にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

らーめんつけめん人形町『兎屋』@東京都中央区人形町

2020-11-25 18:06:00 | ラーメン探索

 この1年、人形町には3軒行きたいと思っているラーメン屋がある。そのうち一軒はこの前紹介したcrab台風で、その翌日に2軒目ここに訪問となった。

 日曜日の人形町はとても空いていて、明治座や日本伝統文化の香りがする街だ。飲食店も非常に多い。














 いや〜驚いた。いきなりどストライクの私のツボに突き刺さるらーめんに出会えた。私が求めるらーめんをいろんな観点で満たすものだった。

 先ずはスープから。一口目ですぐガツンと煮干しなど魚介の香りがして、次に豚骨のまったりした濃厚さ、最後に丸鶏の旨味が残る。上質な鶏油(ちーゆ)が大量に使われているが、脂っこさは気にならない。

 丼を温めてくれていて、スープが最後まで熱々なのも素晴らしい。麺は中太平打ちのモチモチで、浅草で有名な開化楼、非の打ちどころない。

 具材も東京下町の中華そばに欠かせない最小限なもので、麺とスープの邪魔をしていない。チャーシューもしっかり煮込んで味の染みた薄切りで美味しい。













 参りました。こういう出会いがあるからラーメン探索はやめられません。寒い冬場は身体の芯から温まる超美味しいらーめんです。

 メニューも超シンプルでらーめんとつけめんしか置いてない。ビール類もなし。らーめん一本のど直球で勝負する、店員さんも粋な江戸っ子言葉でシャキッとした対応だ。

 久しぶりに何もかも満足するらーめんに出会えた。年内に今度はつけめんを食べに来ます。




なな散歩(42)早朝の江戸川河川敷

2020-11-24 14:14:00 | 黒ラブなな

 この三連休、3連続で日の出とともに江戸川河川敷でななを遊ばせた。河川敷で拾った軟球2個を交互に投げてレトリーブ(回収)させる。

 凄い勢いで全力疾走する。一歳になる前は、5本走らせると息が切れて苦しかったのに、10本くらいは平気で連続ダッシュできるようになった。














 周りに人やワンちゃんがいないことを確認して、途中何度も確認して遠くに人影やワンちゃんらしきものが見えればリード繋いで止める。

 勝手にどこかに行くことがなくなった。一歳過ぎて、ななのこの半年でとても成長している。人懐っこさはもともとあったが、こちらのコマンド(命令)をすぐ理解して行動できるようになってきた。

 大型犬は成長にはやはり時間がかかるが、成犬になってから急に呑み込みが良くなる。この犬種の本格的な訓練(盲導犬や介助犬)は2歳から始まるそうだ。1年間にわたり様々な厳しい訓練に耐えて習得しなければいけない。

 散歩中に、子供や他のワンちゃんには近づかない、初めての人に自分から寄って行かないようになった。人への甘噛みもなくなった。知り合いの人でないと甘えないなどわかるようになってきた。











 ブログ友さんから教えていただいた鳥の胸肉を細かく割いてドライフードに混ぜたら、凄い勢いでがっついて食べる。おやつのさつま芋も怖いくらいガツガツ食べる。本来は肉食だったのだろうから、肉の味はわかるのでしょう。

 たくさん運動したこの三連休は特によくあげた。今日からは少し我慢してもらおう。





 


蟹そば『crab台風』@東京都中央区(人形町)

