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アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』

2008-11-18 | 小説
鋼鉄都市 (ハヤカワ文庫 SF 336)
アイザック・アシモフ
早川書房

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ロボット三原則
「第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が第一条に反する場合はこの限りではない。
 第三条 ロボットは第一条および第二条に反するおそれのない限り自己を守らなければならない」

 アイザック・アシモフがSFミステリーというジャンルを確立した傑作、『鋼鉄都市』を読んだ。原題は”THE CAVE OF STEEL”というもので、直訳すれば「鉄の洞窟」くらいのものだが、『鋼鉄都市』という邦訳はいまいちな気がする。というのは、この小説は、人類の発展史の側面をもっていて、人類が鉄の洞窟を出て、再び宇宙に旅立つというモチーフがあるからである。まあ、作中で描かれているシティの様子もなかなか興味深いので、「都市」を全面に出すのも悪くない気がする。

 地球人類が、かつて宇宙へ植民し再び地球にもどってきた”宇宙人”(スペーサー)に管理されかけている時代。地球の各都市は、ロボットを労働力として導入しながらシティと呼ばれるドーム都市で厳格な管理社会を形成していた。そんな折、スペーサーの殺人事件が起こり、地球とスペーサーの関係を揺るがす事態が発生する。刑事であるベイリは警視総監に呼び出され、スペーサーの作ったロボットのパートナー、R・ダニールの手を借りながら事件に立ち向かっていく。しかし、シティにはロボットへの反感が広がっており、ベイリ自身もあまりによく出来たロボットであるR・ダニールに不信の目を向けながら、凸凹コンビの捜査は続く。
 
 トリックがものすごくシンプルなので、ミステリー好きにはうっかり勧められない小説ではある。しかし、アシモフの描く未来都市やロボットの姿が興味深く、やはりSFとしてはよく出来た小説だなあと感心せざるを得ない。この小説の画期的な点は、(いろいろなところで紹介されているが)ロボット三原則という上記の法則をロボットを描く際の小道具として導入したことに尽きる。というのは、それまでのロボットや人造人間を描いた物語というのは、人間が被造物に脅かされ滅ぼされるという「フランケン・コンプレックス」に基づいたものがほとんどすべてだったのだが、アシモフはロボット三原則を導入することで、このすでに陳腐化していたモチーフから距離を取ることに成功したのだ。他にも、この「ロボット」シリーズはアシモフの「ファンデーション」シリーズに接続したりと、何かと作品外の要素の多い本である。

 でまあ、繰り返すことになるけれど、やはり純粋にミステリーとしてはいまいち。トリックがいまいちなのと、探偵役が失敗ばかりしていること、ミステリーとしては余計なモチーフが多すぎるなど。だから、やはりユートピアでもないディストピアでもない、「科学的な」SF小説という点で評価すべきだし、その点については名作という評価はゆるぎないものだと思う。言ってみれば、古き良き時代のSFの鏡である。
 ロボット関連の知識や技術は、この本が書かれた1979年とは隔絶した感すらあり、実際にロボット工学や認知科学の発達で多少当時とは事情が違っているのではあろうが、まだ古びていないのである。

「人間の人間としての能力を持ったロボットを造ることはできないのだ。まして、よりまさったロボットは無理な話だ。審美感とか、倫理感とか、信仰心を備えたロボットも造れない。電子頭脳は、唯物主義から一インチでも出ることはできないのだ。/そんなことはできない相談なのだ、ぜったいにできないのだ。われわれの脳を動かしているものがなにかを理解しないかぎり、できない。科学が測定できないものが存在するかぎりできない。美とはなにか、あるいは、美とは、芸術とは、愛とは、神とは? われわれは永遠に、未知なるもののふちで足踏みしながら、理解できないものを理解しようとしているのだ。そこが、われわれの人間たる所以なのだ」(P287~288)

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