昨日、長時間にわたってNHK衛星放送で放映されたドキュメンタリー。
あまりにも長時間のため、家族とのチャンネル争いに負け、最後の2時間だけみることができなかったが、戦争というものの残虐性をあらためて感じさせるものであった。
その中で私の見た、ポル・ポト政権とボスニア問題は、他国との戦争というよりも内戦だ。
ポル・ポトによる一般民衆の虐殺・セルビア人勢力による民族浄化と言われるイスラム教徒のボシュニャク人の虐殺。
当時のボスニア紛争で虐殺に加担した兵士が法廷でいう。
「こんなことをしたくはなかったが、もし殺らなければ、危害が自分だけでなく、自分の家族に及ぶ。」
結局、指導者が狂人でなければ、よいのであるが、指導者が誤った方向にいってしまうと民衆はあっという間に誤った方向に向かされてしまう。
恐怖政治だ。
企業もそうだ。
経営者がおかしなことを言い出しても、社員は生活があり、それに反対することができない。
いくら企業倫理だ、コンプライアンスだといっても独立した判定機関があるわけではない。
人類は永遠にこの不幸から、逃れることはできないのであろうか?
よき指導者が台頭しても、その指導者が豹変したり、暗殺されたり、後継者が育たなかったり、様々な理由で、悪しき指導者へ回帰する。
そしていつも思うのであるが、
宗教は人々を救うものであると思っているのであるが、いつも紛争の種となっている。
そんな宗教はいらないのではないか。
世界中の人々に眼を覚ましてもらいたいものである。