若者のすべて - ROCCO E I SUOI FRATELLI - (1960年 177分 イタリア、フランス)
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 ゴッフリード・ロンバルド
原作 ジョヴァンニ・テストーリ
原案 ルキノ・ヴィスコンティ
ヴァスコ・プラトリーニ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
マッシモ・フランチオーザ
エンリコ・メディオーリ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽 ニーノ・ロータ
出演 アラン・ドロン
アニー・ジラルド
レナート・サルヴァトーリ
クラウディア・カルディナーレ
カティーナ・パクシヌー
アドリアーナ・アスティ
シュジー・ドレール
ニーノ・カステルヌオーヴォ
思い遣りと身勝手
三省堂大辞林より
あわれみ 【哀れみ・憐れみ・愍れみ・憫れみ】
かわいそうに思うこと。ふびんに思う気持ち。同情。慈悲。「―を乞う」「―をかける」
おもいやり 【思い遣り】
(1)その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。「―のない仕打ち」
(2)遠くから思うこと。想像。推量。「―異なることなき閨のうちに/源氏{帚木}」
(3)思いめぐらすこと。思慮。考え。「いにしへのすきは、―少なきほどのあやまちに/源氏{薄雲}」
憐れみも、思い遣りも、どちらも同情という意味を持つのだが、この二つの言葉が同じでないことは、容易に察しがつく.
しょうだく【承諾】
(1)他人の依頼・要求などをもっともと思い、引き受けること。承知。
(2)申し込みの意思表示と結合して契約を成立させる意思表示。
りかい【理解】
(1)物事のしくみや状況、また、その意味するところなどをわかること。納得すること。のみこむこと。
(2)相手の立場や気持ちをくみとること。
(3)道理。わけ。また、道理を説いて聞かせること。
(4)「了解{(2)}」に同じ。
承諾するとは、相手の要求を理解し、了解、了承することである.つまり、承諾とは理解である.
ラストシーンから.
帰りかけたルーカが振り返ると、兄のチーロとその恋人がキスをしていた.弟は、「今夜家においでよ」と声をかけた.家族とはどう言うものか、と、問うとき、好き合った男女が一緒になって幸せに暮らすこと、それが何より大切なことであるのは、幼い弟にも理解されたはずである.こう考えれば、大聖堂の屋根の上で繰り広げられるシーン、ナディアに対するロッコの話は、好き合った男女の仲を引き裂くものであり、湖畔の殺戮のシーンは、その結果として引き起こされたことが明瞭に理解される.
DVD付録の予告編は、この映画の封切り時にカットされた部分をお見せしましょう、と言う編集なのだけど、重要の部分がほとんど切られていた.
最初に戻って.
母親と兄弟4人は長男を頼って、正確に言えば長男の結婚予定の相手の家を頼って、南のはてから北部のミラノにやって来たのだった.おまけに一家揃って越してくるとは連絡してなかったようだ.いきなり多人数の家族にやって来られては誰だって困る.これはどのように考えても身勝手であり、一家の身勝手からこの映画は始まっている.
長男ヴィンチェンツォ.
その恋人ジネッタとの会話から.
「ほんとに好きな女なら、強引にものにしろって」、とヴィンチェンツォの母親が言ったという.『女をものにする』とは、男の身勝手な考え方.「ものにする?.親はどうでも、私の承諾だけはいるのよ」、ジネッタはヴィンチェンツォをひっぱたいて言い放つ.
結婚は、決して強引に相手をものにすることではない.結婚を承諾すると言うことは、二人が互いの心を理解し合ったと言うことのはずだ.
次男シモーネ.
試合に初勝利のその日、通りに出るとシモーネはナディアに出会った.ついさっき、お祝いに食事に行く約束をしたばかりなのに、その約束を反故にして、シモーネはナディアと二人、すたすたと夜道を行く.
弟ロッコの勤め先に押しかけてロッコの給料を前借りさせ、クリーニング代も弟に押しつけて、練習をサボって女と遊びに行ってしまった.
