Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

谷間に三つの鐘が鳴る

2001年02月20日 | フランス
昨日、フランスの国民的人気シャンソン歌手、シャルル・トルネさんが亡くなりました。もちろんお会いしたことはありませんが、彼の曲はよく聞きました。銀座日航ホテルからほど近かった、日本を代表するシャンソニエ、「銀巴里」も今はありませんが、ここで「詩人の魂」を聞いた遠い青春の日々が懐かしいです。

また、パリへ旅した時は「カヴォー・ヌブリエット」や「ラパン・アジル」に時間の許す限り足を運んだものでした。そこで聞いた彼の名曲、「ラ・メール」「私は歌う」はまさしく旅の疲れを癒してくれるものでした。エディット・ピアフ亡きあとのフランス・シャンソン界を支えてきたのに、残念です。

南仏ナルボンヌに出生の鐘を鳴らした彼は、87年の生涯を全うし、昨日シャンソン界の谷間に三つ目の鐘を鳴らしたのです。合掌。



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4 コメント

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2001年2月20日 (Kaneko)
2007-05-27 08:14:20
ぼくも働くということ、汗をかくということにかけては人後に落ちないつもりで長年サラリーマンをやってきました。それは・・ツラツラ考えてみるに『いい人に出会いたいからだった』ということに尽きるようです。

一所懸命やって、人に認められる・・それによって違う世界が訪れるという風になっていくのだとおもいます。『いい人に出会いたい!!』そう本人は望まなくとも、懸命にいきていると自然とそのような魅力アル人達にかこまれているようです。
2001年2月25日の返信 (K)
2007-05-07 00:16:25
シャルル・トレネが亡くなりましたか。エディット・ピアフは早く亡くなってしまいましたが、同時代の人ですね。

若かった頃、フランス映画を通して、シャンソンに親しみました。「巴里の屋根の下セーヌが流れる」「巴里祭」等、懐かしく思い出されます。トレネに強い影響を受けたイブ・モンタンも好きでした。

そのシャンソンも最近は聴こえてくる事がなくなってしまいました。歌詞の文学的水準を重視する傾向から、シャンソンは歌詞偏重になり、現代のサウンドやリズムで聞かせるロックに圧されてしまったように思います。
2001年2月22日の返信 (Kaneko)
2007-05-07 00:14:32
貴君の訪れた『カヴォ・デズブリエット』も『ラパン・アジール』も何十回訪れたでしょうか。ピアフの肉声こそ聞き逃しましたが、レコードやテレビでのイベントはよく耳にし目にしています。

そうでした『名曲喫茶』と『シャンソン』・・これもぼくの青春時代の大きな部分を占めるものだったのです。まもなく閉館といううわさを聞いて『銀巴里』に足を運んだのは12、3年前だったでしょうか。金子由香里が出ていました。 

パリのシャンソニエで聴くような語り掛ける静かな雰囲気・・・・彼女の持ち味はテレビや舞台では理解されないでしょう。場末の薄暗い狭い『シャンソニエ』が一番似合うのです。
2001年2月22日の返信 (Ikeuchi)
2007-05-07 00:09:24
シャルル・トルネさんの連絡を有難うございました。

文化は、心の肥やしです。世界のあらゆるところに「文化」は存在しております。その「文化」を認め合うところに、心のゆとりが出てきます。

世界各国を旅行されて、それぞれの「文化・芸術」に接しているtaroさんは、その機会を十分に身に付けております。今後も、文化や芸術に関しての、情報を教えて下さい。

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