期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

雨が降っている

2012-07-07 17:26:37 | 日記
 昨夜は一晩じゅう雨音がしていて、それでも目が覚めた覚えはあまりないのだが、やはり眠りは浅かったのか、今朝は何だか眠い。
 眠い原因は他にもあるかも知れない。昨日はメディアテークに出かけて、塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ』を読んできた。予備校の打ち合わせに出かけた日に、その前にちょっと立ち寄った榴岡図書館で何気なく読み出したのだが、この本は探してみると市内の各分館どこにでもある。無駄じゃないかという気もするが、まあそれだけ需要があるのだろう。
 しばらく前に全十二巻が完結して、文庫にも落ちているが、なにぶん日々の仕事と勉強に追われていた頃は、実際に読む暇もなければ興味もなかった。それが今のように何にもすることがなくなると、読みたいと思う本に対する心理的ハードルはきわめて低い。ちょっと気になると気軽に読みはじめてしまう。
 そしてこの本はさすがに大変おもしろくて興味深い。古代ローマなんて言ったら現代日本からすれば縁遠いはずだが、人間の営みというものは古今東西を問わないものだなあと思う。
 もう一つには、ふだん私は古文とか和歌ばかり読んでいるものだから、現代日本文はこれほどサクサク読めるものかと嬉しくなってしまう。もちろん塩野先生の文章が物語史書としてきわめて上質だからであるが。
 それで昨日は昼前から夕方まで二百頁くらい続けざまに読みたおしてしまった。本当はもう少し行って読破しようかと思ったのだが、さすがに限界かと思って止めにしたけれど、やはり脳味噌に負荷を掛けすぎたかも知れない。
 今日は朝からまだ雨が音を立てて降っていて、外に出る気にもならない。午前中はうとうとして暮らしてしまった。昼から小降りになり、午後からは上がったので、部屋を出て近くの図書館に歩いて行き、探してみるとやはり『ローマ人』があった。読みかけのⅠ巻を片づけて帰って来た。

 話はぜんぜん変わるが、このあいだテレヴィで、男性にも更年期があっていろいろ身体に変調を来すことがある、という話をやっていた。加齢とかストレスによって、男性ホルモンの分泌が減ると、ほてりとか発汗といった身体症状、あるいは不安感とか鬱といった精神症状が出るのだそうである。
 この手の話題は、言ってみればNHKのあさイチ系で、こう平然と書いていいのかどうかわからないが、私はここしばらくの自分の状態が、まさにこれではないかと思ったのである。
 震災からこの方、とつぜん一人暮らしとなりながら仕事を続けてきたのは間違いなくストレスであり、引越しをして新しい学校に常勤に変わったのもそうである。辞める前から訳もなく涙が止まらなくなっていて、辞めてからもそれは続いている。これは明らかに抑うつ症状と言ってよいが、背後にはこの男性ホルモン低下が充分疑われる。
 私という人間は生来色欲の薄い方で、しかも常人とは逆向きのベクトルを持っていたのであるが、三十代も終盤になって気がついてみると、昔に比べてそういう心情の動きが全くなくなった。簡単にいうと、枯れちゃったということですね。
 ネットでいろいろ検索して見ると、この男性更年期の自覚症状として「自分の絶頂期は過ぎたと思う」云々というのがある。私がいちばん同感するのはこのあたりで、いや自分の人生に絶頂期なんかついぞなかったが、それでも、この地上で自分の為すべき仕事はもう何もないと思う。
 いろいろ辛い症状があればお医者に行きなさいということになるのだが、私の場合は自殺念慮もどうやら治まっていることだし、今さら医者に行っても仕方がないよなと思う。家庭があったり責任ある地位に就いている人は、そりゃ治さないといかんだろうが、私なんか子孫も残すこともなく、後は自分一人をどうにか始末するだけである。だいたい生物の自然として、生殖が終われば個体の寿命は尽きる。ホルモンの分泌が減って枯れていくのは、これほど自然なことはない。
 ところが人間はそうも言ってられないから、治療としては男性ホルモンの補給が行われるのだそうである。それで生命力を回復させてやると、生き方も積極的になり、自然とホルモンバランスも良くなってくるらしい。
 ところが日本では、この治療がまだ保険で認められていないそうで、必然的に高価になる。全く馬鹿な話で、ホルモン注射なんか命に関わらない贅沢だとでも思われているのかも知れないが、この国の自殺者の何割かは、鬱病の背後に男性更年期が隠れていると私は思う。自殺対策なんて具体的に何をしているのか知らないが、早くこの治療法を保険認可して、男性更年期の対策を行うべし。