盗んだブローチをナディアにプレゼントしたが、容易に察しがついたナディアはロッコに返してくれるように頼んだ.盗んだ物をプレゼントしても、相手は喜びはしない.
「おまえはおれの女だ」と言い放ち、ナディアを強姦した.
「金をやるから、出て行け」と言ったら、「出て行って欲しかったら、もっと金をよこせ」と言う.
言うこともやることも全て身勝手、この男の身勝手は切りがない.
けれども家族の誰もが、彼の身勝手を正すことが出来なかった.シモーネの身勝手を放置した、その結果と言ってよいであろう、ついに最後は殺人を犯すことに.
三男ロッコ.
彼は自分の恋人ナディアに「兄を救って欲しい」と言ったのだった.けれども、言われたナディアにしてみれば、なぜ自分が嫌いな男に尽さなければならないのか、まして、自分が本当に好きな相手から、そのように頼まれるとは.仮にロッコの言葉が兄に対する思い遣りであったにしても、ナディアにしてみればロッコの身勝手な言い草に過ぎなかった.ナディアにとってロッコの言葉は、残酷なシモーネの行為に、更に輪をかけた残酷な仕打ちだったとも言える.
四男チーロ.
お祭りの街中で突然に「キスしてくれ」と、身勝手な望みを言ったチーロ.
「こんなところで」、とは言ったけれど、彼女はチーロの気持ちを分ってくれたようだ.
二人は、満足の行くまでキスした.身勝手な言葉であっても、相手が理解してくれたなら、何も身勝手ではなかった.
「パパがあんたに来てほしいって」
「今でもいい」
「いや、明日にしよう.駆け落ちのチャンスを残しとくよ」
彼女の父親は家に来てほしいといった.チーロを気に入ったようだ.けれども、明日にしようと考え直したようだ.初めて会った日に家に来いと言うのは身勝手.自分はチーロを気に入ったけれど、チーロが自分をどう思ったかは別の話.もし、チーロが自分を気に入らないのなら、娘と駆け落ちすればいい.結婚するかどうかは当人同士の問題である.彼女の父親はこんな風に理解したのでは.
末の弟ルーカ
『家族だから』『兄弟だから』と、皆が殺人を犯したシモーネを匿おうとした.匿って救おうとしたのだが、家族の中でチーロだけは、救いようがなく警察に任せる以外に方法がないことを、すぐに理解したと言える.
工場のお昼休み、末の弟ルーカはチーロに会いに来た.シモーネが警察に捕まったことを知らせに来た.....『お前は家族の中で裏切り者だ.おまえのせいで警察に捕まった』と、言いに来たのだった.
そんなルーカにチーロは自分の気持ちを、自分の考えを幼い弟に話して聞かせた.「ロッコの寛大さが.....ロッコは赦してはならない者を赦してしまった」、こんな話をしたのだが、チーロの言うことが幼いなりにも良く理解されたらしく、聞き終わってルーカは納得して帰り道についたのだった.
互いの心を正しく理解しあって、互いに思い遣りの心で接することで信頼が生まれる.四男チーロがルーカに、「いつか分かるときが来ると思うけれど」と理解を求めたのだが、その話の内容は、兄弟に対する彼なりの正しい理解に基づく思い遣りが含まれた言葉だった.
その実態は全く描かれないのだけど、チーロは夜学に通い勉強した.学ぶ、知る、と言うことは、理解すると言うことに等しい、あるいは、より理解を深める行為と言えるはず.
反対に身勝手は、家族の信頼関係を引き裂き、皆の生きる夢、希望を奪うことになった.同情、哀れみは、一見相手の幸せを願っているかに思えても、所詮は自分勝手な、身勝手な思い込みに過ぎない事であったのだ.
チーロの思い遣りが理解より派生するものであるならば、他方、ロッコがシモーネに対して見せた思い遣りは単に同情、哀れみに過ぎなかった.互いの理解が信頼を生み、そして、そこから生きる夢、希望を生み出すものならば、同情、哀れみは見事なほどになにも生み出しはしない.に留まらず、ナディアの生きる夢、希望を奪ったのは、ロッコのシモーネに対する同情心、哀れみであり、結果としてナディアは刹那的な生き方をすることになり、そうしたナディアの生き方もまた、ナディア自身もシモーネも誰も救いはしなかった.
