撮影不調な週末。
被写体がありきたりのものだから、気分1つでまったく撮れなくなる。
気分1つで見方が変わってしまう写真。
曖昧な被写体の作品というのは、作品として他人に伝わりにくい。
人は他人の気分などいちいち気にしちゃいないし、感性なんて人の数ほどちがうもの。
現在主流のコンセプチュアルな写真はわかりやすいのがいいところ。
知識や教養や背景を必要とするものも多いけど、説明を受けて納得できるのは見る側にはわかりやすくて好まれる。
長々と難しい説明はむしろ歓迎される。
知識や教養がある同種の人間だと思われるからだ。
知識や教養の共感よりも、気持ちや見方を共感したいとは思うけどそれは難しいかもしれない。
いずれにせよ共感って価値観が合わないとできない。
価値観は近くても共感できるものは少ないし。
あれこれ言ったところでコンセプチュアルな作品はたぶん作れないと思うし、伝わりにくいモノを一生撮り続けるんだろうな。