映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

映画『肉体の冠』 - CASQUE D'OR - (ジャック・ベッケル 1951年 フランス)

2012年12月07日 00時30分40秒 | ジャック・ベッケル
肉体の冠 - CASQUE D'OR - (1951年 98分 フランス)

監督  ジャック・ベッケル JACQUES BECKER
製作  
脚本  ジャック・ベッケル JACQUES BECKER
    ジャック・コンパネーズ JACQUES COMPANEEZ
撮影  ロベール・ルフェーヴル ROBERT LE FEBVRE
音楽  ジョルジュ・ヴァン・パリス GEORGES VAN PARYS
編集  Marguerite RENOIR

配役  シモーヌ・シニョレ SIMONE SIGNORET
    セルジュ・レジアニ SERGE REGGIANI
    クロード・ドーファン CLAUDE DAUPAIN
    レイモン・ビュシェール RAYMOND BUSSIERES
    ダニエル・マンダイユ DNIEL MENDAILLE
    CASTON MODOT
    PAUL BARGE
    DOMINIQUE DAVRAY
    TRIGNOL
    ODETTE BARENCEY
    PAUL AZAIS
    LOLEH BELLON
    ROLAND LESAFFRE



『悪の掟』
マンダ
悪の道から足を洗い、大工になって堅気の世界で生きていたマンダだったのだけど、悪の世界に生きるマリーに一目惚れしてしまった彼は、好きになった女を自分のものにするために悪の道に戻っていった.
金でけりをつけるのか、それとも、邪魔な相手を殺すのか、彼は邪魔な相手を殺す決闘を選んだのだ.
自分にとって、自分達にとって邪魔な相手を殺すことによって問題の解決を図る、それが悪の世界の掟であった.

マンダは惚れた女を手に入れるために、決闘とは言え、恋敵の男を殺してしまった、正真正銘の悪党であった.
そして、人一人が死んだことを何とも思わない、その結果を当然のこととして受け入れるマリーもまた、悪女であったと言わなければならない.

ルカ
裏社会のボスのこの男、決闘による殺人を警察に密告したダンスホールの店員を、自分達に都合の悪い人間として、子分に命じて殺してしまった.
おそらく、殺人に手を下した子分が警察に捕まっても、秘密を守り通すことが彼らの掟であろうから、ボスのルカは警察に捕まることは無いであろう.
ましてや、女の騙して手籠めにした出来事などは、警察に訴えたにしても、まともな罪に問われることも無さそうである.
ルカは悪の世界のボスでありながら、子分を嘘の情報で警察に密告し、惚れた女を手に入れようとした.その結果、脱走を図ったレイモンは撃たれて命を落とすことになり、マリーはマンダを救おうと、ルカに身を任せてしまった.
この男、表社会で許されないだけでなく、裏社会でも許されない人間であり、なおかつ、他って置けば、また幾人もの殺人を犯しかねない悪党であったと言える.

表社会の視点から
悪の掟では警察へ密告することは許されない.つまり、都合の悪い相手、許されない相手は自分の力で殺す以外に方法のない考え方であり、マンダは悪の掟に従ってルカを撃ち殺す以外に道はなかったのだが.
ルカは子分に殺人を命じる殺人者でありながら、警察署長に賄賂で癒着した悪党だった.表社会では処罰されない殺人者を、マンダは裏社会の掟に従って撃ち殺したのである.

マンダは殺人犯であり、かつ脱獄犯であった.その彼が、警察署に逃げ込んだルカを、署内でピストルを奪って撃ち殺したがために、当然のごとく死刑になったのだが.
死刑とはどの様なことか?.
死刑とは、自分達の社会にとって、許されない人間、都合の悪い人間を殺すことによって問題を解決する行為である.
その行為、死刑が許される行為であるならば、表社会でも許されないルカを殺したマンダは、罪に問われないはずではないのか?.

死刑とは自分達にとって都合の悪い人間を、許されない人間として殺して問題の解決を図る行為である.
それは、悪の掟によって生きる裏社会の人間の行為と、何ら変わることのない行為であって、死刑以外に問題の解決の方法を考えることが出来ないとするならば、その考えも、裏社会の考え方と何ら変わることがないと言える.























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