文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本に帰れなかった阿倍仲麻呂は晩年、安南節度使を6年も務めている。

2024年01月10日 11時18分28秒 | 全般

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も、彼が、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

臆病者の不勉強
習近平が何で台湾に固執するのか。 
それは「半植民地化の負の歴史を克服したい」という思いだと朝日新聞の林望記者が書いていた。 
習は「党総書記では初めて威海衛を訪れ、深い思いに沈んだ」(同)という。 
そこは日清戦争中、最後の海戦の舞台だった。 
砲台に守られた港内には黄海海戦を生き延びた戦艦「定遠」「鎮遠」と3隻の巡洋艦が逃げ込んでいた。 
ここならもう沈められる心配はないと思っていたら日本の水雷艇が突っ込んできて「定遠」を魚雷で仕留め、ついでに巡洋艦3隻も沈めていった。
北洋艦隊は消滅した。
あり得ない結末を見て提督の丁汝昌は生阿片をあおって自殺した。
阿片はあれで猛毒でもあるのだ。 
丁が死にたくなるのも分かる気がする。
これに先立つ黄海海戦では日本艦隊を圧倒する重量繿を擁しながら、要の巡洋艦2隻が臆病風に吹かれて敵前逃亡をやらかし、それがために大敗を喫した。 
無様な負け方で支那は「眠れる獅子」でないことがバレて露が旅順と大連を、英が威海衛を、仏が広州湾を、そして独が膠州湾をただ取っていった。 
日本は彼らと違って正当な戦時賠償として清朝が「化外の地」と忌み嫌った台湾の割譲を受けた。 
習近平はそうした恥ずかしい歴史の現場に立って支那人(漢民族)の駄目さ加減に嘆息したのかと思ったら、そうじゃなかった。 
「国力がついた今、列強から受けた苦難の歴史を克服し、本来あるべき姿に戻すときがきた」と宣言する。 
それが台湾統一だと林望記者は思い入れたっぷりに習の覚悟を書く。
因みに林望はリンボウではなく日本人のハヤシ某だ。 
尤もらしいが、何を根拠に中共政府が台湾の潜在主権を主張するのかが判然としない。
日本の台湾領有は何のまやかしもない。
同じ時期の米国のハワイ併合よりよっぽど道徳的だ。 
百歩譲って、台湾が「清朝の領土で、中共がその継承者だから取り戻す」というのなら、その前に取り返さねばならないところがあるのではないか。 
そう。ベトナムだ。 
台湾は清朝が言ったように「化外の地」で人も近寄らなかったが、ベトナムはかつて安南都護府を置いた直轄領土だ。 
日本に帰れなかった阿倍仲麻呂は晩年、安南節度使を6年も務めている。 
しかし日清戦争の少し前の清仏戦争でフランスに奪われてしまった。 
F・ルーズベルト(FDR)はそれを覚えていた。 
それでカイロ会談の折に蒋に「仏印が欲しいなら還してやる」と言った(C・ソーン『米英にとっての太平洋戦争』)。
しかし「蔣は断った」と続く。 
恐らくドーゴールが怖かったからだと言われる。 
FDRは香港も蔣に還す気で英植民地相オリバー・スタンリーに「香港は不法に奪ったものでは」とカマをかけている。 
英植民地相は「そう。確か米墨戦争のころに」とこたえる。
米国はもっとあくどい手でメキシコからカリフォルニアを奪ったじゃないかという意味だ。
習近平が本気で「半植民地化の歴史を克服」したいなら、台湾より前にベトナムを取り返して「本来の姿」に戻すのが筋だろう。 
尤も、それは1979年に一度試みている。 
中共はあれで華夷秩序にうるさい。
可愛がっていたポト派をベトナムが苛めたことを怒って懲罰に出た。 
これが中越紛争で、20万の人民解放軍が攻めたものの逆に叩きのめされ、たった二週間で3万人近くが戦死している。 
つまりベトナムにはもう二度と触れたくない。 
同じく北京条約で沿海州を脅し取った露にも還せとは言わない。
言えばプーチンのことだ。
世界へのいい見せしめになると平気で核を北京にぶち込んでくる。
怖くて言えない。 
なぜ台湾かは、ここなら勝てそうな気がするからではないのか。 
そう言えば中越紛争もそう思って仕掛けた。
臆病者こそ歴史を学ぼう。

 

2024/1/9 in Kyoto


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