逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

新聞とネットの都市伝説とメディアリテラシー

2012年01月26日 | 社会

『放射能トラウマとリスク』

2012年1月22日付け毎日新聞コラム『時代の風』で精神科医の斎藤環氏は、東大医科研の医師によればとして、『現時点で慢性被ばくによる大きな実被害の報告は、ほとんどないとのことである』と主張する。
慢性での被害が確実であることが判っている喫煙やアスベストの被曝では『半年程度で実害が出た』などは聞いたことも無い。
幾ら精神科でも、医者の端くれなら低レベルの慢性被曝の被害が急性に現れないこと位は常識で、現時点で実被害が『ほとんど無い』のは当然である。
もしも現在の時点で低レベル放射線被曝の実害が続出していれば、幾ら規則を守り大人しい事で定評がある日本人でもギリシャやフランス、アメリカなど外国並みに間違いなく暴動を起こしている。
今頃は東京電力や政府官庁の建物は焼き討ちされて炎上し『直ちに健康に影響はありません』と宣伝していた枝野幸男経産相大臣は怒り狂った被災民に殴り殺されていますよ。
少子化の日本で原発の放射能で我が子が白血病で死ねかけていれば怒らない親は一人もいない。
『慢性』と『急性』被害、確率的と確定的被害の違いも御存知ない風を装うエアーな原発村御用学者の無責任な口から出まかせ、恥ずかしい真っ赤な嘘には驚き呆れるばかり。
精神科医の斎藤環先生は、
『むしろ深刻なのは、外部からの批判や報道などによる社会的な影響のほうである。』
『原発事故による最大の被害は、子どもの“放射能トラウマ”だ。』
『しかもその多くは、大人の“放射能トラウマ”による“2次的放射能トラウマ”であり、年齢が低いほどトラウマの程度が強い』とまで主張する。
判りやすく一言でいえば、『病気は心の持ちようである。』との観念論(宗教)的な主張ですね。
この主張は医者(科学者)の言葉というよりも、宗教の聖職者の言葉のように見える。
現代医学はまだまだ発展途上であり未知の分野が多すぎるので文学なと他の分野で博士号を取るのは至難のわざなのですが、医学部では医局員全員が博士号所持などは当然の話で珍しくない。
人体は、ある意味で未知の小宇宙であり『完璧に判っている』ことよりも『分かっていない』事のほうが多いのが現状なのですが、それでも全員が科学者の一人として『病気は心の持ちようだ』などの『宗教』的発想に逃げることはない。
例外は最早現代医学では手の施しようが無い末期がんなど終末医療の現場程度であるが、福島の放射能被害の現状が『もはや手遅れで救えず医者は気休めしか言えない』と言いたいのだろうか。
それとも精神科は医学(科学)の一部ではなくて例外であり、似非科学だったのだろうか。
もともと『医』の漢字の語源的意味は『くすし』が矢をもって病を祓うことに由来していて『まじない』や加持祈祷の一種だった。
平清盛の平家物語時代以前までの、昔の平安時代の武士の大きな仕事は病気の原因である怨霊を鎮める目的で病人の周りで弓の弦を鳴らす『鳴弦』である。
仏教伝来当時の日本では宗教者と医者との間は区別が無く、同じ仕事をしていたが、何と精神科では今でも同じ内容の仕事をしているらしい。
宗教家気取りの精神科医の存在には呆れるが、我々現代人とは1000年ぐらいの時間差があるようです。
放射能の危険は、『「ケガレ」の発想に近い立場という意味で“放射能幻想”と呼ばれても仕方がない』とまで言い切っているのですから驚きだ。
医者(科学者)ではなくて、これでは完全に聖職者ですね。
『放射能はさしあたり人の身体は破壊していないが、“放射能幻想”は人の心を確実に破壊しているということ。』とは最早絶句するしかない。
お前は、遅れてやって来た枝野幸男か。
枝野大臣が去年の11月に『直ちに健康に影響が無い』の意味が、『万が一。一回か二回なら安全』だと衆議院予算委員会で修正した事実を知らないのか。
斉藤先生、
『被ばく線量と発がん率の上昇には直線的な関係があるのか。確実なことは何も分かっていない。
この状況下で立場は二つに分断される。「危険であるという根拠がないのでさしあたり安全」とする立場と、「安全であるという根拠がないので危険」とする立場。事故直後には後者に傾いた私自身も、最近では前者に近い立場だ。』
このペテン師が。
一字違いで大違い。
『危険であるという根拠がないのでさしあたり安全』ではなくて電離作用がある放射線の危険は確実に判っているのだが『危険』がどれだけの大きさなのかの『量』と時間が確実には分かっていない。
その程度のことも知らない人は医者では誰もいない筈だが、ひょっとすると斉藤先生の医学知識は、放射線(X線)被害が知られていない100年前で時間が止まっているのか。
放射能でもタバコやアスベストでも全員が同じ短い時期に発病することはなく確率的にしか発癌しないから、中には長命な人もいるので今でも喫煙者が沢山いるのですね。
『現時点で大きな実被害の報告は、ほとんどない』ことは煙草や石綿を考えれば何ら安全である証明にはならない。
余りに馬鹿馬鹿しく無責任な主張で、これは到底医者の発言ではない。
そもそも斉藤医師の思っているように、煙草を吸って半年から一年で、ばたばた肺癌で確実に死亡しているなら煙草を吸うものなど誰一人もいなくなるでしょうね。
煙草でもアスベストでも放射能でも怖いのは今ではない。
何十年か後に確率的に発病するので恐ろしいのである。
医学の基礎知識も無いらしい摩訶不思議な精神科医の脳内だけで成り立つ、無責任な都市伝説の類ですね。

