2012/9/6
最澄と空海は、その最たるものの両雄でもある。
私の様に、思う所あって、京都行を繰り返した様な人間に訪れる皮膚感覚としての歴史や人物…日本が生んだ偉人たちの事である…の中で、最澄と空海は、その最たるものの両雄でもある。
東寺を始めとして、醍醐寺、智積院、神護寺、室生寺、etc.etc.、空海の事を思わぬ寺院は無い程である。
京都の何処にいても、その山容が目に入り、私は、常に、彼の事を思う…最澄。
比叡山に行けば、先ず何よりも、最澄の事を思うのは私だけではあるまい。
最澄が修業し、入滅したという、西塔に在る浄土院の、今も、そこに最澄が居るかのような佇まいは、私の写真=私の絵として、掲載した通り。
週刊朝日の村井重俊記者が見事に書き続けている、「空海が見た宇宙」の今週号は、私が、京都行を繰り返している時に、皮膚感覚として調べていた事、知っていた事が、デジャブ(既視感)の様にして再現されている。
それも、実に見事に、明瞭に、なのである。
最澄と空海の関係というか経緯、或いは交流について、これ以上の文章も、そうそうあるものではない、そういう出来栄えなのである。
2024/8/26 in Onomichi