期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

曇り肌寒い

2012-04-22 16:12:00 | 日記
 表題は以前どおり気候の記述に変わったが、内容はまだ今回の一件である。
 以前も書いたように、もともと今度の学校の採用の話は、大学の教授から来たものである。なんでも校長みずから教授室までやって来て、学生を紹介してもらいたいと頼んで来たのだそうである。
 ところがこれには前段があって、実はその一年前、研究室を卒業して同じ国語科の教員として就職していた人がいた。私もそれを知っていたから、去年の暮れ、最初に教授から話があったとき、去年彼が行ったばかりなのにまた採るんですかと不思議に思って訊いたものであった。
 その時教授が明かしてくれたことには、その某君は夏ころすでに辞職の意志を固めていて、今年度いっぱいで辞めることになっている。その理由は、某君は以前から高校の教員としては部活や生徒指導もやってみたいと思っていたのだが、今の仕事は学習指導と進学指導ばかりなので自分には向かない、というのであった。
 私はこの時点から、何だか変だなあとずっと思っていたのである。せっかく常勤という職を得たものが、部活指導や生徒指導をやりたいという理由だけで、たった一年で辞めるものだろうか。何か他に理由があるんではなかろうか。
 何か訳があるとしたら、前任者が一年で辞めた所に、私などが行って勤まるものだろうかと、ずっと漠然とした不安があった。結果から言うとそれが見事に的中してしまったわけであるが、教授も両親も、彼はそれが理由なんだろうと信じ込んでいるようであった。私も自分の根拠のない不安を、ついそんなものかなと見過ごしてしまった。
 某君は私と同期で、しかも同じ社会人で修士に入ったから、それなりに親しくしていた。採用の話が進む前に、私はメールでもいろいろと報告したり、学校の様子を尋ねたりしてみたのだが、彼は最初は、自分が年度末で辞めるということすら伏せていた。これは全く理解しがたいことであるが、一緒に仕事が出来るのを楽しみにしていますみたいなことさえ書いて寄越したことがあった。
 採用が本決まりになってからはさすがに、実は今年度で自分は辞職するのですと白状したが、動機はやはり部活と生徒指導の一点張りであった。
 実態がだんだん見えてきたのが、四月になって仕事を始めてからのことである。まず、同じ国語科の先任に、ところで某先生はどうして辞められたんでしょう、と聞いてみたら、向こうの方が労働条件がいいからじゃないですか、という答であった。某君は今年度は、以前に勤めていた学校にまた講師として戻っているのであるが、自分で次を見つけてしゃあしゃあと辞めて行きましたよ、となんだか刺のある答であった。
 さらに、この先任の授業を参観する機会があったのだが、生徒にも、某先生はこんな学校もう嫌だと言って辞めたので、私が現代文を担当することになりました、みたいなことを言っていた。それは当然冗談の雰囲気ではあるが、冗談は案外真実を反映する。
 そしてついに私じしんが持ち切れなくなって、二週間で急転辞職と相成ったわけであるが、某君にもメールで報告したら、驚いたことには、以前はおくびにも出さなかった学校に対する大変な悪口を書いてよこした。人間性のかけらもないとか、学校の体を成していないとか、それは文脈としては私の辞職を肯定する内容ではあるのだが、それほどに思っているのなら、どうして前もって自分の正直な感じ方を少しでも教えてくれなかったかと恨めしい。
 今回つくづくと思ったのは、世の中の人はみな自分よりかしこいんだなあということであった。某君としては一応の任期の一年は務めて、自分の次の行き先も見つけて、教授にも上手にとりつくろって、次に勤める人間にもよけいな先入観は与えずに去って行ったというわけである。
 そこへ行くと私は八方破れとしか言いようがないが、そういうかしこさは世の中に流す害悪の方が大きいんじゃないかと思う。今回私が正直に自分の心情を話した結果、教授は、これからは研究室としても、相手の学校の内情を知って学生を推薦しなければならない、と言って下さった。みんなが表向きだけ事なかれを装っていると、知らない人が馬鹿を見る。事なかれを装えない人が言う事ではないが。
 実際、今度の件では私は相当な被害を受けた。だいたいこの仕事のために、みなし仮設で家賃がかからなかった部屋を引き払ったのが最大の痛恨である。さらにはC校は一年限りだったから今年度は元々なかったが、A校は何も言わなければたぶん今年度も非常勤があっただろう。要するに、向こうにいれば職も部屋もあったのに、常勤の餌に釣られたばかりに、職も失い、家賃だけがかかる羽目になった。
 そんなわけで今は非常に落ち込んでいるのであるが、今朝ふと思ったのである。これは神様がくれたお休みなのかも知れないと。自分から職場放棄しておいて何を馬鹿なことをと呆れてはいけない。私の正直な感じを言えば、震災に遭って去年一年、ずっと働いてどうにか生活を支えてきた。ここで仕事がなくなったのは、みなし仮設よりは住み心地の良い部屋で、少しゆっくり休みなさいという天の声である。
 人の考え方というのは様々でおもしろいなあと思うが、確かに客観的には、無職無収入が続けば明らかに生活に困る。しかしそんな心配をするより、いわんや某君を恨むより、これは有難い時間なのだと思っていた方が精神的にはずっと健全である。仕事なんか、そのうち何とかなるわよ。