『どう思う子供の義賊』

BLOGOSの2012年01月19日北村隆司(伊藤忠商事在職中)24年間にわたって米国に勤務。
『「子供義賊」それによると、避難所の子供数人が無人の気仙沼信用金庫に行き、現金数千万円を持ち出し、そのお金を全て避難所にいる老人に配ったと言うのだ。これには、警察もどうしてよいか、ただオロオロするばかり。子供いわく「義援金が集まっても現地には1円もこない。悪い事とは判っていたが、こうするしかなかった。お爺さんお婆さんは涙を流し喜んでくれた」と。』
この、『「子供の義賊」― 震災現場で何が起こったか?』と題する北村隆司のネット記事ですが、これは新しい都市伝説の類ですね。
そもそもが『また聞きの伝聞情報』で信憑性がゼロ。
誰から聞いた話なのかと首を傾げる。多分自分が普段付き合っている米国在住のアメリカ人でしょう。
昔の『あるところにお爺さんとお婆さんとがいました』の話とは違い、この手の都市伝説では話が嫌にリアルで固有名詞が入るところがミソなのです。だから聞いたヒトが信じたくなるが、所詮作り物ですね。
以前には近所のスパーの3Fのトイレで若い主婦が外人に襲われて云々かんぬんの話が、私の家の付近の主婦連中の間に大流行していましたよ。
この手の話(都市伝説)では、妙に話が細部に精密でしかも御丁寧にも現実的に見えるような実名が入っている。
避難所の年寄りですが、これが事実なら喜ぶどころか全員例外なしに、『この馬鹿者が!』と子供を一喝していますよ。
避難所ですが、そもそもここでは山での遭難事故と同じ原理で1円のお金も要らない。
また、大金を持っていたとしても気仙沼は町全体が破壊されたので、金を使いたくても移動手段の無い年寄りにとっては買い物する商店自体が無い。
火事場泥棒の話ですが、これは大人たちが移動の為のガソリンを確保する目的で放置されている壊れた自動車から燃料を抜き取った行為が報道されているが、これのことですね。
この話とは反対に、個人や会社事務所の金庫が震災後に見つかり現金が無事に全部元の所有者に返還されたことが欧米では大ニュースとなっている。
欧米で大震災時には必ず起きる約束事の暴動や略奪は、社会構造が違うので日本では起きないのですよ。
この人物はアメリカに何十年も暮らしている間に日本社会の一番の特徴を忘れてしまったのでしょうね。
これ等の小さな金庫とは違い信用金庫のは堅牢で巨大な金庫室で、閉まっていればダイナマイトでも無いと開けない。閉め忘れていたのなら津波で水没していてお金を盗ることは無理。
この話はどちらにしても最初から無理筋の、日本や日本人をあまり知らない人が考えた新しい都市伝説ですが真実味が少なくて、日本の事情に精通するものは誰も信じないでしょう。

