文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

世界の軍事史に強大なる影響を及ぼした日露戦争 

2022年12月13日 11時49分08秒 | 全般

2014年8月まで朝日新聞を購読していた私は渡部昇一氏が本物の大学者であることを全く知らなかった。
朝日新聞を購読していた殆どの人も同様だったはずである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

p223-p233

世界の軍事史に強大なる影響を及ぼした日露戦争               
日本がロシアと戦う決意をしたのは、日英同盟の成立による。
ロシアは北清事変を口実に満洲に兵を進め、いっこうに撤兵する様子がなかった。
このままでは朝鮮はいずれ完全にロシアの支配下に入ってしまう。そうなれば日本は窮地に陥ることになる。
ならば、相手は強敵だが乾坤一擲の大勝負に出るしかないと考えたわけである。 
こうして明治三十七年から三十八年(一九〇四~○五)にかけて起こった日露戦争は、世界中の人の度肝を抜くような大事件となった。
日露戦争の意義については、どんなに高く評価しても評価しきれないほどの大きな意味がある。 
というのは、世界史的に見ると、コロンブスが一四九二年にアメリカ大陸を発見して以来、白人は続々と世界に出ていって、有色人種の国を植民地にしたり、不平等条約を結んだりして、気がついたら世界地図に独立国として残っているのは、トルコ、風前の灯のシャム(タイ)、それから日本しかなくなっていた。 
そして当時の情勢から見れば、白人たちがさらに清国を分割することが確実であった。
清はアヘン戦争、アロー戦争でイギリスにこてんぱんにやられたうえに、北清事変で完全に腰が抜けてしまっている。
ロシアはどんどん南下してきて、すでに満洲はロシア頷になっており、さらに黄河以北か揚子江以北まで取る可能性があった。
それからイギリスは、香港、九龍半島に加え、揚子江沿岸も取る気があっただろう。
フラッスはすでにインドシナ(ラオス、カンボジア、ベトナム)を領有し、広州湾を取り、ドイツは 青島から膠州湾、さらに山東省の権益を取り、なんでもされ放題のありさまになっていた。
インドもセポイの反乱で全く反抗精神をなくし、ビルマ(現ミャンマー)も領土を取られており、マレーも話にならない。
インドネシアはオランダ領になっている。
アフリカはもちろん問題外であるというわけで、見渡したところ、地球の有色民族の中で白人の勢力に抵抗できそうな国は日本しか残っていなかった。
その日本がロシアと戦ったのである。
ロシアにはナポレオン戦争でナポレオンを裸にして追い返した陸軍があり、イギリスに次ぐ大艦隊を持つ海軍があった。
ロシア海軍は、当時、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊と三つの艦隊を持ち、アジアでは旅順およびウラジオストクに港を構えていた。
このような大ロシアと戦って、誰も日本が勝てるとは思わなかったであろう。
ところが、ご存じのように、日本は陸上戦で百戦百勝。
海上では、黄海の海戦、蔚山(うるさん)沖の海戦、それから日本海大海戦でロシア艦隊を撃滅した。
この戦争の結果は、世界の軍事史’にも巨大なる影響を及ぼしたのである。
というのは、ナポレオン戦争のときに最も恐れられたのはコサック騎兵隊であった。
コサックに比べれば日本の騎兵隊はとるに足らなかった。
江戸時代、日本では馬に乗った戦争がなかったため、馬は全く改良されておらず、明治初年に日本に来た外国人たちは、日本の小さな馬を見て進化論の証明になったと喜んだというぐらいのものであった。
そのため日本は、戦争に備えて馬を輸入して育成していたのである。
その日本が完全にコサック騎兵を押しとどめて、しかも陸上で白人に勝ちまくったのだから驚きである。 
これには秋山好古(よしふる)という天才が大きな役割を果たした。
絶対に勝ち目のない日本の騎兵がなぜ勝ち得たか。
これは日本軍が騎兵を歩兵として使うことを覚えたからなのだが、簡単にいえば、秋山好古は騎兵に機関銃を持たせたのである。
機関銃を持った騎兵にとって、コサックは恐れるに足らなかった。
いざとなれば馬からおりて機関銃で応戦し、向かってくるコサックをなぎ倒したのである。 
そしてまた、騎兵の強みである機動性を使って満洲の大草原を駆けめぐり、敵の背後に回ってシベリア鉄道を脅かした。
シベリア鉄道が破壊されることはロシアにとって補給線を絶たれることで、死活問題である。
大軍であればあるほど、補給線の確保は重大な問題で、ロシアは非常に神経質になった。
このようにして、秋山の「コロンブスの卵」のような発想で、騎兵隊は世界最強のコサックを打ち破ったのである。
それから、日本海海戦ではなんといっても連合艦隊司令長官、東郷平八郎の沈着大胆な指揮が光った。
それと同時に、陸軍の機関銃と同様、海軍にも新兵器があった。
それは下瀬(しもせ)火薬という四千度もの高熱を出す新しい火薬の発明である。
これが当たると、当たったところから燃えだして、船の塗装まで燃えたという。
当時の軍艦の大砲は甲板の上にあったため、甲板が火事になると戦闘能力を失ってしまったのである。
また伊集院五郎海軍大佐が考案した伊集院信管という非常に鋭敏で爆発力の高い信管なども実用化されていた。
これらは当時、イギリスの百科事典に出ているくらい注目を引いた新兵器であった。 
また木村駿吉(しゅんきち)が開発した無線電信機器によって「敵艦見ユ」の報がいち早く日本の連合艦隊に届いたことは、日本側に決定的な優位を与えた。 
こうしたことを考えると、明治維新以後、急速に発展した日本の科学力が精強なバルチック艦隊を葬ったといっても過言ではないだろう。
秋山好古による陸軍での機関銃の導入も含め、日本の軍事力は当時の世界的水準を超えていたのである。
だからこそ、ヨーロッパ最強の軍隊に勝てたのである。 
実際、日露戦争の約十年後の一九一四年にはじまる第一次大戦になると、騎兵の影が薄くなり、陸上では戦車の時代になる。
これは日本が騎兵に機関銃を使ったことが研究されて、もう騎兵では役に立たないとよくわかったからである。
一方、海上では軍艦の造り方が変わった。
つまり、大砲を甲板に置かずに塔に入れる砲塔制になる。
これも日露海戦の下瀬火薬の出現によって、甲板が燃えても戦闘能力が落ちないように工夫されたものであった。
後進国の日本が嘉永6年(1853)の黒船来航からわずか61年という短い間で、世界中の陸上、海上の戦闘形態を変えてしまったのである。
まさに世界の軍事史に残る出来事であった。 
そして、日露戦争は単に日本が大国ロシアに勝ったというだけの戦争ではなかった。
この戦争の結果は、さらに重大な影響を世界中に及ぼしたのである。
それは、有色人種の国家が最強の白人国家を倒したという事実であった。
これは世界史の大きな流れから見れば、コロンブスのアメリカ大陸発見以来の歴史的大事件といってもいい。
世界中が目を疑うような奇跡的な出来事であったのである。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。