『スキャナー 記憶のカケラをよむ男』を観て来た。
物体や空間から記憶の残滓を読み取る能力。
カッコいいけど制御しきれないとどうにも不憫だな。。。
思念はあるものとして、その場に残るのだろうか?
思念は1つのエネルギー体で、そこに波動として残り、そこに波長を合わせることでそれを再生することが出来る。
もしそれが可能だったとしたら、ありとあらゆるところに思念は宿る。僕たちは思念をばら撒きながら生きていることになる。
どうして「醜い」と表現される思念ばかりにエネルギーを裂くのだ?
思念を読み取る彼は、記憶の中で彼女と出会う。
「才能はね、自分のためにあるんじゃないの。人のためにあるのよ」
彼はずっと人のために能力を使い続けてきた。
清掃員をやっているときも、お笑い芸人をやっているときも、つまりは人のために力を使ってきたのだ。
人は自分の意にそわない出来事があったとき、不快に感じ、場合によっては人を醜いと感じることもある。でも、そう感じているのは自分であり、自分の魂であり、その思念だ。
出来事そのものがそこに残ることはない。事実は記録されず、真実が記録され再生される。
スキャナーである彼はそのことが分かっていなかった。記憶が嘘をつくということまで分かっていたけれど、自分の記憶・思念が真実にしか過ぎないことに気付いていなかった。
人は醜いだけではない。人は美しい。
だけどそれ故、人は哀しい。
物体や空間から記憶の残滓を読み取る能力。
カッコいいけど制御しきれないとどうにも不憫だな。。。
思念はあるものとして、その場に残るのだろうか?
思念は1つのエネルギー体で、そこに波動として残り、そこに波長を合わせることでそれを再生することが出来る。
もしそれが可能だったとしたら、ありとあらゆるところに思念は宿る。僕たちは思念をばら撒きながら生きていることになる。
どうして「醜い」と表現される思念ばかりにエネルギーを裂くのだ?
思念を読み取る彼は、記憶の中で彼女と出会う。
「才能はね、自分のためにあるんじゃないの。人のためにあるのよ」
彼はずっと人のために能力を使い続けてきた。
清掃員をやっているときも、お笑い芸人をやっているときも、つまりは人のために力を使ってきたのだ。
人は自分の意にそわない出来事があったとき、不快に感じ、場合によっては人を醜いと感じることもある。でも、そう感じているのは自分であり、自分の魂であり、その思念だ。
出来事そのものがそこに残ることはない。事実は記録されず、真実が記録され再生される。
スキャナーである彼はそのことが分かっていなかった。記憶が嘘をつくということまで分かっていたけれど、自分の記憶・思念が真実にしか過ぎないことに気付いていなかった。
人は醜いだけではない。人は美しい。
だけどそれ故、人は哀しい。
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