哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

映画、小説、芸術、その他いろいろ

東京国立近代美術館『カルロ・ザウリ展』『建築がうまれるとき』

2008-07-17 | 展覧会
 東京国立美術館で『カルロ・ザウリ展 イタリア現代陶芸の巨匠』と『建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳』を見てきた。僕はあまり陶芸や建築には興味がないのだが、縁があって券をもらったので。
 カルロ・ザウリの陶芸は、一言で言えばめちゃくちゃエロかった。こんなにエロくていいのか!?と思ったくらい。特に人体を模した陶芸を作っている訳ではないのだが、幾何学的で硬質な面の間から有機的でともすればグロテスクにすら見えるじゅくじゅくとした部分が飛び出していたり、まるで卵割のようなかたちの作品があったりと、それらがみんなエロいのである。昔、文学関係でイチジクの中のじゅくじゅくしている部分を食べる描写がエロいという話を聞き、人体の形をしていないのに(?)なんでエロいのか、感覚的にも論理的にもよく分からんかったのだが、なるほど、これは確かにエロい。もちろん欲情するようなエロさではないのだが。これには、「ザウリの白」と呼ばれる作品のフォルムを際だたせるような独特の灰白色を用いていることが一役買っている。陶芸といえば、お椀とかつぼとかのしぶーい世界をを思い浮かべがちなものだが(僕もそうだ)、陶芸というよりも彫刻を見るような感じで楽しめる展覧会である。はっきりいって、これを見れば陶芸というジャンルに対する見方は変わる。

 『建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳』はほぼ同世代というだけで特につながりのない二人の建築家の、作品のアイデアをまとめる過程を追ったもの。小さなスペースで、メルクリの落書きのようなスケッチは壁側に張られている。こちらは正直分からなかった。一方、青木は天井からランダムにつるされた台の上に、発泡スチロール製の模型と、それについてのメモが並べられ、青木がどういう手順であるクライアントから依頼された家のアイデアをまとめていっているのかがわかり面白い。なかには、アイデアが矛盾するとしてボツになったり、自分でわくわくしたり、行き詰まり数歩戻ったり、違う思考の過程で出たデザインが同じものになったりと、デザイナーという職業の思考の過程が非常によく可視化されていて興味深い。できれば、完成した家の写真か模型でも置いてくれればなお良かったのだけど。

 異色の展覧会ということになるだろうが、それにより独特のおもしろさがあって良かった。特にデザイナーなどを目指す方には、どちらの展覧会も参考にするところが大きいのではないかと思う。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『エルフェンリート』 | トップ | 殊能将之『ハサミ男』 »
最新の画像もっと見る

展覧会」カテゴリの最新記事