2020-11-23 13:05:00 | ラーメン探索

 三連休の半ば、初日の繁華街はいつもよりすごい人出らしいので、人出の少ない街をチョイス。浅草や秋葉や御茶ノ水は避けた。

 人形町駅と茅場町駅の中間くらいにある。10分ちょっと歩けば着けるがオフィスやマンションのビル狭間でわかりにくい。人形町駅近くにはカフェが充実している。

 東日本橋から人形町は休日はかなり空いていて、その分飲食店も休業してるお店も多い。人形町は昔からの老舗が沢山あるので食文化は豊富だ。













 名前からして変わっている。crabが蟹🦀だとはすぐわかるが、インパクトを込めたかったのだろう。久しぶりのドロ系スープだ。

 見た目より全然優しい味で、蟹というより、豚骨マイルドスープに野菜の甘みすり込んだようなスープ。正直言って蟹の味はあまり感じなかった。

 でも今まで食べたことのない野菜ポタージュのようなまろやかさで、玉ねぎのみじん切りと燻製うずら卵に柔らかい低音チャーシューなどの具材がいい味加えていた。











 雑炊セットを付けたら、麺を食べ終わってから残りのスープと具でもう一度火にかけて雑炊に仕上げてくれた。

 雑炊を食べたらなるほど蟹雑炊だとカニの味を理解できた。この雑炊はラーメンよりレベルが高い。

 新しいタイプの風が、台風のように吹き荒れるのだろうか。私が求めてるラーメンは毎日食べても飽きない平凡だが身体に和の味が染み込むようなラーメンだ。

 ご馳走さまでした。百聞は一見にしかずというラーメンでした。ユニークな創作ラーメンです。




昨夜TVの甲本ヒロト観て

2020-11-22 13:41:00 | 日常

 昨夜、TVで甲本ヒロトが突然出てきて驚いた。ダウンタウンの松本と元SMAPの中居がプレゼンテーターみたいなことをやって、ゲストに菅田将暉という若手俳優?歌手?と元ブルーハーツの甲本の4人で対話するみたいな番組だった。

 伝説のバンド「ザブルーハーツ」で一世を風靡したボーカリストがワケのわかならいTV番組によく出てきたなという印象で、最近の音楽話になって甲本が興味深いことを言った。

「僕たちアナログ世代の歌い手は、歌詞の内容はどうでもよくて、元気になるような音を届けていた。デジタル世代のリスナーは歌詞の意味や内容を吟味しながら歌を聴く感じする。」
さらに
「歌詞の内容はぼんやりととらえていれば十分で、同じ歌を聴いたり見たりしていてもフォーカス(焦点)の仕方は人それぞれで受け取ってくれればいい。デジタル世界ではくっきりはっきり見えすぎてしまっている。」










 私は80年代前半に突如として出てバンドブームの音楽に火をつけたブルーハーツが当時は好きでなかった。破壊的な狂気を感じて、いい曲を作るなと思ってはいたが積極的に何度も聴かなかった。

 2000年前後に、ハイロウズというヒロトとマーシーが再結成したバンドの音楽を聴いて、甲本というミュージシャンの深さや良さに気付いた。昔のブルーハーツ時代の名曲を改めて聴いてみると心に迫って刺さる曲がたくさんあった。

 目の前に見えていても、耳に届いていても全く心に響かない時もあれば、時代の変化や自分の成長や変化で、同じ歌が突き刺さる時もある。

 音楽との出会いは、本との出会いにも似ている。聴いた印象や読んだ感想は、人生のステージ段階で随分と異なることがある。何十年もずっと好きでいられる作品に巡り会えることは珍しい。

 甲本ヒロトもほぼ同世代だからもうすぐ還暦のおじいちゃんだ。いつまでバンド活動をするのだろう。命尽きるまで好きなようにやるのだろう。




平時と非常時(内田樹研究室より)

2020-11-20 20:41:00 | 日常

 今日は将棋の王将戦挑戦者決定リーグ戦の最終一斉対局だ。これから帰ってLIVE映像を見る。永瀬王座が広瀬八段に勝てば全勝で挑戦権を得る。

 もし一敗すれば、羽生九段VS豊島竜王の勝者とプレーオフの対局が待っている。羽生先生はつい先日、髄膜炎で高熱出されて入院治療して退院したばかり。

 くれぐれもご無理されないでくださいと思っても、ここ一番の重要な対局が王将戦予選リーグと竜王戦第4局と続くから無理しないわけがない。トップ中のトップ棋士との対局ですから‥‥。










 内田樹研究室より抜粋(長文お許しを)
『平時と非常時』2020-11-04

(前略)
 平時と非常時では判断基準が変わる。
平時の判断基準を非常時にも持ち込むことを「正常性バイアス」と呼ぶ。自分の身にとって不利益な情報を無視しり、リスクを過小評価する心的傾向のことである。特に、自然災害や災害のときに逃げ遅れの原因となる。

