期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

用足しの一日

2012-07-09 20:26:42 | 日記
 定職の夢がはかなく破れ、私の社会保障は再び国民健康保険と国民年金に逆戻りになった。なにしろ二週間で逃亡してしまったから、社会保険も切り替わらず(しかしこれもずいぶん手続きが遅かったと思うが)保険証も何も貰わずじまいだった。
 それで健康保険の方は表面上は何も変わらないままだったが、年金の方は今ごろになって先週の金曜日に通知が来て、見ると国民年金への加入を「勧奨」すると書いてある。ところが但し書があって、手続きをしないといろいろと不利益があるから、この書類が出されなければこちらで勝手に手続きをして、保険料を納めるように督促することもあるという。
 全く何度も言うように面妖な制度であって、任意なのか強制なのか全く不明である。こんなの信頼に値しないとは誰でも思う所で、生活が苦しくて保険料も払えないとなれば尚更である。
 まさに今の私は無収入でそんな金はない。とりあえず減免申請を出そうと思って、この三月まで住んでいた市に前年分の所得証明書を郵送で頼んであったが、それが届いたのがやはり先週の金曜日であった。
 私は専門家でも何でもないからここで事情をくわしく説明できるわけもないが、引っ越した場合この減免申請を出すには、前の居住地の所得証明がいる、ということは学習していた。要するに市町村が前年の所得を捕捉していないと判定ができないらしい。年金を所管しているのは年金機構だが、しかし個人の所得のデータを持っていないからこういう面倒なことになる。この点でも民主党の歳入庁構想というのはじつにもっともな話だったと思うが、これも財務官僚の抵抗にあって雲散霧消した。
 それで今日は区役所が開いてすぐに出かけて行って、手続きをしてやろうと思ったら、思わぬ故障が生じた。所得証明書がもう一枚要るんだそうである。これまた私には説明しかねるが、この減免申請のサイクルが七月から翌年六月とずれているために、私のように一年足らずで引っ越した人間の場合は、前々年の分の所得証明書も必要なことになるらしい。
 何だか知らんが、ふーん、としか言いようがない。無ければ手続きできないというなら仕方がない。無収入の身で旅費(と言っても往復千円たらずだが)を掛けないために、前に住んでいた市の所得証明書はわざわざ書類を郵送して取り寄せたのだが、今さらそんな暇をかけている場合ではない。ぼやぼやしていると年金機構がまた割符を送りつけてくるであろう。今日はこの手続きをするのが予定だったのだから、どうせ他にやることも無し、さっさと終わらせてしまいたい。
 それで予定を変更して、バスと電車を乗り継いで、震災まで住んでいた故郷の市役所まで出かけた。証明書を入手して、ついでに近くのモールまで歩いて、一服して軽くお昼を食べた。
 実は私は今日は、スーツにネクタイ姿で出かけて来ている。お天気がよいので歩いていると暑い。この節はクールビズで、ビジネスマンでもこんな格好をしている人はあまりいない。無職の癖にどうしたかと言えば、もう一つ用事があって、それは教採の受験票に貼る写真を撮ることである。
 写真は仙台駅の地下の自動写真機ですぐに撮ったけれど、あちこちうろうろして暑苦しかった。今日はもう一つ、一時を期して予備校に教材を受け取りに行くという用事もある。昨日仮設実家に帰っていたら、予備校から連絡が来て、また水曜日の晩に一時間、という注文が入ったのである。週に一時間ずつでは、ひと月で一万円にもならない。じっと手を見る、である。
 教材も何事もなく受領して、まだ早いから街をぶらぶらしようかと思っていたのだが、暑いし、普段になく歩き回ったせいか何だかお腹も不安定になって来たので、帰ることにする。幸いどうやら落ち着いたので、区役所に寄って年金の手続きを完了した。四分の一免除になるだろうという話であった。私の計算では半額はいくだろうと思っていたので落胆だが、どちらにしても収入のない間は無視する所存である。ヤミ米を拒否して餓死した判事ではあるまいし、年金なんか払って生活苦になっている場合ではない。