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MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』。

2018-02-25 23:47:13 | 映画日記
#さよ朝みた
『さよならの朝に約束の花をかざろう』を観てきた。


出会いと別れは一対のもの。どちらだけと言うわけにはいかない。だがそれぞれの性質は異なる。
別れはある程度は選ぶことができるが、出会いは選べない。
だから、人は出会いを運命と呼ぶことがある。

この物語は出会いと別れの話。
永久に近い命を持つ者と、そうではない命を持つ者。
出会うべきではなかった2人。でも、出会うべきであった2人。居場所を失くした2人は出会い、母となり子となり、互いを支えあって生きていく。
だが、子は大人になる。父になり子をなす。
長い時間を持つ母とは違う。時間が少しずつ彼女たちを引き離していく。
そして、さよならがやってくる。

出会いと別れは織物に似ている。
糸と糸が交差しまた離れる。それを繰り返し布ができる。
永い時を持つ彼女たちはそうやって長い長い布を作る。
交差した場所はいつの間にか遠くに行ってしまう。
そう、まるで時間を織ることに似ている。

そして、子は穏やかな死の前にいて、何も変わらない母は子の手を取る。
いってらっしゃい
母はそうやって子を看取る。
「外の世界で誰かを愛せば、孤独になる」長老はそう言った。
だが、母の流す涙は辛く悲しいがとても暖かで、孤独になったことを嘆く涙ではない。愛したことを後悔する涙でもない。たんぽぽの綿毛が舞う。まるで、空で待っているよ、と母に伝えるように。

そうしてまた糸と糸が交差する。出会いも分かれも愛も死も布の中に織り込まれていく。

外の世界で誰かを愛せば、孤独になる。
それでも、永い時に愛は織り込まれるのだ。


『中二病でも恋がしたい! Take On Me』。

2018-02-11 00:44:53 | 映画日記
『中二病でも恋がしたい! Take On Me』を観てきた。

テレビクールは全く観てない。前の映画も観てない。
それでも、何の問題もなく鑑賞できた。
というか、僕は前作がわかっていなくてもその作品を観ることに抵抗を感じない。
さすがに、マクロスシリーズやガンダムシリーズまで行くと無理だけど。。。あれらの作品は世界観が重要で、そこについていけないから。。。

さて、『中二病でも恋がしたい! Take On Me』。
感想というと結構難しいけれど。。。
恋がどこまで力を持つか、というのが1つのテーマなんではないかと思う。
作中でも言われていたけれど、変化しないものはこの世界には無い。良いとか悪いとかではなく、人は変わる。歳を重ねるだけでも変わっていく。それを拒めば恋は終わる。それを認めれば愛にまで行く、のかもしれない。
恋も愛も、人と人の間に生まれる心の一種だ。魂の結びつきだ。
人は変わる。だから心の形が変わるのは当たり前。それでも一緒にいたいと魂が思えるかどうか、そこに恋の強さが現れるのだろう。

と、色々書いたけれど、ラブコメディなので難しいことは無しで見よう。



『ザ・リング リバース』。

2018-01-28 00:19:22 | 映画日記
『ザ・リング リバース』を観てきた。
#ザ・リング リバース

リングという作品は割とオーソドックスな怪談、今で言う都市伝説、だ。
観たら死ぬ動画。ありふれた内容だ。ただ、そこに抜け道があり、感染性を持っているという点が物凄く独創的なのだ。
だからこそ、沢山の『リング』がある。

この作品は、なんか足りないなぁ。。。と思わせる。
足りないというより、途中でサイコ・スリラーになってたり、いまいち、なぜ『彼女』が殺されたのかわかりにくい。。。
そして、彼女を見つけるためのヒントがビデオに反映されていくという設定が、致命的におかしなことにしてしまっている。ビデオはあくまで呪いのためにあるのであって、『彼女』を見つけるヒントになるわけじゃない。
と言っても、それは原作ファンとしての意見で、こういうものだ!と言い切ってしまえばその通り。

面白いな、と思った点は手のひらに刻まれたメッセージ。
らせんでは胃袋から出てきてるけど、手のひらに出てくるというのは面白い。




『カードキャプターさくら 封印されたカード』。

2018-01-03 23:01:37 | 映画日記
『カードキャプターさくら 封印されたカード』を観てきた。
#カードキャプターさくら

はーはっはは!!
眩しい世界だ!
目も当てられぬぐらいにな!!
いやー、オジさんもう封印されたいね、むしろ。

ちなみに、今週末は声優さんの舞台挨拶行ってくっから。
出来れば、大きなお友達がたくさんいることを祈るよ、今更!


『パーティーで女の子に話しかけるには』。

2017-12-29 23:06:01 | 映画日記
#パーティーで女の子に話しかけるには
『パーティーで女の子に話しかけるには(原題:HOW TO TALK TO GIRLS AT PARTIES)』を観てきた。

世界で最高に“Geek”な愛。
48時間で人と異星人は恋に落ちることができるだろうか?
そこにPunkなる暴走した音楽があったとして、それが触媒になれるだろうか?
人はどこまで異質なものに魂を、快楽を、与え、享受できるのだろう?

舞台となっているイギリスにも日本と同じように冷遇を受けている世代がいるらしい。それは1980~90年代。ジェネレーションYと呼ばれる世代。親が子供にツケを回し続けていた時代。物語の時間は1977年。ジェネレーションYにかかる少しだけ前の世代。

日本でも同時期の世代は“我慢の世代”と呼ばれ、それまでは自由な働き方と持て囃されたフリーターがあっという間に地に落ち、改正なのか改悪なのかわからない法律がバンバン作られ本来なら高給なプロジェクト要員として用いる言葉であったものを、お手軽インスタントな派遣社員という地位に作り変えた。ロストジェネレーションになるのかな?バブルの崩壊を招いた経済のツケをこの世代が請け負うことになった。
ちなみに“我慢の世代”は別名“キレる世代”とも言われる。神戸児童連続殺傷事件は僕と同世代の1980年代前半生まれだ。今の30代には気を付けたほうがいい。

Punkという音楽分野については何も知らないけれど、爆発した感情の奔流といったところか。
「セックスとママがいれば他に何がいる?」
正直、エンはこの程度のPunkだ。ボディシーアは違う。本当に何もかもがPunkの世界にいて、総てを賭けておおかたが失敗に終わった人だ。それは彼女の若いころは総てを賭けるに値する世界であったという背景もあるだろうけど。だから、若者が発する一瞬の光に飛びついてしまう。飛びつかざるを得ないのだ。

流れ星のようなPunkでGeekな48時間は、奇跡の訪れとともに終わりを告げる。
エンはザンをパーティーに誘った。
この星での生活というパーティーに。
でも、エンはまだ子供で、何もわかっていなくて、でも、間違いなく覚悟だけはあって、護りたい人がいて、その人を愛していて。
だから、ザンはそれをやさしく断った。
パーティーが始まる前の別れ。

それから20年後。
エンは、おそらく、ザンに出会っていなければ凡庸な人生を過ごしていたはずだ。どこかでライン工でもやっているかもしれない。
でも、エンはザンに出会った。
僕は僕で、彼女は彼女だ。
それを知ったエンはもう凡庸にはなれない。
だから最高にPunkになれた。

そして、パーティーはまた始まろうとしている。
星があり、人がいて、そして忘れられない誰かがいる限りパーティーはいつでも始まるのだ。
昔、ザンが告げた言葉を、今度はその子供たちが告げる。
「Punkを見たいわ」