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再送!大道寺が過激テロに走り出したのは70年安保が終わってから。祭りの後の虚脱状態の彼に「華僑青年闘争委」が話しかけてきた。

2024年02月21日 18時03分55秒 | 全般

大道寺が過激テロに走り出したのは70年安保が終わってから。祭りの後の虚脱状態の彼に「華僑青年闘争委」が話しかけてきた。
2019年02月20日

大道寺はそれを鵜呑みにして「東アジア反日武装戦線」を立ち上げた。と題して2018-09-26に発信した章が、今、アメーバで公式ハッシュタグランキング:多発性骨髄腫37位に入っている。
以下は前章の続きである
見出し以外の文中強調と*~*は私。
『産経』の特ダネが他紙を抜く 
だから唐突に思えた。
この世に志位和夫のほかにまだ日本で共産革命が可能だと信じている愚か者がいることに大いに驚かされた。 
しかし驚くことはもっとあった。
運輸省の7階で爆発音を聞いてから8か月後の75年5月19日早朝、社会部からの電話で叩き起こされた。 
受話器を取ると聞き覚えのあるデスクの声が怒鳴っていた。
「まだ寝ているのはお前だけだ。さっさと上がってこい」と吠える。
ただ特ダネを抜かれたときのとげとげしさはなく、声は笑っていた。
「なぜかって。もう朝刊が届いているだろう。全部目を通してこい」 
産経新聞は届いていた。
1面トップに「三菱重工爆破事件の犯人クループを警視庁が今日逮捕」を知らせる白抜きの見出しが躍っていた。 
急いで他紙をみたが、三菱の「み」の字もない。
公安ネタで抜いた、新聞記者なら分かる警視庁担当記者のすごい特ダネだった。
デスクが昂奮していた理由がそれでよく分かった。
社に上がると殺気立ちながらも特ダネの昂奮が編集局の中に沸き立って伝わってくる。
社会部長は前夜から泊まり込んでいたという。 
東アジア反日武装戦線の蛮行
こっちの顔を見ると夕刊のトップをお前が書けという。
「ホシは半ダースはいる。パクリに行く刑事に記者を張りつかせているが、向こうはまく気だ。うまく逮捕現場に行きつけるかどうか。それも踏まえて逮捕の臨場感を書いてくれ」。
その少し前、逮捕に向かうデカが警視庁を出た。
結果はみんなまかれた。
それでもカメラマンのひとりが食いついて逮捕の瞬間を撮った。
それが主犯格の大道寺将司だった。
夕刊の出稿締め切りの直前だった。
カメラマンから話を聞きながら一気に180行を書きあげ、そのまま活字になった。
のちに新聞協会賞の受賞理由に「迫真の描写」と評された一文だが、個人的にも思いのある一文だった。
驚いたのは捕まった大道寺ら「大地の牙」が明かした彼らの本当の狙いだ。 
大道寺が過激テロに走り出したのは70年安保が終わってから。
祭りの後の虚脱状態の彼に「華僑青年闘争委」が話しかけてきた。
日本はアジアで蛮行を働き、搾取し、虐殺した。日本はアジア人民の抑圧者だといった。
「侵略国家日本に抵抗した支那こそ正義」という習近平の言葉と重なる。
それを70年代に支那人が左翼過激派に吹き込んでいた。
大道寺はそれを鵜呑みにして「東アジア反日武装戦線」を立ち上げた。
「朝鮮人、台湾人を皇民化し、男は皇軍の弾除けにし、女は皇軍の性処理に使われ多くは虐殺された」(大道寺の上告趣意書)ことへの報復が狙いだった。
*辻本清美などの野党政治屋たちや、朝日新聞の記者だった松井やよりと北朝鮮のスパイたちが開催した女性戦犯国際法廷を協賛した池田恵理子元NHKプロデューサーたちや米国の(これが学者と言うのだから聞いて呆れるが)アレクシス・ダデン達、日本の反日活動家たちと、世界に棲息している同様の連中は、皆、同様の(プロパガンダ以外に存在理由がないと言っても過言ではない)中国や朝鮮半島の工作下にある連中なのだと言っても全く過言ではない事に、日本国民と世界中の人たちが気づくべき時はとうに来ているのである。私は辻本清美を始めとする彼らと朝日新聞やNHKなどを「東アジア反日虚偽捏造報道による政権攻撃戦線」とでも名付けたい。*
標的は二つ。
アジアを搾取した三菱など財閥と、もう一つが虹作戦、つまり昭和天皇暗殺作戦だった。 
大道寺らは塩素酸ナトリウムを基剤にした爆薬をつくり、74年8月中旬、御用邸から戻られる天皇陛下のお召列車が通過する赤羽の鉄橋に仕掛けに行った。 
真夜中、爆薬を橋脚の下まで運んだが、大道寺が怖じ気づいて出直した。
日本人の意識が実行を阻んだ 
翌日、再び橋脚にたどり着き、あとは起爆装置をセットする段になって、大道寺がまた誰かに見はられている気がするといって撤収した。 
二度にわたって天皇暗殺計画を断念した「大地の牙」グループはここで計画を変更し、二つの缶は次の標的、三菱重工に仕掛けることになった。 
大道寺は87年、死刑が確定したが、多発性骨髄腫を患い、死に勝る苦痛の中でこの5月、東京拘置所で死んだ。
やれば抵抗なくやれた天皇暗殺を二度も断念した本当の理由を彼は最後まで語ろうとしなかった。
あるいは彼の中に残っていた僅かな日本人の意識が実行を阻んだという見方も有力だった。
支那人がどう暗示をかけても日本人は最後の一線は越えないということだろうか。
大道寺も日本人だったわけだ。               

(2017年8月号)

2024/2/13 in Kyoto

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