 平時から非常時への「スイッチの切り替え」は難しい。コロナ感染拡大でも、「自分は感染していない。感染しても軽症で済む。他人に感染させることはない」というふうに考える正常性バイアスが働く。必ず働く。

 だが、非常時というのは正常性バイアスがもたらすリスクが劇的に高まる事態のことなのである。だから、どこかで平時から非常時にコードを切り替えて、正常性バイアスを解除しなければならない。

 問題は「正常性バイアスを解除する」というのがどういう振る舞いのことか、よくわかっていないということである。それを「いたずらに恐怖する」「過剰に不安になる」というふうに解釈すると、正常性バイアスの解除は困難になる。

 いかにも「格好が悪い」し、どう考えても「生きる力を高める」振る舞いではないように思えるからである。恐怖や不安に取り憑かれて浮き足立っている人間と、非常時にもふだん通りに落ち着いている人間のどちらが「危機的状況を生き延びられるか?」と考えたら、誰でも後者だと思う。

 『史上最大の作戦』では、ノルマンディー上陸作戦で最悪の戦場となったオマハビーチで、ドイツ軍の機関銃掃射をうけながら葉巻をくわえて海岸を歩くノーマン・コータ准将の姿が活写されている。彼の落ち着いた適切な指示によって連合軍兵士は防御線の突破に成功するわけだが、彼はどう見ても恐怖心に取り憑かれているようには見えない。だが、彼は「正常性バイアス」に固執していたからそうしたわけではない。歴戦の軍人としてちゃんと「非常時」へのスイッチ切り替えを行なっているのである。それは「自分が見ているものだけに基づいて状況を判断しない」という節度を持つことである。

 正常性バイアスの解除とはいたずらに怖がることなく、自分が見ているものだけから今何が起きているかを判断しない。自分が現認したものの客観性、一般性を過大評価せず、複数の視点から寄せられてる情報を総合して、今起きていることを立体視することである。

 「主観的願望をもって客観的情勢判断に替える」というのが正常性バイアスの実態である。主観をいったん「かっこに入れて」、複数の視点から対象を観察する知的態度のことを「正常性バイアスの解除」と呼ぶのである。

 私が見かける「コロナマッチョ」たち(マスクをすること、ソーシャルディスタンスをとること、頻繁に手指消毒すること、人が密集する場を忌避することなどを「怖がり過ぎだ」と嘲笑したり、叱責したりする人たち)の共通点は「私の周りでは死者も重症者もいない」というところから推論を始めることである。

 「私の周り」で現認した事実をもってさし当たり「客観的事実」であるとみなす態度は、他人からの伝聞を軽々には信じないという点では現実主義的であるし、成熟した大人の態度でもあると言える。けれども、これは「正常性バイアス」のひとつのかたちである。

 正常性バイアスは「非常事態というのはなかなか起こるものではない」という判断としては適切だが、自分の個人的な感覚や知見の客観性を過大評価するという点では適切でない。

 こういう人に対して、ふだんからものごとを複眼的にとらえる知的習慣を持っている人がいる。自分の現認したことはあくまでも個人的、特殊な出来事であり、そこからの推論は一般性を要求できないという知的節度を持つ人は、いわば日常的に正常性バイアスの装着と解除を繰り返していることになる。こういう人は非常時になっても「驚かされる」ということがない。

 非常時というのは、「自分以外の視点からの情報の取り込みを一気に増大させないと、何が起きているのかよくわからない状況」のことである。だが、日常的に「自分以外の視点からの情報の取り込み」を行っている人にとっては、これは「スイッチの切り替え」というよりは、「目盛りを少し右に回す」くらいの動作を意味する。

 だから、そうすることにそれほど激しい心理的抵抗を感じずにすむ。日常的に「他者の視点」から目の前の現実を眺める仕事に慣れている人間が、最も非常時対応に適しているということになる。(後略)






  
 平時と非常時のスイッチの切り替え、対処の心構えと行動をすぐに対応することは難しいが、なるほど安全性の感覚を自分の感覚に固執しないことが危機を脱する知恵なのだと内田氏に教えられた気がする。

 複合的な視点か、それらを総合できる視点が備われば良いのだけれどそれは簡単にはできないだろう。普段からそういう柔軟な見方をしていないとなかなか身につかないと思う。