以下は4/11に発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
未熟な国
ロス暴動の発端は黒人青年ロドニー・キングが白人警官らにぼこぼこにされた事件だった。
その場面を近くの人がビデオに収めて世界に流した。
カリフォルニア州地裁が暴行の罪で警官を裁いた。
評決は無罪だった。
米国では一審で無罪だと検察は控訴できないから無罪が確定する。
なぜなら評決は米国の主権者「市民」が下すから検察ごときが異議を差し挟むなどおこがましいという考え方だ。
イスラム・イランでは不倫は弁護人もつかず死刑になる。
なぜならアラーがそう決めたから。
だれも神に異論を唱えられない。
それとよく似ている。
控訴できないもう一つの理由は「控訴審とは同じ罪で再び裁く」ので「二重の危機」を禁じた憲法修正5条に明らかに違反すると解釈されたからだ。
米国が作った日本国憲法にも「何びとも同じ犯罪で重ねて責任は問われない」とある。
一事不再理と呼ぶが、日本では一審無罪でも控訴はできる。
それは「3審を通して1回の審理」と最高裁が解釈したからだ。
元が欠陥憲法でも解釈を変えればまともに運用できるいい例だろう。
しかし米国ではそういう解釈をする者はいない。
4人の警官は一審で無罪が確定した。
それが不満で黒人が騒ぎ出し、6日間も街が燃えたロス暴動に発展する。
折しもブッシュ父の再選にクリントンが挑む大統領選のさなかだった。
「4人全員が無罪では黒人票が逃げちまう」とブッシュ父はぐちる。
「裁判をやり直して有罪にしろ」
かくて司法省が動く。
州法はもう使えないから今度は連邦法の公民権法違反で引っかけた。
中身は州法での裁判と同じ。
ロドニー・キングへの暴行で裁かれる。
誰が見ても形を変えた控訴審だが、今回は州法でなく連邦法。
だから「二重の危機」には当たらないという解釈らしい。
裁判所が詭弁を見抜いて門前払いするかと思ったが、それもなし。
大統領の思い通りに訴えは受理され、法廷が開かれた。
こんな出鱈目が罷り通るのは米社会が未成熟だからという見方がある。
実際、米国では三権分立すら曖昧で、判事でも民主党か共和党かの世俗に塗(まみ)れて政治的に動く。
新聞もそれを批判しない。
1995年、ガザで米女子大生がテロの巻き添えで殺された事件があった。
遺族は怒り、立法府は急ぎテロ国家訴追法案を出した。
法案には「この法は遡及できる」と付記され、そのまま成立した。
米憲法第1条には「法の遡及を禁ずる」とあるが、誰も気にもしなかった。
遺族は喜んでイランを訴え、法廷は2億5千万ドルの支払をイランに命じた。
イランが法の不遡及で反論したが、米国は気にもしない。
正義が行われてどこが悪いと思っている。
そんなわけだから4人の警官は再び同じ事件で裁かれ、白人3人のうち2人が有罪とされた。
白人がみな有罪では白人票が逃げるし、もう1人のヒスパニック系の警官はヒスパニックの票が絡む。
よくできた判決だった。
ただ判決が出たのは大統領選が終わった5ヵ月も後で、黒人票は戻らず、あの色情狂クリントンが新大統領になっていた。
今、トランプがバイデンに挑んでいる。
バイデンはダメで、物価は上がり、不法移民と犯罪は増え、外交は失敗続きだ。
しかし彼には民主党が付いている。
各州の司法長官がトランプの過去を洗い、7年前の不倫口止め問題で訴えたり、別の検察官が機密文書持ち出しの件で告発したり。
民事でも不動産価格を偽ったとか。
併せて90件の訴訟を大統領選のさなかにぶつけてきている。
それを民主党系の判事がみな受理する。
日本の地検特捜だって正月には立件しない。
ヒトとしてのマナーがある。
米国社会はいつ成熟するのか。
哀れな国だ。
2024/4/12 in Kyoto