ナディアを殺して帰ってきたシモーネに、ロッコは自分だけに話せと言ったのだった.また兄弟に言わせれば、ロッコは言い出すと聞かない性格らしい.ロッコはシモーネの不正な行いを話そうとはしなかった.自分の給料を前借りさせた件、ブローチの窃盗、ナディアを強姦し自分を殴りつけた事件、シモーネの不正な行為を兄弟に話そうとしなかった.ロッコは全ての不幸を自分一人で背負い込もうとしたのだが、その結果はシモーネが殺人を犯すことにしかならなかったのだ.皆で話し合えば互いの理解が得られ、そして理解が信頼を産むのである.けれども、シモーネの不正を秘密にしたロッコの行為は、家族の不審を産むだけであったと言える.
シモーネが金を盗んで警察に訴えられた時、ロッコは長期契約の契約金でお金を工面しようとした.長男のヴィンチェンツォは、「家庭がある」「子供が産まれたばかり」などと理由をつけてお金の工面を断った.チーロはロッコに止めるように言ったが、けれども最後は彼もまた、ロッコに従ったのだった.
シモーネがナディアの気を引くために、ブローチを盗んでプレゼントしたこと、そして強姦して、ロッコからナディアを奪い取ったこと、チーロはこうした出来事を知らなかった.チーロはロッコの工面した金を渡して、シモーネを家から追い出そうとしたのだが、全てを知っていたならば、間違いなくこの時点で、シモーネが警察に捕まる道を選んだであろう.
チーロの言葉を借りれば、シモーネの身勝手にロッコの寛大さが輪をかけることになったのだ.ロッコは丈夫な家の基礎を作るために生け贄がいると言ったが、丈夫な家族の絆のために、生け贄がいるというようにも受け取れる.ロッコとシモーネの兄弟の絆のために、生け贄としてナディアが必要だったとでも言いたかったのだろうか?.ロッコがシモーネを救うために決心した拳闘のシーンと、シモーネがナディアを殺傷するシーンが交互に進行する.ナディアを殺したのは誰なのか、誰なのか、と、問いかけるように.
ロッコは以前に試合を終えた時、このように言ったことがあった.
「敵は奴じゃなかった.誰かしらない憎い相手だった.いつのまにか渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた.嫌なことだよ」
『誰かしらない憎い相手だった』とは、シモーネに他ならない.チーロは『ロッコは聖人で、赦してはならない者を赦してしまった』と言ったのだが、正確に言えば『赦すことの出来ない者を赦してしまった』のである.チーロも全ての出来事を知っていれば、彼もこのように、あるいは、このようにも言ったであろう.
他人の金を盗んだやつは、赦してはならないかもしれないが、赦すことは出来る.けれども自分の好きな女を強姦して奪ったやつは、赦してはならないし、赦すことも出来ない.
ロッコは必至に苦しみを押さえ込んで、心をねじ曲げて、上辺の言葉ではシモーネを赦した.赦したつもりでいた.ロッコ自身、そう信じて居たであろうが.....けれども心の奥底には、歪んだ憎悪の感情を抱き続ける事になったのだ.
ロッコはシモーネに対する憎しみを心の奥底に押し殺し、それに加えてナディアの死という悲しみを心の奥底に押し殺し.....、ルーカの帰り道、道の壁に、憎しみと悲しみに満ちた顔、歪んだ心のロッコの写真が、優しさが全て失われたロッコの写真が、幾枚も幾枚も張られていた.
『勝つことは初めから分ってた』
『敵は奴じゃなかった』
『いつのまにか心の中に』
『渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた』
『嫌なことだよ』
処女を失った女は全て娼婦だった.
