今日は時間が有れば21世紀の最澄から内田樹さんへ檄をとばしたいと思うのです。今朝起きた時に年初以来気になっていたことにたいしての答えが、すらすらと出てきたからです。
既述したように芥川は新聞を本当に斜め読みし出しただけではなく1月5日ぐらいまで目を通すことすら拒否していたようなものだった。それもあんまりだなと最初に読みだした時に、内田さんの、新聞の有り様についての論文が目にとまった。
内田さんと言う人は梅掉たいじんの弟子の様な方、或いはたいじんのことは尊敬されている方だと思うし、学者としても優秀、気鋭の人なのだと思う。
けれども内田さん、それは違うと僕は思うよ。あなたは日本の新聞の有り様が良いとは言わないけれども、として、階級社会である欧州の高級新聞や(発行部数を例に上げて)貧富の差の激しい世界の新聞は階級新聞である事に比べれば、日本の新聞には以下の様な功はあるとも言えるのではないか、と言っていた訳ですが。
日本人の大多数の意見は産経新聞と朝日新聞の中間に集約されている。それは、まとまりと言う意味で功としていいのではないか、と言うものだった。
内田さん、それは本当に間違い。何故そんな論になるかというと貴方も結構な有名人でこの社会のエリートの一角に安住しているからなのだ、と、芥川が、現代の最澄として檄をとばす文章は、今日、書けたら書きます。
12月30日、南禅寺金地院にて。