扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

出来ますか?

2016年10月28日 10時04分34秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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「いまここ」がとても大切で、これは時間ではなく空間を表して時の概念を持たない領域のはなしでありこの空間には全てが幸せで不幸せなどない


幸せや不幸せというものすらなく全てがひとつであり全てだということ。


ただ、自我は常に時間と共にする、そうしないと保てないからである。


さて、本質を理解し「いまここ」に胡座をかき流れに漂えば良いと・・・・・でも自我は問う。


なら、今のままで良いではないか?

今が嫌でも「いまここ」なのだから何も無い―――――なら、良いではないか?


「変わりたい」と言う意欲ですら「いまここ」で全てがひとつなので意欲すらも無になる。


過去も未来も考えなくなり、今の環境を常にこなす状態になるのでは?


もちろん、この決定は自分の選択であり決定であるが、やはり嫌で嫌で変わりたいと思っている。


自我はどうしても判断したがり空間を感じ取ろうとしず、時間を感じ取ろうとする。


そして、私の中に3種類の状態が形成される。




時間の私



空間の私



この2つを感じごちゃごちゃになっている私




この3つを客観的に見ている私



全てがひとつ=私




色々考えていると「苦」が増幅しているのが分かる、諸行無常ですね。



どれだけ、「気付き」があり「悟り」と「大いなる存在」を感じても人生は幻想世界であるこの世で起き時間軸を進んでいかないと行けない事も府に落とさないとならないのです。


これさえも、嫌なら全ての条件、概念、環境から離れなくてはならないのです。







出来ますか?







皆様が、常に「いま」に在りますように


座談会に興味のある方はご連絡お待ちしています🎵