『北大の山口教授が橋下市長にスーパーフルボッコ?された』

メディアリテラシーに根本的に問題がある2ちゃんねるのネットウョ連中の目には、現実が正反対に見えるから面白い。
目の前の簡単な現実でも『逆様に見える』のですから、自分が見たことも無い過去の歴史認識で『なるほど。間違いを犯すのも当たり前だ』と、妙に納得する話である。
事実は、橋下が『馬鹿』を連呼しているだけのお粗末さ。
無関係な視聴者が恥ずかしくなる水準であり橋下は嘘八百を平気で喋り続けて馬鹿丸出しである。
対して山口二郎教授は全てを正しく説明しているので勝敗は火を見るより明らか。
小泉純一朗フィーバーは、2流政治家がタレントの真似事をしたら有権者が他の政治家と違うので改革者だと勘違いして、思わぬ人気が出た笑え無いブラックジョーク。
橋下徹の方は、2流タレントが政治家の真似をしたら『2匹目のドジョウがいた』もっと笑えないお粗末極まる馬鹿話か都市伝説。
確かに両方とも『今までの政治家とは違う』ことは事実ですが、どちらも中身がニセモノであり腰掛。
長続きする話ではありません。必ず途中で投げ出す。
そもそも橋下は候補さえ見つかれば自分には立候補の意思がなかったのだか平松大阪市長を叩きすぎて、誰も候補に手を挙げないので嫌々出馬している。
橋下の予定ではタレントに復帰する筈だったのですから不真面目そのもの。市長を4年間続ける気持ちはまったく無い。
就任1ヶ月目に『後3年11ヶ月も続けれるだろうか』と本人までが言っている。
市長就任前から定員3人の副市長全員を首にしているのですが、局長級幹部も平松市長寄りは首にすると公言しているのですよ。
現在大阪市の副市長は空席で、この人事には議会の承認案件なので直ぐには決まらないが、市役所の決済などの通常の日常業務は副市長の仕事なのです。
だから通常空席になるなどありえない話で、以前に事務手続きの関係で1日だけ空席だったことはあるが今のように数ヶ月など前代未聞の椿事中の椿事。
それでも橋下批判がまったく市役所内部から聞こえない原因は、『明日は我が身』と市の職員全員が身をすくめているのですよ。
あれは何かの『改革』ではなくて、単なる私怨による『イジメ』ですね。
それを大阪の庶民が喝采を送っている現状ですが、デフレ経済下の新自由主義により日本全体が、ローマ帝国滅亡寸前の様に社会全体の極度の劣化が影響しているのでしょう。
当時のローマ市民は娯楽として人が殺されるのを見ることが『悪』だとは思っていなかった。殺されるのは他人で自分や自分の家族や友人知人が次の標的になるなどとは想像も出来ないのです。
自分たちの野蛮を恥じるどころか逆に今の大阪市民のように大喜びして拍手していたのですが正に『地獄変』であり、世も末である。

