鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

MA、つまり「間」であり「タメ」

2008-12-05 11:04:38 | モジョレータ奮迅編
ブルースの好きなところは、あらゆるジャンルの人が言っているけど、やっぱり“タメ”なんだよね。間合いの取り方。
(略)
うまさじゃなくて“自分の”タメができる人がいないと。見ていてもふ~んうまいねというのはあっても、えっ?って思うのがないから。そういうブルースマンがいたら僕はぜひ聴きたい。

『ギターマガジン』2004年2月号「轟音、爆音、ノイズ・ギターの世界」特集での灰野敬二、インタビューより引用。

今度共演? するので灰野さんのインタビューを読んだり、音源を聞いたりしていた時にこの言葉にぶつかった。

自分は前にモダーンミュージックの生悦住さんと、
「どうしてノイズとかフリージャズとかサイケとかプログレとかを聴くような人間は、同時にプロレスや野球や怪獣映画やマンガや落語や演芸に対して異常に執着するのでしょうか?」という意味合いのことを話したことがある(ちなみに生悦住さんもプロレスや落語を愛好している。あとパチスロ)。
その時は「どうしてなんだろうねえ」みたいな感じでその話題は通り過ぎていったが、この4年前(いや2月号だから5年前か)の灰野さんの発言に全部集約されていたのかもしれない。
ここで使われている「タメ」と表現されている言葉、

「間」だ。

存在と存在の間の空白。そこに美を見い出す。
ピッチャーが投げるまでの間。
時代劇の居合いとかもそうか。落語とか漫才も。

間とかタメがないものは存在しないのであって、要はそこに美を、個性を見い出すかどうかの問題。それは灰野さんもそういってるじゃないの。

個人的にこのことはちょっと宿題。今後いろいろな場面で考えて生きます。

最新の画像もっと見る