旅するはらっぱ~日々旅日記

from HP 「旅するはらっぱ」


各地の各智を旅する、

はらみづほの旅日記です。

はらっぱニュース◆7月26日号 ≪大間原発内 「あさこはうす」 へ!≫

2012年07月26日 | にっぽん旅
*修理情報部分、師匠に詳しく聞いて若干補足しました。
 一度お読みくださった方も、再読していただければ幸いです。(7月29日)


●毎度ながら、長らくごぶさた、すみません。
夏風邪を引いてしまい、新月から寝込んでおりました。
なんと、寝込みの始まりは旅先でした……

やっと熱が下がり、声も出るようになったので、
山積している伝えたい事々を少しずつ綴ってゆきますね。


●まず今日は、私の寝込みが始まった地(笑)、
「あさこはうす」 のお話から。


●あなたは、青森県にある日本一有名なマグロの産地である大間町に、
311後も着々と、大間原発建設が進んでいることを、ご存知ですか?


この原発は、長崎原爆の原料でもあったプルトニウム
これまでの原発燃料より多く配合されたMOX燃料
100%使って発電するという、世界初の試みが計画されている原発。

言い換えれば、
日本一のマグロや、豊かな食料の宝庫である地域に、
福島の二の舞い以上になりかねない “国民の命を賭けた実験場”
のような世界初危険度の原発を、
私たちの税金をドッカリ投入して、つくり進めているのです。


●でもここに、相手が国ぐるみの巨大企業であろうとも決して動じず、
原発建設に一人で立ち向かった女性がいました。

熊谷あさこさん。

彼女は大間原発の建設予定地内に持っていた土地を最後まで売らず、
畑として所有していたその地に、
自然エネルギーで生活する小さな木の家 「あさこはうす」 をつくり、
晩年、ここで一人で生活していたのです。



●この土地を所有していた157人中、彼女を除いて全員が、
ここに原発を建てようとしている電源開発株式会社
(日本最大の卸電気事業者。愛称はJ-POWERジェイパワー)
に言われるがままに自分の土地を売り渡してしまっても、

どんなに嫌がらせを受けたり、
原発建設に同意した町じゅうの人々に村八分にされても、

「おら、何十億積まれても絶対に売らん!」 と言って、
命の源である海や自然を汚すことになる原発に、
決して自分の土地を売り渡さなかった、あさこさん。





●10年前(平成14年)、何としても土地を売らせてこいと、
買取金7000万円を渡され
あさこさんの元に差し向けられた2人組が起こした 「狂言強盗事件」
(強盗に襲われた振りをして7000万を盗もうとした自作自演の狂言事件)
の発覚を機に、この地上げの画策は表沙汰に。

「そのとき警察が私のところにも聞き取り調査に来て、
 母が一人で闘ってきたってことを、初めて知ったのよ」


と話してくれた、あさこさんの長女の、小笠原厚子さん。


娘に辛い想いをさせまいとずっと黙っていたあさこさんを、
それからは決して一人にすることなく、
母子ふたりで助け合い、決死の覚悟でこの地を守り続けてきた
厚子さんのお話を聴きながら、

個人の持つ信念エネルギーの威力を感じ、
私は体が熱くなりました。


●おふたりの命がけの抵抗の結果、翌年の平成15年には、
史上初の、原発建設予定地の移動が決定。

あさこさんの土地が売り渡されるのを前提に書いた設計図が使えなくなり、
あさこさんの土地から200メートルずらして原発を建てるしかなくなり、
設計図をはじめ、基本計画が振り出しに戻ったことで、

平成22年の稼動予定で進んでいた計画が
平成24年の稼動予定にズレ込み、

その後も様々な不都合が生じて、
結果的に今もまだ、建設は終わらずにいます。



●この世界初フルMOX燃料のこの原発が稼動してしまったら、
これまでの原発以上の危険が予想される放射性廃棄物が、
日々、海にも大気にもバラまかれ、

ただでさえ全国の原発で処理に困窮している核のゴミが、
ここでもさらに生み出されることになり、

ほんの18キロしか離れていない函館はもちろんのこと、
ちゃいはなファミリーや私の大切な友人たちが暮らす洞爺湖周辺や、
羊蹄山の恵みあふれるニセコ周辺や、余市、小樽、札幌も、