『メディアリテラシー』都市伝説化した橋下徹

個人の能力には通常限りがあり何かが『優れている』とは、その反対の能力が『劣っている』場合が多い。
左翼は論理(言葉)に優れている分、相手の顔色とか声の調子など非論理的なボディーランゲージには無関心で興味が無い。
だからはっきりと『嫌いです』とか『やめて下さい』と言葉で表現されないと、相手の不満や怒りが絶対に判らない。
逆に論理的でない『言葉』が劣った人ほど、反対に見る聞く嗅ぐなど動物としての五感が『優れている』可能性が高いのである。
言葉の判らない犬など動物何かは五感だけで生きていて、相手の目線の少しの動きでも絶対に見逃さない。
最近で大笑いのニュースといえば、橋下徹大阪市長を真っ向から批判する本を出版した山口二郎北大教授をテレ朝の番組にゲスト出演させたことでしょう。
2人が討論したテレビのビデオ放送を見たネットウヨ連中が、『山口教授がフルボッコされた』と2ちゃんねるで評判になっているらしい。
面白そうなので見てみたら、橋下は口から出まかせの嘘八百、デカイ態度で無意味に口汚く罵るだけ。
対して山口氏は呆れながらも丁寧に客観的事実や理論を説明している。(ただしボソボソと平板に喋る)
言葉(論理)では何処から見ても山口教授の完全な勝ちなのです。
ところが倫理ではなくて五感(ボディーランゲージなどの見た目)では橋下の完勝に見えるらしいから愉快である。
テレビの橋下を見ていて感じたのは、喋り方が大昔の学生運動の低級なアジ演説とそっくりですね。
当時の学生は『我々はー!!』と語尾の『音』を最大限強調して引き伸ばしたが、橋下は逆に言葉の『頭』の音節を強調するドン!トットットット。ドン!トットットットのワンビートリズムで間断なく喋っている位が違うだけで、演説の『仕組み』はまったく同じです。
呆れたことに橋下徹は狭いお茶の間でみるテレビの番組のなかで、野外空間での大勢の聴衆相手のアジ演説を行っていたのですよ。
これは、テレビでの狭い空間で顔を突き合わせて喋る対面状態(対談)では、おきて破りの非礼極まりない常識外れ。
橋下の無礼を注意する者は無く、やりたい放題。
山口氏はあまりにも馬鹿馬鹿しすぎる成り行き(学生運動で学長をつるし上げる団交とそっくり同じ)に白けてしまい苦笑しているのですが『言葉の内容』ではなくて態度だけならネットウョには自信満々の橋下の大勝利に見えたのですね。
アホ臭い話です。
このテレビ討論を文字に起こせば『馬鹿』を繰り返す橋下の下劣な愚かさだけが目立ち発言内容が無いのは一目で分かる。
ところが言葉ではなくて見た目の雰囲気では正反対になる。
昔アイゼンハワー大統領の副大統領だったニクソンとケネディ上院議員が争った大統領選挙を彷彿させる成り行きである。
言葉だけのラジオではニクソンの方が討論で勝っていたが、テレビでは逆にケネディが大勝利する。
策士のニクソンは貧乏人の生まれで悪党顔であるが、対するケネディは財閥の御曹司で坊ちゃん顔の好青年風に見えるので、見かけの勝負が優先するテレビ討論ではニクソンに勝ち目は最初から無かったのである。

