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『これが俗世だ』と私は思った。『戦争がおわって、この灯の下で、人々は邪悪な考えにかられている。多くは男女の灯の下で顔を見つめ合い、もうすぐ前に迫った、死のような行為の匂いを嗅いでいる。この無数の灯が、悉くよこしまな灯だと思うと、私の心は慰められる。どうぞわが心の中の邪悪が、繁殖し、無数に殖え、きらめきを放って、この目の前のおびただしい灯と、ひとつひとつ照応を保ちますように! それを包む私の心の暗黒が、この無数の灯を包む夜の暗黒を等しくなりますように!』(P90)
「不安もない。愛も、ないのだ。世界は永久に停止しており、同時に到達しているのだ」(P130)
「小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を殊更醜くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているのは、……それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮ぜんのような希望、不治の希望であった」(P253)
三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ。学部のときの同輩に勧められていたのだが、今まで読まなかったのを、一応は文学を学んだものとして読んでいないのはまずいので今さらになって読んでみたのだ。
話としては、仏僧を父親に生まれ、父から金閣寺をこの世の「美」の塊と聞きながら育った少年が、学生時代に終戦を迎え、金閣のある鹿苑寺の学僧として迎えながら、生まれつきの「どもり」や奇妙な友人たちとの交流、反復する金閣寺のイメージ、鬱屈する性欲、和尚との確執などのもろもろにより、遂に金閣寺を放火するまでを描く。金閣寺には「闇」のイメージが重ねられるとおり、闇の小説という雰囲気である。とはいえ、彼が遂に金閣寺に放火したあとに、遠くの山から燃え盛る金閣寺を眺めるシーンで終わるラストの一文には、妙なすがすがしさ、あるいはこう言っていいなら救いみたいなものがある。
この小説には、「美」などについてのさまざまな考察が収められているが、「終戦」や「戦争」についての考察はごくわずかである。しかし、解説においても指摘されている通り、やはり青年やあるいはこの小説の他の登場人物について、「終戦」の影がごく深くまとわり付いていることは疑う余地がない。そういう意味では、この小説は終戦についての小説と言っていいのではないか。そして徹底して一人の学僧の人生に寄り添いながら、『金閣寺』は一つの時代を描いた小説でもある。そしてさらに、「美」という概念について考察しぬいた、普遍的な小説といっていいかもしれない。
「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」(P275)