たとえ事故が起きなくても、この原発がただ稼動するだけで、
確実に今以上に放射能汚染されてしまう。

道民は泊原発のみならず、
大間原発の汚染をも引き受けなくてはならなくなる。

その恐ろしい事態を
ギリギリのところで食い止めてくれているのが、
「あさこはうす」 なのです。



●今回私は、故障して使えなくなっている ここの太陽光発電システムを
ボランティアで修理しに行くことになった
イオさん 
(私の太陽光発電師匠) に同行し、
この地に念願の訪問を果たしたのでした。


ことの始まりは、私がイオさんに出会ったばかりの頃、
私に同行してイオさんのお宅の発電システムを見に行った友人が、
大間で開かれた反核音楽イベント大MAGROCKで、
「あさこはうす」 の発電システムの故障を知り、
イオさんに伝えたことでした。

彼女がこのことをイオさんに伝えなかったら、
あさこはうすの自家発電は未だに直らず、
私たちが あさこはうすと つながることもなかったかもしれません。

Tちゃん、知らせてくれて、本当にありがとう!


●結果的に、イオ師匠の粘り強い探求により、
なんと到着して2~3時間という早さで、
原因究明&メイン部分の修理が完了。

自家発電に詳しい地元の方に 「5万円くらいかかる」 と
言われていたそうですが、故障の原因が、
懸念されたバッテリーの劣化ではなく、
インバータの不具合と、劣化による配線の断絶だったため、

師匠がボランティア提供しようと持参した中古の機材のみで済み、
めでたくあさこはうすの出費はゼロのまま、
この家に1年ぶりに太陽の電気が戻ってきたのです。

(↑師匠に詳しく聞いたら、
 断線によりバッテリーは空っぽになっていたので、
 メイン電力をすぐ使えるようにするため、持参したバッテリー2個と交換。
 補佐電力分のバッテリーも持参品と交換する必要があったので、結局、
 
 ・精密機器にも使える正弦波の1000W出力用インバータ×1個
 ・ディープサイクルバッテリー ×2個
 ・ノーマルバッテリー ×1個

 を持参品と交換したとのこと。

 私が自宅の発電機材を揃えた時を参考に考えると、
 正弦波1000ワットインバータは、普通2万円ちょっとで、
 ディープサイクルバッテリーは、通常1つで約15000円。

 師匠は持参した機材を使いオールボランティアで修復しましたが、
 本当は、やはり機材だけでも5万円相当の経費がかかっていたのですね…


 弟子としては、今後、たくさん発電仕事が来て、
 師匠の経済状態がサポートされるよう、願わずにはいられません)






●今回の取材で撮った写真をもとに、
初めて youtube画像 を作ってみました。

観ていただくと、原発敷地内に建つ 「あさこはうす」 の様子が、
よくわかると思います。

今のところ、このサイトとフェイスブックで限定公開中なので、
ぜひご覧になってみてくださいね♪ 
はっきり言って、力作です(笑)。

計12分の作品で、
BGMは、ピースウォークで一緒に歩いた
新谷達郎くんのファーストアルバム「2012」から拝借しました。


●これは、私たちがいた2日間に 「あさこはうす」 に届けられた、
全国からの手紙。


原発敷地内の中にある 「あさこはうす」 への道を
断たれてしまわないよう、

毎日郵便配達の人にこの道を通ってもらうため、
厚子さんと全国の人々が心を結び、必死で、そして絶え間なく行っている、
「あさこはうすゆうびん」 作戦です。

あなたもぜひ手紙を送って、あさこはうすを応援してください。

毎日書き続けている人のハガキもあり、感動しました。

遠くからでも直接支援でき、その1枚が、とても大きな力を持ちます。

〒 039-4601
青森県下北郡大間町字小奥戸396 あさこはうす

★電話番号
(あさこはうす訪問のアポイントメントなど)
090-952-84168 (小笠原方)

★郵便振替口座
(通信・通販のお申込み、カンパもお願いします!)
02760-3-66063  あさこはうすの会


●厚子さんは、
ここをこどもたちの自然体験の場にしたい、
という夢を持っていると話してくださいました。

それは、あさこさんの夢でもあったと。


ここは、いろんな種類の 植物、昆虫、鳥、動物……に出逢えるところ。

今回私たちは、
東京からママチャリで原発を回りながらここに来た青年と
まるで待ち合わせたかのように出逢いましたが、
ここはそんな、思いも寄らない、いろんな命と出逢える場所です。

