以下はラフの原稿である。
先ほど、我那覇真子さんがダボスからゲスト出演した、今日の朝8を観ていた。
有本香さんも大変な賞賛と出演への感謝を書いていたが、私も大きな感謝をしなければならない。
先般、「ダボス会議の主催者」という表現に遭遇して、疑問を感じた私が、直ぐにネットで検索し、ウィキペディアで、私と同様に、日本国民の大半が全く知らなかった、たった一人のドイツ人が始めた会議だった事を知って驚いた経緯を発信した。
私は、この時に、ダボス会議もまた、中国の策謀の一つだった事を確信した事も発信した。
あろうことか、史上最悪の国家である中国と、ダボス会議の親密な関係の理由が氷解したからである。
真子さんは、その私の直感=(古田博司大教授に倣えば)超越に、更に重要にして核心的な事実を教えてくれたからである。
創始者であるドイツ人クラウス・シュワブがキッシンジャーの弟子だった事はウィキペディアで知っていた。
それだけでも、私が感じていたうさん臭さに対して十分な答えだったわけだが。
読者は御存知の様に、キッシンジャーは日本と中国を正反対に認識していた様な阿呆だったのだから、ダボス会議の醜悪な実態が、今、露呈し出しているのも当然なのである。
今日、真子さんが、クラウス・シュワブが最も影響を受けた二人の人物として、キッシンジャーと、もう一人(これこそ彼の核心を衝く人物)として上げたブラジル人司祭の名前が分かりにくかったのだが。
今しがた、やっと発見した。
エルデル・カマラ(Hélder Pessoa Câmara)…この人物に間違いないはずである。
真子さんは、クラウス・シュワブが主催するダボス会議をグローバリズムの先導機関の様に考えるから間違うのだと思うと発言していた。
そうではなく、グローバル全体主義なのだと考えるべきなのである、と、彼女は言った。
彼女は、クラウス・シュワブとダボス会議の核心を衝いたのである。
クラウス・シュワブは、周囲の反対を押し切ってまで、エルデル・カマラにダボス会議で演説をさせようとしたほどに彼に心酔していた。
それは、私には、彼が習近平と異様に親密な理由も完璧に氷解させた。
以下は「エルデル・カマラ」ウィキペディアからである。
前文省略。
カマラの小冊子『暴力の螺旋』(1971年) はベトナム戦争末期に書かれ、そこで彼は構造的不正(第1段階の暴力)が反乱(第2段階の暴力)とそれに対する抑圧(第3段階の暴力)に繋がる方法であると示すだけでなく、カマラは世界の若者にこれまでの大人が陥ってきたその螺旋を壊すための処置をとるように求めた。
*日本のシールズやスエーデンのグレタ、欧州で名画にペンキをかけている大馬鹿者達、これらの愚劣な低能達の、洗脳者こそ、このエルデル・カマラであると言っても過言ではないだろう。*
この本はイギリスでは約20年の間絶版だったが、カマラの死後に再評価されスキャンされたものがウェブ上で利用可能である。
1973年にカマラは米国友会奉仕団 (AFSC) からノーベル平和賞候補に推薦された[1]。彼は地上の平和賞を受賞した。この賞は1963年のヨハネ23世の回勅『地上の平和』に因んでいる。
カマラはイヴァン・イリイチと個人的に親しい友人だった。
*この、現代産業社会批判で知られる、という、イヴァン・イリイチもまた、クラウス・シュワブの核心と繋がっているはずだ。
この稿続く。
2023/1/25, at Osaka