が挨拶をする。
あまりにも突然なことだったが、気丈に妻は参列者に向かって挨拶をした。
人前で話すのが苦手な妻。しかし、立派だった。きっちりした、そして素朴ないい挨拶だった。
出棺前の亡骸を初めて見る。
本当に美しい顔であった。
眠るようにしている。
皆が言う、「ただ眠っているだけなんじゃないの?」
本当にそう見えた。
どうして・・・。
なぜ、なくなったのか、その時も、私は死因を知らない。
火葬の場に向かう車の中で、ようやく、妻と話しをする。
日曜の夜、痙攣を起こし、横に寝ていた義父が、背中を擦ってあげていた。
落ち着いたか何かで、そのまま、眠った。
しかし、翌朝、そのまま、目覚めることがなかったとのこと。
人はこんなにも簡単に亡くなってしまうのか?
義父の看病をほとんど義母に任せていたために、こんなことになってしまったのか。
もう少し、私が面倒をみていれば、こんなことにならなったかも。
たった一人の孫を2月の倒れた時連れて行って会わせておけばよかったのに、と今頃後悔しても後の祭り。
とにかく、あまりにもあっけない、義母の70年の人生の幕切れでした。
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