昨夜は一晩じゅう雨音がしていて、それでも目が覚めた覚えはあまりないのだが、やはり眠りは浅かったのか、今朝は何だか眠い。
眠い原因は他にもあるかも知れない。昨日はメディアテークに出かけて、塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ』を読んできた。予備校の打ち合わせに出かけた日に、その前にちょっと立ち寄った榴岡図書館で何気なく読み出したのだが、この本は探してみると市内の各分館どこにでもある。無駄じゃないかという気もするが、まあそれだけ需要があるのだろう。
しばらく前に全十二巻が完結して、文庫にも落ちているが、なにぶん日々の仕事と勉強に追われていた頃は、実際に読む暇もなければ興味もなかった。それが今のように何にもすることがなくなると、読みたいと思う本に対する心理的ハードルはきわめて低い。ちょっと気になると気軽に読みはじめてしまう。
そしてこの本はさすがに大変おもしろくて興味深い。古代ローマなんて言ったら現代日本からすれば縁遠いはずだが、人間の営みというものは古今東西を問わないものだなあと思う。
もう一つには、ふだん私は古文とか和歌ばかり読んでいるものだから、現代日本文はこれほどサクサク読めるものかと嬉しくなってしまう。もちろん塩野先生の文章が物語史書としてきわめて上質だからであるが。
それで昨日は昼前から夕方まで二百頁くらい続けざまに読みたおしてしまった。本当はもう少し行って読破しようかと思ったのだが、さすがに限界かと思って止めにしたけれど、やはり脳味噌に負荷を掛けすぎたかも知れない。
今日は朝からまだ雨が音を立てて降っていて、外に出る気にもならない。午前中はうとうとして暮らしてしまった。昼から小降りになり、午後からは上がったので、部屋を出て近くの図書館に歩いて行き、探してみるとやはり『ローマ人』があった。読みかけのⅠ巻を片づけて帰って来た。
話はぜんぜん変わるが、このあいだテレヴィで、男性にも更年期があっていろいろ身体に変調を来すことがある、という話をやっていた。加齢とかストレスによって、男性ホルモンの分泌が減ると、ほてりとか発汗といった身体症状、あるいは不安感とか鬱といった精神症状が出るのだそうである。
この手の話題は、言ってみればNHKのあさイチ系で、こう平然と書いていいのかどうかわからないが、私はここしばらくの自分の状態が、まさにこれではないかと思ったのである。
震災からこの方、とつぜん一人暮らしとなりながら仕事を続けてきたのは間違いなくストレスであり、引越しをして新しい学校に常勤に変わったのもそうである。辞める前から訳もなく涙が止まらなくなっていて、辞めてからもそれは続いている。これは明らかに抑うつ症状と言ってよいが、背後にはこの男性ホルモン低下が充分疑われる。
私という人間は生来色欲の薄い方で、しかも常人とは逆向きのベクトルを持っていたのであるが、三十代も終盤になって気がついてみると、昔に比べてそういう心情の動きが全くなくなった。簡単にいうと、枯れちゃったということですね。
ネットでいろいろ検索して見ると、この男性更年期の自覚症状として「自分の絶頂期は過ぎたと思う」云々というのがある。私がいちばん同感するのはこのあたりで、いや自分の人生に絶頂期なんかついぞなかったが、それでも、この地上で自分の為すべき仕事はもう何もないと思う。
いろいろ辛い症状があればお医者に行きなさいということになるのだが、私の場合は自殺念慮もどうやら治まっていることだし、今さら医者に行っても仕方がないよなと思う。家庭があったり責任ある地位に就いている人は、そりゃ治さないといかんだろうが、私なんか子孫も残すこともなく、後は自分一人をどうにか始末するだけである。だいたい生物の自然として、生殖が終われば個体の寿命は尽きる。ホルモンの分泌が減って枯れていくのは、これほど自然なことはない。
ところが人間はそうも言ってられないから、治療としては男性ホルモンの補給が行われるのだそうである。それで生命力を回復させてやると、生き方も積極的になり、自然とホルモンバランスも良くなってくるらしい。
ところが日本では、この治療がまだ保険で認められていないそうで、必然的に高価になる。全く馬鹿な話で、ホルモン注射なんか命に関わらない贅沢だとでも思われているのかも知れないが、この国の自殺者の何割かは、鬱病の背後に男性更年期が隠れていると私は思う。自殺対策なんて具体的に何をしているのか知らないが、早くこの治療法を保険認可して、男性更年期の対策を行うべし。
