インターネットの普及で情報量は爆発的に増えていますが、かといって現代人が知的に豊かになったとは思えません。調べものは、かつては図書館に行っていましたが、今では簡単にネットで検索ができる時代です。しかし、溢れる情報に振り回されるばかりで、限られた情報から想像力を働かせ、連想を発展させる機会や時間は減っているように感じます。合理性や効率の追求は現代社会を生き抜くためには必須なのですが、そのことばかりに熱中していると、人間は、いつの間にか合理性や効率にのみ反応するロボットと同じようなものになりかねません。バーチャルな世界にばかり生きていると、リアリティ感覚を失うことになってしまいます。現代人は、考えるということから確実に遠ざかりつつあります。考えるとは、360度に発想し、360度に連想や空想を組み合わせていくことで、その過程に生まれるものが文化であり文明なのだと思います。ビジネスも単にそのひとつに過ぎません。考える力が弱まりますと、情緒や感情も不安定になり、行動も直線的になってしまいます。その結果として、自己抑制力がきかなくなり、人間社会そのものの土壌が痩せ細って空虚なものになってしまいます。日々刻々と流れていく情報に依存するのではなく、少ない情報を最大に連想することによって、自らの思考を再構築することこそ、人間のもつ真の能力ではないかと感じています。
インターネットの普及で情報量は爆発的に増えていますが、かといって現代人が知的に豊かになったとは思えません。調べものは、かつては図書館に行っていましたが、今では簡単にネットで検索ができる時代です。しかし、溢れる情報に振り回されるばかりで、限られた情報から想像力を働かせ、連想を発展させる機会や時間は減っているように感じます。合理性や効率の追求は現代社会を生き抜くためには必須なのですが、そのことばかりに熱中していると、人間は、いつの間にか合理性や効率にのみ反応するロボットと同じようなものになりかねません。バーチャルな世界にばかり生きていると、リアリティ感覚を失うことになってしまいます。現代人は、考えるということから確実に遠ざかりつつあります。考えるとは、360度に発想し、360度に連想や空想を組み合わせていくことで、その過程に生まれるものが文化であり文明なのだと思います。ビジネスも単にそのひとつに過ぎません。考える力が弱まりますと、情緒や感情も不安定になり、行動も直線的になってしまいます。その結果として、自己抑制力がきかなくなり、人間社会そのものの土壌が痩せ細って空虚なものになってしまいます。日々刻々と流れていく情報に依存するのではなく、少ない情報を最大に連想することによって、自らの思考を再構築することこそ、人間のもつ真の能力ではないかと感じています。