期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

曇り時々晴れ

2012-04-30 20:37:44 | 日記
 この頃妙に涙もろくなったというか、何かにつけてすぐに涙が出て来て困る。考えてみれば勤めている二週間の間、週末のたびに泣き暮らしていたという話は書いたが、あれ以来のようである。
 昨日は叔父の家に一族集まって、祖父の十三回忌と祖母の七回忌の法事が行われた。母の実家であるところの叔父の家も、津波で無くなったのであるが、町でも古い方の家柄であった。大した事はないけれど、石造りの蔵があった。三代ほど前の女主人は、町内の寺の山門を寄付した数名の中に名前が残っていた。三十円というところに時代を感じる。
 そのお寺の、八十も近かったのではないかという老和尚も、奥さんと一緒に津波に巻き込まれて亡くなった。お寺は本堂の骨組みだけになり、墓地もすべて砂原になって墓石が散乱した。昨日法事に来てくれたのは、跡継ぎの若和尚さん(すでに若くはないけれど)である。
 叔父一家の仮住まいは、二階建てが四軒に分かれたアパートで、懐かしい昔の家から見れば狭苦しいことはたとえようもない。茶の間の隅の茶だんすの上に、一応位牌や写真や花や供え物を並べて、和尚さんがその前に座って、叔父と父、叔母と従兄弟二人が座るとその部屋はもう一杯で、母と叔母、従姉妹二人と私は隣の部屋にいたのだが、周りは家族の洋服が掛け並べてあってやはりジャングルの中みたいである。
 昔の家だったらあり得ない状況であるが、だいたい祖父と祖母の法事であれば当然お寺で行われたであろう。あまりにも激変した環境で、しかし集まるメンバーは変わらない中で、和尚さんのお経とご詠歌を久しぶりに聞いていたら、何だか昔のお寺や家や町のことを思い出して、涙が出て来て困った。
 和尚さんが唱えていたお経はたぶん法華経の観音経か何かだったのではないかと思うが(念彼観音力とか何とか言っていたから)聞いていただけなのでよくわからない。昔のお寺だったらお経の本があって、一緒にお唱えしたはずなのであるが、昨日は和尚さんも持って来られなかった。多分お寺にもまだ準備されていないのだろう。
 こういう時に暗誦できたら格好いいよなと思う。お経にあまり感動したので、この際仏教大学の通信教育にでも入ろうかしらと思い立ったくらいである。例によって私の必殺技の通信教育であるが、残念ながらこの春の募集は〆切で、次は秋だそうである。この衝動が半年後まで続くとは到底思えない。