扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

言い合えない言い合い

2017年09月27日 18時29分34秒 | 気づき
いかなる時でも、内世を観て、感じ、ひとつになり、その状態から外世を観ることで物語に囚われるのではなく、自分で選択し決め経験し結果をもたらす。


そして、この行いも全ては物語と知り楽しむことが出来るのです。


物語に囚われる=自我に縛られ「苦しみ」を作っているだけなのですーーーーーーーーーーこのことですら、自分で決め行っているーーーーーーそれに気づくことができないが為のことなのです。


例えば、会社で社員同士が言い合いをしているとしよう。

気づきを得た者は相手の言葉にフィルターをかけず言葉自体を受け取り解釈し言い合いの本質を探すことが出来、それを伝える。

だが、気づきを得ていない相手は、その言葉にフィルターをかけ解釈する


決定的に違うのは、気づきを得た者は「いまここ」に在ることを知っていて「今ここ」の話をしているが得ていない者は「いまここ」を知らず「今ここ」の話が出来ない。


これでは言い合いは終わらないであろうーーーーーそもそも、気づきを得た者は言い合いと解釈していない訳だが・・・・