期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

ここではないどこかへ

2012-07-01 20:31:56 | 日記
 人は誰しも夢を持たなければならない。夢と言うと大げさであるが、将来こうしたいとかこうなりたいとか、未来に向けての望みがないと生きている甲斐がない。決して崇高だったり大きなものでなくてもいい。実現の見込みがあるなしにもよらない。さらには範囲はこの世に限ったことでさえないかも知れない。中世の人々にとっては、極楽往生というのが将来のかなり大きな希望だったりした。
 さて私は二ヵ月半前に心身を病んで仕事を辞めて、以来ずっとこの、将来への望みらしきものは全くない状態だったなと改めて思う。これは今までの自分の心情からしても、かなり異常なことである。朝目が覚めても、ああ朝だなと思うだけである。穴の中に閉じ込められたようで、今日は何をしようという心の弾みも何もない。
 ところがである。二三日前であったか、ふとひそかな希望を思いついて、妙に愉しい感覚が蘇っている。それは一言で言ってしまえば、北海道移住。講師登録して、仕事が来たらどこでも移り住む。容易なことでは実現不能とはわかっているのだけれども、自分を取り巻く現実に対して、こうありたいというヴィジョンを描けるようになったのが大きいのである。
 とにかく、辞めた学校と同じ町に住んでいるというのが精神的につらい。外を歩いても、どこで関係者に行き会うかと、常にどこかでびくびくしている。二週間しか勤めなかったから、個々人の情報はほとんど詳らかにしなかったが、同じ国語科の教員の一人は徒歩で通っていたのを何度か見たから、間違いなく近くに住んでいる。だいたい辞表を送りつけて出奔したその日に、部屋からバス停に行く途中、路地の向こうから彼が歩いて来るのを見て慌てて引き返したくらいである。
 さらには怖ろしいことに、噂によると校長は、私がよく行く図書館の向かいに住んでいるという話である。今日なんか日曜日だからその辺を歩いていても不思議はないと内心身構えて、夕方帰りに学校の前を通ったら、今日はオープンキャンパスだったらしい。ならば当然学校にいただろう。
 他にも先週の土曜は、――って書き出して、この話どこかでしたっけなと思ってちょっと調べたが、どこにも書かなかったらしいのだが、本当かしらん――午前中バスに乗って街に買い物に出かけて、昼前に帰ろうと思ってバスプールに行ったら、列のいちばん前にこの春一緒に勤めはじめた兄ちゃんが見えたので、あわてて引き返して近くの本屋に入って時間をつぶした。しばらくして戻ってみたら列は消えていたからホッとして並んでいたら、今度は別の若い女の先生が半笑いで歩いて来たので絶望した。結局、ちょっと方面の違うバスに逃げ込んで、離れたバス停で降りて歩いて帰った。それから一日泣き暮らして、首を痛めたのは翌日の日曜である。
 土曜日も授業をしている学校なのだが、教員は自分の授業に合わせて三々五々出勤して来るらしい。それで私は学校と同じ町内に住んでいるからこうなる。
 だからなんとかして早く仕事を見つけて、この町を脱出したいと思う。脱出するなら県内の学校でよさそうなものだが、何度も言うように非常勤は年度途中には来ないらしい。さらに加えて、これは私の妄想に近いが、辞めた学校が火元になって、この県の教育業界には私という人間の悪評が出回っていそうな気がする。あながち根拠のない妄想とも言えないというのは、三月まで非常勤をしていた学校で、校長や教頭に、某校に採用されまして云々という話をしたら、校長会であそこの校長先生にも会ったことがあるけど厳しそうな人だよねえなどと言われたりしたものであった。世間は狭いのである。何かの話のついでに、彼は二週間でうちを辞めた奴ですなんて言われていてもおかしくない。
 そんなわけで、この際誰も自分を知らない所へ行ってしまいたいと思う。そういう考えが安易であるという事はさておいて、なぜ北海道か。別に他県でもよいのだが、何年か前に北海道には教採を受けに通っていた。保管してあった受験票は津波で失ってわからなくなってしまったけれど、一次と二次で年に二回ずつ、数年にわたって毎年出かけて、同じホテルに泊ったりしていた。さらに情報の免許を取るために、とある大学の夏休みのスクーリングで二週間くらい滞在したこともある。
 実際は夏の札幌しか知らないわけだけれども、そんなわけで何となく北海道は懐かしい土地である。実際移り住んで暮らした日には、私なんか明治の開拓民みたいな苦難に遭うに決まっているが、そういう現実は今はどうでもいい。茫漠たる夢によって人は慰められることもある。