『山岳遭難でのサバイバル術』

ネットウョの得意な動物的な五感は大事ですが実はそれだけでは駄目で、人間が生残る上では『危機』を感じ取る動物(五感)以上の、第六感が一番大事なのです。
視覚や聴覚や匂いなどの五感まではある程度は数値的に表現出来るが、ところが最後の最後で一番大事なのは科学的懐疑心(自分自身を疑う心)から発生する『危機感』なのです。
ところが、これは数値化や表現が困難で無理なようです。
もちろん当たり前ですが基礎となる知識や技術体力経験は大事なのですが、それだけでは完全ではない。自分が生残るに為には『何か』が不足していて無理なのです。
昔山のベテラン連中が集まって、生残るのに『何が一番大事か』で喧々諤々論争した結論が全員一致でこの『何かの直感』と運の良し悪しだったのです。(これでは残念ながら山岳遭難はなくならない)
これは、昔の剣豪小説や白土三平の漫画に良く描かれていた剣術の免許皆伝の達人わざの『むむ。!殺気!』と同じ種類の感覚ですね。
ところが不思議な事に今の小説や漫画などの出版物だけでなくアニメやゲームなど全ての世界で、昔なら定番だったこの名人達人の『むむ!。殺気!』がまったく描かれなくなった。
世の中の『何か』が根本的に変化した為なのか。それで誰も感じなくなった結果なのか。
動物的な五感の鈍化してしまって近代化した現代都市の文明化時代に、厳しい肉体的鍛錬を耐えて高度な達人技を手に入れた後での精神的修練の結果得られる名人芸か、それ以上の危機感覚である六感はいまの現代人にまったく無縁で、完全に無くなったのかも知れません。


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6 コメント

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気仙沼信金 (農婦)
2012-01-26 06:22:58
驚き.私はいわゆるその避難所に居りました。そんなことは、ありませんでした。デマです。孫がそんな事をしたら大騒ぎです。
返信する
流言飛語とメディアリテラシー (宗純)
2012-01-27 16:10:26
農婦さんコメント有難う御座います。こんな白々しい嘘でも信じる人がいるのですから情けないというか驚きです。

『子供義賊』を信じた人達ですが、これは『知』の劣化現象ですね。
今の日本社会の現実が見えないのです。
歴史心理学では、『基本的に人は騙される』(信じる)らしいのですが、原因としては狩猟採集時代の最大100人以下の小集団の場合には『仲間の発言は無条件に信じる』との大原則があり、この潜在意識の特性は、今の現代人も影響されているらしいのですね。
この歴史心理学では怒ってるリーダーは無条件でメンバーが信じるとの不思議な話もあるのですが、こちらの方は怒ってる風を装う橋下徹の馬鹿話を信じる大阪市民の御粗末な例ですね。
余り多く無いと思いたいが、地方銀行を襲う『子供義賊』の馬鹿話程度のお粗末な水準の都市伝説でも、一定数は信じた人が出たらしいですよ。
何とも情けない話ですね。
メディアリテラシーが無さ過ぎるというか。
正常な懐疑心が根本的に欠如しているというか。これでは悪党の詐欺師に手もなく捻られるでしょう。
ニュースとは犬が人を噛んだら普通の出来事なので話題にならないが、その逆の人が犬を噛むから珍しいから大ニュースとして報道される。
それなら日本で、もしも現実に『子供義賊』が起きれば(日本では今までなら絶対に起きないので)とんでもなく珍しくて、それこそ日本中で大ニュース中の大ニュースになるでしょうね。
今回のように、ネットの片隅で燻るレベルの小さな話ではないのですよ。
ただ、これはあくまで日本国限定でありアメリカなど外国では大災害時とは一種の徳政令であり一般市民は集団でスーパーや商店を襲い金品を自由に略奪する。
これは大人だけでなく子供も同じように略奪するので子供義賊の話が外国なら十分に起こりえる普通の話ですね。
ところが日本では絶対に起きない。
その唯一の例外が米騒動なのですが、この歴史研究が日本では余り進んでいませんね。(外国では日常茶判事のありふれた事件なので矢張り進むことは無い)
暴動を起こした民衆は、警察でも軍隊でも最早誰も止められないのですが、日本ではこの事実を知られることが如何も都合が悪いらしいのですよ。
1947年(昭和22年)2月1日の二・一ゼネストが決行直前に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの指令によって中止されたことが、戦後日本の労働運動の方向ばかりでなく、根本的な日本人の思考を大きく左右した可能性が高いのです。
ポーランドの連帯労組の例のように、組織された労働者の力は強大で、大群衆は軍隊を凌ぐのですがゼネストを一度も経験していない日本人ではこの事実を知らない。
我が日本国とは違い、外国では、この『大集団は誰にも止められない』事実が良く知られているので、それで地震とか何かが起きれば『これ幸い』と暴動や略奪が起きる。
逆に外国でも、小集団なら即座に逮捕され鎮圧される。
ですからこの馬鹿馬鹿しい子供義賊の都市伝説が本当なら、数万人の子供達が気仙沼信金を襲ったとの阿呆臭い話になりますね。
確かに、数万人では北村隆司氏が主張するように、なすすべが無く警察も見て見ぬふりしか出来ません。
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精神科医の斎藤環は許せない! (osakasenri)
2012-01-28 07:14:17
私はここへの書き込みは控えると言っておりました。しかしあえて書かせていただきたくなりました。