「ここをこどもたちの笑い声で満たし、
 イベントもいっぱいやって、たくさんの人に来てもらいたいの。

 そして、絶対に、原発の建設を食い止める」

厚子さんは力強くそう言いました。

私も全面的に協力したいと思います。


こんなふうに原発の敷地内に入れる場所なんて、
世界中探しても、他にはどこにもありません。



厚子さんは、太陽のような笑顔で歓迎してくださいます。
今年はここに薪ストーブも来るので、冬も泊まれるそうです。

車なら、大間の港から15分くらい。
函館フェリーは、1人2200円ポッキリ(笑)。
大間港とあさこはうすの間には、温泉も、大きなスーパーもあります。
(さすが原発誘致町!笑)

大間は北海道と本州の軟骨のような場所なので、
本州の人たちとの待ち合わせ場所にもなりそうです(笑)



●さて、最後に……
私が 「あさこはうす」 を知ったのは、2年前。

自分が知った全国各地の問題を、様々な資料をもとに
人々にも知らせていた友人、アケミちゃんから、
この絵本をすすめられたことがきっかけでした。

(物語上の名前が 「ハルコおばさん」 になっていますが、
 あさこさんのことを描いた絵本です)


実は、太陽光師匠であるイオさんを
私と引き合わせてくれたキューピッドも、彼女でした。


あさこはうす から札幌に戻った夕方、
ガンで入院中の彼女に、イオさんと共に あさこはうすへ行き、
故障していた太陽光発電システムを直してきたことを伝えようと、

風邪で朦朧としつつも、
彼女との唯一の通信手段であるケータイメールに、
メッセージを送りました。


彼女のおかげでイオさんと出逢うことができ、
彼女のおかげで 「あさこはうす」 の存在を知ることができた。

そう思ったら感謝の気持ちがあふれてきて、

入院前、全国の様々な問題を伝えようと、
ART心のある彼女特有の伝え方で活動していた姿を思い出し、

「絶対良くなって、一緒に あさこはうす を支えようね」

と、心の底から。


やせ細って苦しそうに呼吸する姿を見ても、
彼女は治ると、私は本気で思っていました。

そう思わされるくらい、お見舞いに行くたびに、
強い精神力を感じさせられたから。


だからその夜、共通の友人から彼女の訃報を聞いたとき、
息が止まりました。

そして、悔しくて、涙があふれました。

なんでもっといっぱい、会いに行かなかったんだろうって。
なんで大間に行く前に、メールしなかったんだろうって。


私はその夜、彼女が病院のベッドでしていたように、
何度も何度も咳き込みました。

咳をするたびに息ができなくて、苦しくて苦しくて、
でも、彼女と一緒にいるような気がして、
妙に心が、あったかかった。

今までに体験したことのないような、不思議な感覚の夜でした。
咳が止まらなくて のた打ち回りながら、
いっぱいいっぱい、彼女と過ごしたシーンを思い出しました。


私が幸せな恋をしていて今までの人生でいちばんキレイだった時、
沖縄で出会ったアケミちゃん。

最後にお見舞いに行った時、
私の女子力が落ちているとズバリ指摘し(笑)、

「みづほちゃんは人前に立つ活動をしているんだから、
 もっと人が憧れるような女性にならなくちゃ。

 別にさ、恋してなきゃキレイになれないわけじゃないと思う。
 キレイになるのは、男の人のためとは限らないじゃん」

と、姉のように言った、アケミちゃん。


「アタシに言われたかないだろうけど、
 アタシだってね、人が来ると思えば、
 髪はちゃんとなってるかな、とか気にして、
 これでも精一杯やってるんだよ」


と、はにかみながら、でも、真剣に話してくれた、アケミちゃん。


これからは旅好き同志、一心同体で、いろいろやろうね。
あさこはうすにも、沖縄にも、全国津々浦々、一緒に行こうね。

私の女子力部門、任せるから、よろしくね(笑)。


あさこはうす を教えてくれて、
イオさんと逢わせてくれて、
私の人生に現れてくれて、

ほんとうに、ありがとう。





連携ボタン

<{$entry}> <{$social_button}><{/$entry}>