眠い原因は他にもあるかも知れない。昨日はメディアテークに出かけて、塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ』を読んできた。予備校の打ち合わせに出かけた日に、その前にちょっと立ち寄った榴岡図書館で何気なく読み出したのだが、この本は探してみると市内の各分館どこにでもある。無駄じゃないかという気もするが、まあそれだけ需要があるのだろう。
しばらく前に全十二巻が完結して、文庫にも落ちているが、なにぶん日々の仕事と勉強に追われていた頃は、実際に読む暇もなければ興味もなかった。それが今のように何にもすることがなくなると、読みたいと思う本に対する心理的ハードルはきわめて低い。ちょっと気になると気軽に読みはじめてしまう。
そしてこの本はさすがに大変おもしろくて興味深い。古代ローマなんて言ったら現代日本からすれば縁遠いはずだが、人間の営みというものは古今東西を問わないものだなあと思う。
もう一つには、ふだん私は古文とか和歌ばかり読んでいるものだから、現代日本文はこれほどサクサク読めるものかと嬉しくなってしまう。もちろん塩野先生の文章が物語史書としてきわめて上質だからであるが。
それで昨日は昼前から夕方まで二百頁くらい続けざまに読みたおしてしまった。本当はもう少し行って読破しようかと思ったのだが、さすがに限界かと思って止めにしたけれど、やはり脳味噌に負荷を掛けすぎたかも知れない。
今日は朝からまだ雨が音を立てて降っていて、外に出る気にもならない。午前中はうとうとして暮らしてしまった。昼から小降りになり、午後からは上がったので、部屋を出て近くの図書館に歩いて行き、探してみるとやはり『ローマ人』があった。読みかけのⅠ巻を片づけて帰って来た。
話はぜんぜん変わるが、このあいだテレヴィで、男性にも更年期があっていろいろ身体に変調を来すことがある、という話をやっていた。加齢とかストレスによって、男性ホルモンの分泌が減ると、ほてりとか発汗といった身体症状、あるいは不安感とか鬱といった精神症状が出るのだそうである。
この手の話題は、言ってみればNHKのあさイチ系で、こう平然と書いていいのかどうかわからないが、私はここしばらくの自分の状態が、まさにこれではないかと思ったのである。
震災からこの方、とつぜん一人暮らしとなりながら仕事を続けてきたのは間違いなくストレスであり、引越しをして新しい学校に常勤に変わったのもそうである。辞める前から訳もなく涙が止まらなくなっていて、辞めてからもそれは続いている。これは明らかに抑うつ症状と言ってよいが、背後にはこの男性ホルモン低下が充分疑われる。
私という人間は生来色欲の薄い方で、しかも常人とは逆向きのベクトルを持っていたのであるが、三十代も終盤になって気がついてみると、昔に比べてそういう心情の動きが全くなくなった。簡単にいうと、枯れちゃったということですね。
ネットでいろいろ検索して見ると、この男性更年期の自覚症状として「自分の絶頂期は過ぎたと思う」云々というのがある。私がいちばん同感するのはこのあたりで、いや自分の人生に絶頂期なんかついぞなかったが、それでも、この地上で自分の為すべき仕事はもう何もないと思う。
いろいろ辛い症状があればお医者に行きなさいということになるのだが、私の場合は自殺念慮もどうやら治まっていることだし、今さら医者に行っても仕方がないよなと思う。家庭があったり責任ある地位に就いている人は、そりゃ治さないといかんだろうが、私なんか子孫も残すこともなく、後は自分一人をどうにか始末するだけである。だいたい生物の自然として、生殖が終われば個体の寿命は尽きる。ホルモンの分泌が減って枯れていくのは、これほど自然なことはない。
ところが人間はそうも言ってられないから、治療としては男性ホルモンの補給が行われるのだそうである。それで生命力を回復させてやると、生き方も積極的になり、自然とホルモンバランスも良くなってくるらしい。
ところが日本では、この治療がまだ保険で認められていないそうで、必然的に高価になる。全く馬鹿な話で、ホルモン注射なんか命に関わらない贅沢だとでも思われているのかも知れないが、この国の自殺者の何割かは、鬱病の背後に男性更年期が隠れていると私は思う。自殺対策なんて具体的に何をしているのか知らないが、早くこの治療法を保険認可して、男性更年期の対策を行うべし。