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MARUMUSHI

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『残穢』。

2016-02-01 00:01:05 | 映画日記
『残穢』を観てきた。

ホラーというよりもサスペンスに近いかも。
終始、
ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ
と何かに後をつけられているような感覚に襲われる。

穢れ、という感覚は、日本特有の感覚だと聞いたことがある。
呪い。呪詛。
これらも良く似ているけれど、明確に違うのは呪いは方向性が、例えばA→Bのように、あるのに対して、穢れはそれがない。
もっと言えば穢れそのものが一つの意志を持った行動を取る。
一度産まれた穢れは消えない。ただそうそう発生するものでもないだろうけれど。

家、というちょっと独特の婚姻観。
一族から恥曝しが出てはならんと人は見栄を張りたがる。まあ、気持ちは分かる。
でも、過度にそうやって汚れを隠し続けると、家の内にケガレをため込むことがある。
怨みや怒りなどよりも始末におえない、ケガレ。

『恐怖(高橋洋監督作品)』という映画の中では恐怖は明らかな存在を持った物として描かれる。
きっとケガレも存在を持った物なのだろう。しかも意志を持ち、触れる全てを汚していく。

ケガレの対処法はただ一つ。
常にケガレを追い続け、己のケガレを上書きし続ける。
逃げてはならない。目を背けてはならない。
神にも、仏にも、ケガレはどうにもならない。存在なのだから。
恐れおののきながら、見つめ続ける。そして、汚れ続ける。
自分が穢れになる日まで。

さて、物語はなかなか面白い終わりをむかえる。
僕は思う。
久保さん、とは一体誰なんだろう?
彼女が居なければケガレが活動的になることは無かったように思う。
彼女はこのケガレに関わった人物の内、もっとも長くケガレに触れていたはずだ。なのに、彼女はケガレに汚されることはほとんどなかった。

なぜ?

彼女は穢れなんじゃないだろうか。
穢れとして存在し、ケガレを励起させ、触れる全てを汚す。

いやいや、考えすぎだ。彼女は学生でもうすぐ社会人になるただの女性だ。



何にしても穢れなんて物には近づかない方が吉だ。
僕は今のところは関係ない。
良かった良かった。

それにしても、最近、下の階の赤ちゃんの夜泣きが激しい。
元気な子なんだな。
しかも、一人じゃないみたいだ。
いやいや、結構なことじゃないか。。。



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