以下は、今しがた発見した門田隆将氏のツイートである。
私は、この河野の発言を初めて知った。
河野は英語が日本の政治家の中では話せるらしい事…実際に、彼が英語で、例えば諸外国の政治家と、通訳抜きで話しているのかどうかは、私は、全く、見た事も無いから知らないが…
それ以外は、癇癪持ちが、気に入らない質問や意見に、瞬間的に反応する能力しか、実は、持ち合わせていないのではないか。
後は、朝日新聞等の論説を読んでいるだけなのではないか。
彼の能力に疑問を抱いた私は、昨日(今朝かも知れない)ネットで初めて、彼の経歴を検索して驚いた。
あまりにも奇矯な経歴だったからである。
日本のマスメディアは、彼の経歴は知っているはずだろうに、一片の懸念も感じないでいるらしいが。
その、私が感じた驚きと、今、最も気鋭のジャーナリストの一人である門田隆将氏が抱いた、怖さには共通するものがある。
@KadotaRyusho
敵基地攻撃能力保持を“昭和の概念”と否定した河野太郎氏に私は怖くなった。
イージスアショアを相談や根まわしなく突然中止した政治手法や、自衛隊の電力の30%を“再生可能エネルギーで調達すべし”という氏の大号令を思い出したからだ。
なぜか全て中国が歓迎する政策に帰着する河野氏。
なにか恐ろしい。
以下は、私が検索して初めて知った河野太郎の経歴である。
読者の皆様も、きっと驚かれるはずである。
以下は、ウキペディアから。文中強調は私。
YWCA幼稚園、平塚市立花水小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を卒業。中略。
1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学。
この2ヶ月で退学、とは、一体、何があったのか?
*因みに、私が何度も言及するように、最近は知らないが、当時の早慶は、私立としては、当然の事なのだろうが、お金があって、有名人等の子息であれば、誰でも入れる大学だったのである。
おまけに、彼はエスカレーター式に入学した口で、成績での大学受験を突破して入学した口ではない。
少なくとも、大学入試に関しては、彼には全く突破力はなかったのだろう。
それは以下の彼の経歴にも明らかである。**
その後渡米。渡米後すぐにマサチューセッツ州アンドーバーでサマースクールに通った。
その後、コネチカット州のボーディングスクール、サフィールドアカデミー(Suffield Academy)で1年間過ごし、1982年9月にワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学、比較政治学を専攻。
1984年にジョージタウン大学を休学し、ポーランド中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)に交換留学。
1985年(昭和60年)1月にジョージタウン大学に復学。1985年12月にジョージタウン大学卒業。
ジョージタウン大学ではニューヨーク・ニックスにいたパトリック・ユーイングと同級であった。
在学中は、後に国務長官となるマデリーン・オルブライトのゼミに参加。
ワシントンでは政治活動にもかかわり、1983年(昭和58年)にはアメリカの大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員(カリフォルニア州選出、民主党)の選対本部の財務部門でボランティアをしたり、リチャード・シェルビー下院議員(アラバマ州選出、民主党。のち共和党)の下でインターンを務めるなどした。
ポーランド中央計画統計大学在学中には、当時自宅軟禁下にあった、後にポーランド大統領になるレフ・ヴァウェンサ「連帯」議長宅を訪問し逮捕され、一晩留置所で過ごしたエピソードがある。
翌日に保釈された。当時は共産党の独裁政権下で、「大学の寮の食事は、ほとんど毎食、ジャガイモと酢漬けキャベツだけだった」と語っている。
社会人時代
帰国後、1986年(昭和61年)に富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)に入社し、調査統計部に配属された。
企画部に転じた後に、サテライト・オフィスの実験を担当し、日本初の本格的サテライト・オフィスと称された「志木サテライトオフィス」の立ち上げにも関わった。
国際事業部に転じた後、シンガポールの富士ゼロックスアジアパシフィックで勤務した。
1993年(平成5年)、日本端子に転じた。
自動車や電気機器の部品メーカーで開発生産や海外輸出を担当。
後略。
*もし、いずれ、日本の要人になる可能性のある人間に対して、様々な工作を仕掛けようとする国が、あるとすれば、彼の経歴には、隙が有り過ぎる。それは怖いほどである。
今、最も気鋭の評論家であるだけではなしに、2014年8月まで、日本を支配していた朝日新聞の、吉田調書についての報道が捏造である事を見抜いた門田隆将の眼力が、河野太郎の言動に、怖くなった、と感じたのは、正鵠を射ているのではないか。
彼は、数少ない本物のジャーナリストだから、河野太郎の怖さを感じた。
ジャーナリストの基本である5W1Hなど、何処にも無い程に愚劣であるだけではなく、殆ど全社が中国の工作下にあるマスメディアは、彼の異常さ、怖さについて、何一つ感じていない。
先夜、高市氏がテレビ東京のWBSに生出演した時、テレビでは初めて観た、どでかい目玉(強度の老眼鏡を通した)で、愚劣な質問で、高市氏の政策に、ケチをつける事に終始していただけではなく、高市氏が退席した後に、女性司会者と二人で、「女性の国会議員の数が、日本は少ない」事について、まるで、高市氏に責任があるかのように断罪していた男。
おまけに、その断罪の根拠としていたのが、フランスでは云々だったのだから、猶更、愚劣だったのである。
彼らは、未だに、アメション、仏ション、欧米ションのままなのだから。
何で、日本が、フランスなんぞの真似をしなければならない。
この件については後述するが。
あの男、何と、日本経済新聞の論説主幹だった。
日経は我が家に配達はされているが、私が殆ど読まなくなったのは道理だったのである。