仕事してきた

2012-07-05 11:31:04 | 日記
 仕事というほどのものではない。昨年度なんか、非常勤ではあったけれども二校掛け持ちしていたから、毎日登校して多い日は六コマも授業をしていた。それに比べれば七十分ばかりの個人指導一つなんて仕事のうちに入らないよなと思う。
 それでも予備校という所は夜が主戦場で、一昨日は打ち合わせで六時半から、昨夜の指導は八時前から九時までで、帰って来て寝るのが普段より一時間ほど遅くなった。まあそれでも十一時前後だから、世間一般から見ればぜんぜん遅くもないのだが、私にとっては遅い。それでほとんどいつも通り六時すぎに起きているので今日は眠い。
 ところで昨日はついに恐れていた事態が起こってしまった。仕事は七時五十分からなので、早めに晩ご飯を食べて、七時前くらいに部屋を出て、近くのバス停からバスに乗った。二つばかり先が、私の辞めた学校前である。生徒がたくさん乗ってきて、私はしかし別に慌てもせずに外をながめていた。私のいたスーパー進学コースは、夜八時くらいまで授業をやっていたはずだからである。辞めてすぐに書類をぜんぶ処分したから、時間割なんかももう忘れているが、こんなに早く帰ってくるわけはない。
 私は座って外をながめていて、その横に女子高生たちが立っている。しばらくは彼女らそれぞれに賑やかに話し合っていたが、段々なんとなくこちらに意識が向いているような気がする。それでも私を知っている者などあるまいと高を括っていたら、いきなり先生…と声を掛けられたので飛び上がりそうになった。
 顔も名前も忘れ果てていたが、授業を担当していた一年生たちであった。あの学校八時までじゃなかった、と訊いてみたら、六時何分までだったそうである。私が辞めたのは四月中旬だったから、まだ日は短くて、夕方早いうちに暗くなっていたのだろう。
 何しろ混んだバスの中だから詳しい話もできかねた。と言うより何を話していいものやらわからない。管理職に一方的にやっつけられて神経が切れて、後は校長とのやりとりだけで、生徒には何も話さずに学校から姿を消してしまったから、とにかく申し訳なかったと謝るより他はない。私が穴をあけた授業はどうなったかとか、学校からはどういう説明をされたかとか、今さらこちらから訊けたものではない。
 一人の生徒に、辞めてほしくなかったです、と言われたのだけはこたえた。生徒まで管理職みたいな事を言いやがる、とおもったが、生徒の言うのは本心である。子供は何歳でも決して天使ではないが、こういう時に大人のような打算はない。おいらだって辞めたくはなかったやい、と言いたいが、それにしても生徒たちはこんなに素直なのに、あの学校にはどうしてあんな悪霊に憑かれたような管理職がいたのであろうか。イエス様にお願いして汚れた霊を払ってもらってはどうか。
 あの管理職については辞めてからもいろいろ思いめぐらすこともあり、教訓らしきものも思い得たような気がしていたが、改めて書いてみようとするとやはり意味がないように思える。しょせん彼の下では仕事はできなかったと思うし、今さらあれこれ反省しても取り返しのつくことでもない。加えて色々考えているとまた恨みがこみ上げて来て、私の方が生霊みたいになっても困る。