学者センセイ方の「確率論的評価」には、もう我慢ならないのです。何をふざけたことを言い続けるのか、と。

ご存じのように、長崎大学の研究チームは、長崎原爆で癌に罹り、亡くなった方の病変組織を保存蓄積していたのですね。そして2009年に亡くなってから時間の経っている病変組織から未だに放射線が飛び出している飛跡を撮影することに成功していたんですね。これは統計的な解析ではなく、実際的に放射線が内部被爆によってDNAを損傷する証拠になりうる発見なわけです。

これ学者さん皆知っていたんですね。同じ長崎大学の山下教授も知っていた。准教授や助教の研究成果は無視ということでしょうか。やはり確率論的解釈が通用しなくなることを恐れていたのでしょうね。

「放射能はさしあたり人の身体は破壊していないが、」これが科学者でなければどうということもないかもしれないが、統計学的確率論的解釈に固執したいあまり直接的被害の証拠の研究成果には目を背ける。

この国の学者センセイはどうなっているのか!海外で評価され、国内では無視。物理学や化学だけの話ではないのですね。呆れる。許せない。

失礼しました。

返信する
嘘も100回言えば・・ (宗純)
2012-01-28 11:36:58
osakasenriさん、コメント有難うございます。

何故か近頃コメント数が減っている様に思うのですが、余り深刻に考えずに記事を読んだ率直な感想を投稿して頂ければ嬉しいですね。
折角良い記事を書いたと本人が思っていてもコメントが少ないと、『興味が無い話だったのか』とか『内容が問題だったのだろうか』と如何しても思って仕舞う。
皆さんの興味が『何であるか』は政治ブログとしては重大な要素なのですが実はこれが一番難しい。
自分では良くわからないのです。
この斉藤環氏ですが、『学者センセイ方の「確率論的評価」』などの難しい話ではなくて、『嘘も百回言えば本当になる』との宣伝広報。単なる印象操作の類ではないでしょうか。
電離作用がある放射線が『危険である』ことは医者なら知らない人は一人もいない。
もちろん一般人でも一人もいない。
それを白々しく、
『危険であるという根拠がないのでさしあたり安全』
と主張しているのですから、これは100%のペテンです。
ですから、これは斉藤氏も自説が嘘であることは100も承知している。
今の日本政府は何とかして被災住民を福島県の高濃度放射能汚染地域に帰らそうと、何故か考えているのですよ。
疎開さしたくないのです。
高齢者は故郷に帰りたがっているが、ところが肝心の若者たちは除染しても半数は帰らないと思っている。
ですから政府が今進めようとしている帰還事業は川の水を逆様に流す様な人間業では無理な話なのですが、それでも何としても無理やり行う心算らしい。
そのためのプロパガンダの一環として斉藤環の毎日新聞のコラム記事が書かれたのです。
そもそもが、これは無理筋。
科学の話ではなくて、これは政治の話(為にする世論誘導)であり、それなら当ブログが最も得意とする分野ですね。
返信する
科学者の哲学 (くまごろう)
2012-01-30 02:35:50
osakasenri さんのコメントを受けて。
> 学者センセイ方の「確率論的評価」には、もう我慢ならないのです。

