鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

世界によって加工される素材によって構築される世界

2008-09-27 06:18:01 | モジョレータ奮迅編
つまり「同じ本」があったとする。
同じ内容でどちらも初版。しかしこの本は違うんだよね。
大量生産、量産品であるからこそ違う。
誰がそれを手に取ったとか、どこにあったとかそういうものをいろいろ吸い込んだ上でそこに存在している。
歴史、情報というのが個々存在していて、それはまるで印象派絵画の絵具の線ひとつひとつのようでもある。取り外して「それだけ」見てみたら抽象画。描いている側もそれを何となくは意識していたんだろうな。
デュシャンとか、多分もっと研究しなくてはいけないのだと思う。
2年前、大竹伸朗の展覧会に行ったとき巨大なオブジェにダダ(ウルトラマンに出ていたほう)のソフビが貼り付けられているのを見て、
「あ、自分は村上隆よりこっちだな」と思った。多分そのダダにはいろいろな物語があるし、ひょっとしたらダダイズムとかけた駄洒落かもしれない。しかし過剰な解説はそこにはなかった。
マテリアル、素材として存在し、加工された姿だった。
いやいやいや、どこから素材ですか。もう誰も加工できない状態、というのは存在しない。
「それ」の周辺に存在している空気や時間や空間が「それ」を加工し続けている。
そういうことを考えながら生きていかないとダメなんだよ、と三十代半ばで気づく(三割くらいは再確認)。

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