経済と心の部屋

多田アソシエイツ 多田総合会計事務所

かけがえのない自分♪

2012年12月31日 | 日記



周りの人と比べながら生きている人は、最初、「ああいう人もいるのだから、今の自分で良しとしなければ…」と思います。ところが自分より上の人を見ると、腹が立ったり、不安になったりします。人と比べずに「自分は、自分でいいんだ」と自信を持って生きる。そう生きるには、どうしたらいいのでしょうか?人間の行動は、その人の描いたイメージによって生まれます。「よし、やろう」という意志だけでは行動は生まれません。「こうしよう」と、具体的に描いたものが行動になるのです。たとえば、自分のことも、家族のことも、今はダメだと思うかもしれません。けれど、良い未来を描いてみてください。どんなに素晴らしい未来を描いても、税金はかかりませんからご安心ください・・・・。人間は誰でも必ず、消極的否定的なイメージか、前向き肯定的なイメージのどちらかを常に描いています。真ん中はありません。そして、人間は必ず、描いた方をつかみ取るのです。どうでもいいと考えている人は、どうでもいいものを選び取るでしょう。ですからいつも、前向きに語り、前向きなものに触れて生きるのです。自ずと「自分は、自分でいい」という真の自信を持って生きることができます。時間は継続していますので、意識の中では年末も年始も何も変わりません。・・・それでも、今日は少し早めに帰宅することにします。

道♪

2012年12月30日 | 日記



------財を賑わすは、租を免ずるに如かず。利を興すは、害を除くに如かず。------経済を豊かにするには税を免じるのが一番有効であり、民利の事業を興すには害になっているものを取り除くのが最も良い。 佐藤一斎の言葉です。・・・・佐藤一斎は19世紀初頭の思想家で、西郷隆盛にも多大な影響を与えています。小泉元首相が国会で『言志録』を引用してから、一挙に有名になりました。孫子の兵法の研究家でもありますが、その言葉には今でも考えさせれるものが多くあります。民間活力が低調な時でも、私は小さな政府で良いような気がしています。そして、税が資産家の事業意欲にブレーキをかけていることも否めません。孫子の兵法では、・・・将の要件として、智・信・仁・勇・厳が必要だとしています。そして道です。道をどう理解するかは様々ですが、私は“目標”だと思っています。

知恵の泉♪

2012年12月29日 | 日記


白梅が開花しました。

知恵は、よく〈水〉にたとえられます・・・“知恵の泉は、わいて流れる川である。”荒れ野に住む人たちにとって、水はまさに命と直結したものでした。そこにはその特徴が二つ示されています。自分から湧きあがるものと、絶えず動きを伴って流れるもの・・・・・。それが水(=知恵)の特徴です。わたしたちの日常を振り返ってみますと、このような生き生きとした水が、はたして自分の中に流れているのでしょうか。固定した形だけの言葉、心のこもっていない言葉、仕方なしに言う言葉……そのような言葉を口にしていることが多くあります。これらを避けるには、人の言葉を、心を込めて聞くことに尽きます。注意深く、そして正確に聞き取ろうと努めることです。どんな人の言葉でも、一所懸命聞くならば、何か一つは学べるはずで、話すよりも聞くことを、もっと大切にしたいものです。今日は2組来客があり、11時から1時、1時から4時の5時間でした。話し過ぎにならず、なるべくお聞きするように意識しました。昼食が4時になってしまいました。

無意識♪

2012年12月28日 | 日記



「認知心理学」とは、人聞の行動は、どのようにして起こるのか・・・人間の知的活動を分析する心理学です。例えば、駅のホームで誰かと話をしていている時、場内アナウンスや周りの人の話し声が多少大きくても、相手との会話に集中しているのであまり気にならないことがあります。このような場合に私たちは一種のフィルターを無意識に働かせて、関心のある情報以外はシャットアウトしているのです。こうした無意識のうちに行なわれる情報処理を「カクテルパーティ効果」と呼んでいます。ただし、本人が意識していない情報が、完全に遮断されているわけではありません。車の騒音が激しい道ばたでも、名前を呼ばれれば、大半の人は気づくはずです。つまり、私たちは意識していない情報でも、その内容が重要な情報かどうかを、無意識のうちに処理しているのです。

平常心♪

2012年12月27日 | 日記



「平常心」は普段のとおり、格別の構えた思いもなければ、気負いもなく、淡々とした心境であるという意味で用いられます。しかし、人生には喜怒哀楽があって、一喜一憂、悩んだり苦しんだり、泣いたりし笑ったりしながら、心が揺れ動くのが常です。嬉しいときは喜び、悲しいときに涙するのは人として当然のことですが、この揺れ動く自分の心そのものがそのときの真実の心であり、さまざまな状況、状態に応じて変化して現れるのが、人の心であり人間としての自然の姿だと思います。緊張すべきときに無理に平常心を作ろうとか、落ち着こうと焦るときに不自然な心が働き、かえって変調をきたします。ありのままの心、ありのままの姿を認め受け入れるとき、そこには自らが否定し、排除しようとした自分の心はなくなり、障りとする緊張感はなく平生の平常心があるのみとなります。どんな場面でも平常心を失わないようにしたいものです。