小さい声でもあげてみよう

ゲイでドクター。そんな僕の地味ぃな日常。

いろんな現実

2007-12-05 00:17:06 | つれずれ。
精神科での研修スタートです。

今までと違って内臓を相手にするわけじゃないし、結構、社会福祉的な面までかむから面白い。

印象的な症例がいくつか。

70代女性。嫁から精神的虐待(言葉による虐待)を受け、不眠の訴え。
前回受診時に睡眠薬の処方を受け睡眠は取れるようになり、食事も食べることができるようになったが、嫁からの仕打ちがつらい、今後どうしたらいいのかわからない、と。切々と心情を語り、涙。

こういう場合、不眠という症状は改善していてもはや「医師でなくてはできないこと」はないと判断されるそうです。話を聞くことはできるけど、そしてそれは医師じゃなくてもできることなわけで。
「こういうところに相談するといいですよ」と話をしても当のおばあちゃんは、自分のつらさを訴えるのみでこちらからのアドバイスを受けて行動しようという意思は見られず。こういうアドバイスをするにしても心理的に本人の受け入れ態勢ができてないと無意味なんだよなあ。それは単純に投薬で行動力が回復する、ってものでもないし。
本人がつらいのは揺るぎのない事実だし、つらいからこそ行動する気力もない、という側面はあるのだろうけど、この類の問題は本人が動こうとしない限り、あるいは問題がもっと大きくならない限り第3者が非常に介入しにくいのが現実。

結局、訴えるだけじゃなくて自分で行動しないと人生は切り開けないのだな、と。
それはどんな境遇でも、どんな年齢になっても変わらないようです。

それにしても、なんか、みのもんたが出てきそうな雰囲気だった。



妻と離婚して50代で脳梗塞になった後、一人暮らしで定職に付かず生活保護と訪問看護を受けてる男性。
寒くなってからベッドから出ずに酒ばかり飲んでいるようだとの看護師からの報告を受けて往診に。

家を訪れると息が白くなる室内(室温1度!)で布団の中に包まっている男性。とても50代には見えずもっとふけて見える。ベットの周りには焼酎大○郎の大瓶と弁当の空き箱。排尿はベット上で空になった酒瓶にしている。アルコール臭はあるものの本人の顔色はそれほど悪くなく、会話の内容も意識も清明。本人も「別に困ったことはないよ、もともと歩くのもしんどいし外に出れば寒いので動かないだけだ」と枕もとのラジオを楽しそうに聴いている。

確かに傍から見れば相当ひどい状況、かもしれないがそれが本人にとって幸福、とまでは行かなくとも不幸ではない、という場合だってあり得るのだ、と。

結局上記の2例とも現時点で精神科の介入対象ではなく、
必要があれば行政の介入を、との判断となりました。

冷酷に思われるかもしれないのだけど、そこらへんの割り切りを
もてることも精神科を専門とする場合には求められるようです。

同時に、医療の限界が意外と狭いことを思い知らされています。