ここではないどこかへ

2012-07-01 20:31:56 | 日記
 人は誰しも夢を持たなければならない。夢と言うと大げさであるが、将来こうしたいとかこうなりたいとか、未来に向けての望みがないと生きている甲斐がない。決して崇高だったり大きなものでなくてもいい。実現の見込みがあるなしにもよらない。さらには範囲はこの世に限ったことでさえないかも知れない。中世の人々にとっては、極楽往生というのが将来のかなり大きな希望だったりした。
 さて私は二ヵ月半前に心身を病んで仕事を辞めて、以来ずっとこの、将来への望みらしきものは全くない状態だったなと改めて思う。これは今までの自分の心情からしても、かなり異常なことである。朝目が覚めても、ああ朝だなと思うだけである。穴の中に閉じ込められたようで、今日は何をしようという心の弾みも何もない。
 ところがである。二三日前であったか、ふとひそかな希望を思いついて、妙に愉しい感覚が蘇っている。それは一言で言ってしまえば、北海道移住。講師登録して、仕事が来たらどこでも移り住む。容易なことでは実現不能とはわかっているのだけれども、自分を取り巻く現実に対して、こうありたいというヴィジョンを描けるようになったのが大きいのである。
 とにかく、辞めた学校と同じ町に住んでいるというのが精神的につらい。外を歩いても、どこで関係者に行き会うかと、常にどこかでびくびくしている。二週間しか勤めなかったから、個々人の情報はほとんど詳らかにしなかったが、同じ国語科の教員の一人は徒歩で通っていたのを何度か見たから、間違いなく近くに住んでいる。だいたい辞表を送りつけて出奔したその日に、部屋からバス停に行く途中、路地の向こうから彼が歩いて来るのを見て慌てて引き返したくらいである。
 さらには怖ろしいことに、噂によると校長は、私がよく行く図書館の向かいに住んでいるという話である。今日なんか日曜日だからその辺を歩いていても不思議はないと内心身構えて、夕方帰りに学校の前を通ったら、今日はオープンキャンパスだったらしい。ならば当然学校にいただろう。
 他にも先週の土曜は、――って書き出して、この話どこかでしたっけなと思ってちょっと調べたが、どこにも書かなかったらしいのだが、本当かしらん――午前中バスに乗って街に買い物に出かけて、昼前に帰ろうと思ってバスプールに行ったら、列のいちばん前にこの春一緒に勤めはじめた兄ちゃんが見えたので、あわてて引き返して近くの本屋に入って時間をつぶした。しばらくして戻ってみたら列は消えていたからホッとして並んでいたら、今度は別の若い女の先生が半笑いで歩いて来たので絶望した。結局、ちょっと方面の違うバスに逃げ込んで、離れたバス停で降りて歩いて帰った。それから一日泣き暮らして、首を痛めたのは翌日の日曜である。
 土曜日も授業をしている学校なのだが、教員は自分の授業に合わせて三々五々出勤して来るらしい。それで私は学校と同じ町内に住んでいるからこうなる。
 だからなんとかして早く仕事を見つけて、この町を脱出したいと思う。脱出するなら県内の学校でよさそうなものだが、何度も言うように非常勤は年度途中には来ないらしい。さらに加えて、これは私の妄想に近いが、辞めた学校が火元になって、この県の教育業界には私という人間の悪評が出回っていそうな気がする。あながち根拠のない妄想とも言えないというのは、三月まで非常勤をしていた学校で、校長や教頭に、某校に採用されまして云々という話をしたら、校長会であそこの校長先生にも会ったことがあるけど厳しそうな人だよねえなどと言われたりしたものであった。世間は狭いのである。何かの話のついでに、彼は二週間でうちを辞めた奴ですなんて言われていてもおかしくない。
 そんなわけで、この際誰も自分を知らない所へ行ってしまいたいと思う。そういう考えが安易であるという事はさておいて、なぜ北海道か。別に他県でもよいのだが、何年か前に北海道には教採を受けに通っていた。保管してあった受験票は津波で失ってわからなくなってしまったけれど、一次と二次で年に二回ずつ、数年にわたって毎年出かけて、同じホテルに泊ったりしていた。さらに情報の免許を取るために、とある大学の夏休みのスクーリングで二週間くらい滞在したこともある。
 実際は夏の札幌しか知らないわけだけれども、そんなわけで何となく北海道は懐かしい土地である。実際移り住んで暮らした日には、私なんか明治の開拓民みたいな苦難に遭うに決まっているが、そういう現実は今はどうでもいい。茫漠たる夢によって人は慰められることもある。