確率論も統計学も全うに用いるなら有用なのですが、科学というのは元々人間味のあるものではありません。それは本来徹頭徹尾事実と論理によるべきもので当然のことです。その血も涙もないものから、自分の哲学で血の通った発明や提案をするのが、全うな科学者です。

この哲学が尋常でないものであっても、事実と論理をねじ曲げなければ、マッドの類でも科学者と言えるでしょう。人間としての魂を悪魔に売り渡したような人物であれ。

対して斉藤環の類は、科学者としての魂をも悪魔に捧げてしまった者で、最早詐欺師です。

科学というのは迂遠なもので、誠実な科学者であろうトンデル博士は「放射能が原因である科学的な証拠にはならない」が「それが原因である可能性は高いと思う」と、科学の分をわきまえています。
科学というのは信頼できるデータの積み重ねで、信頼度を上げてゆき、概ね意見の統一を見ると定説になり、更に信頼度が上がると法則に、原理になります。ただし、これらはあくまで信頼を積み重ねただけで、どこまでいっても覆る可能性を否定しません。

統計学的確率論的解釈に固執したいあまり直接的被害の証拠の研究成果には目を背ける

実際、統計学や疫学で証明するにはデータがあまりに少ない。チェルノブイリでも、そして恐らく今回の日本でも、事故当事国は正確なデータを取ろうとせず、またなるべく破棄隠蔽しようとする。それが核の恐ろしさを象徴しているのでしょう。

科学にできることは確率を出す、までで、科学的な視点、だけでは、わかりきったことしか決定できません。
例えば原発事故の確率が、3年に1回でも、10億年に1回でも、それを認めるかどうかは科学に判斷する能力はないのです。
返信する
Nuclear (宗純)
2012-01-30 16:20:36
くまごろうさんコメント有難う御座います。

この話ですが如何も科学の話ではなくて、軍事問題だから話がすんなりいかない。
軍事問題なので複雑で真実が隠蔽されているらしいのですよ。
そもそも軍と機密は一体不可分で『付きもの』です。
日本で『原子力』(Atomic Energy)とは日本で造られた和製英語であり実は『核』(Nuclear)が正しい。
日本以外の国では全てが『核』なのですが、原子力発電ではなくて核発電。
核の熱による放射能の影響が軍事機密に属するなら、それなら機密扱いになるのは当然なのでしょうね。
しかも石油や火薬などの普通のエネルギーとは別種の核分裂の放射能は動物の五感とは別の次元の話で、生態系とは無縁なのです。
だから余計に機密にしやすい。
原発とか原爆は一神教的な技術体系であり、我々人類とは接点が無いのですね。
日本の神様は人間と同じ世界に存在するのですが、欧米の一神教の神様はまったくの別の次元の人類では理解不能の存在だと思われているのですね。
アメリカが造った原爆は3個でファットマンとリトルボーイは日本に投下されたが、もう一つはアラモゴードの砂漠で爆発した世界最初のトリニティ。
このトリニティ(三位一体)とは、キリスト教の根本原理らしいですよ。
確率論ですが、これは分母が大きければ可也正確に数値が出せるようですが、それでもあくまで確率的な話であり、『10年に1回』の頻度が幾ら正しくても、その十年目が今日なのか明日なのかそれとも10年後なのかまでは誰にも判らない。沢山の例を平均したら10年で1回だと判る程度なのです。
宝籤の当たり籤の割合(比率)は正確に判断出来るが、『どれが当たるか』など特定の当たり籤の判定は誰にも出来ないのです。
科学の正しさと共に、その限界と危険性も同時に考える必要があるとの何とも教訓的な話です。
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