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 ゴッフリード・ロンバルド
原作 ジョヴァンニ・テストーリ
原案 ルキノ・ヴィスコンティ
ヴァスコ・プラトリーニ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
マッシモ・フランチオーザ
エンリコ・メディオーリ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽 ニーノ・ロータ
出演 アラン・ドロン
アニー・ジラルド
レナート・サルヴァトーリ
クラウディア・カルディナーレ
カティーナ・パクシヌー
アドリアーナ・アスティ
シュジー・ドレール
ニーノ・カステルヌオーヴォ
思い遣りと身勝手
三省堂大辞林より
あわれみ 【哀れみ・憐れみ・愍れみ・憫れみ】
かわいそうに思うこと。ふびんに思う気持ち。同情。慈悲。「―を乞う」「―をかける」
おもいやり 【思い遣り】
(1)その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。「―のない仕打ち」
(2)遠くから思うこと。想像。推量。「―異なることなき閨のうちに/源氏{帚木}」
(3)思いめぐらすこと。思慮。考え。「いにしへのすきは、―少なきほどのあやまちに/源氏{薄雲}」
憐れみも、思い遣りも、どちらも同情という意味を持つのだが、この二つの言葉が同じでないことは、容易に察しがつく.
しょうだく【承諾】
(1)他人の依頼・要求などをもっともと思い、引き受けること。承知。
(2)申し込みの意思表示と結合して契約を成立させる意思表示。
りかい【理解】
(1)物事のしくみや状況、また、その意味するところなどをわかること。納得すること。のみこむこと。
(2)相手の立場や気持ちをくみとること。
(3)道理。わけ。また、道理を説いて聞かせること。
(4)「了解{(2)}」に同じ。
承諾するとは、相手の要求を理解し、了解、了承することである.つまり、承諾とは理解である.
ラストシーンから.
帰りかけたルーカが振り返ると、兄のチーロとその恋人がキスをしていた.弟は、「今夜家においでよ」と声をかけた.家族とはどう言うものか、と、問うとき、好き合った男女が一緒になって幸せに暮らすこと、それが何より大切なことであるのは、幼い弟にも理解されたはずである.こう考えれば、大聖堂の屋根の上で繰り広げられるシーン、ナディアに対するロッコの話は、好き合った男女の仲を引き裂くものであり、湖畔の殺戮のシーンは、その結果として引き起こされたことが明瞭に理解される.
DVD付録の予告編は、この映画の封切り時にカットされた部分をお見せしましょう、と言う編集なのだけど、重要の部分がほとんど切られていた.
最初に戻って.
母親と兄弟4人は長男を頼って、正確に言えば長男の結婚予定の相手の家を頼って、南のはてから北部のミラノにやって来たのだった.おまけに一家揃って越してくるとは連絡してなかったようだ.いきなり多人数の家族にやって来られては誰だって困る.これはどのように考えても身勝手であり、一家の身勝手からこの映画は始まっている.
長男ヴィンチェンツォ.
その恋人ジネッタとの会話から.
「ほんとに好きな女なら、強引にものにしろって」、とヴィンチェンツォの母親が言ったという.『女をものにする』とは、男の身勝手な考え方.「ものにする?.親はどうでも、私の承諾だけはいるのよ」、ジネッタはヴィンチェンツォをひっぱたいて言い放つ.
結婚は、決して強引に相手をものにすることではない.結婚を承諾すると言うことは、二人が互いの心を理解し合ったと言うことのはずだ.
次男シモーネ.
試合に初勝利のその日、通りに出るとシモーネはナディアに出会った.ついさっき、お祝いに食事に行く約束をしたばかりなのに、その約束を反故にして、シモーネはナディアと二人、すたすたと夜道を行く.
弟ロッコの勤め先に押しかけてロッコの給料を前借りさせ、クリーニング代も弟に押しつけて、練習をサボって女と遊びに行ってしまった.
盗んだブローチをナディアにプレゼントしたが、容易に察しがついたナディアはロッコに返してくれるように頼んだ.盗んだ物をプレゼントしても、相手は喜びはしない.
「おまえはおれの女だ」と言い放ち、ナディアを強姦した.
「金をやるから、出て行け」と言ったら、「出て行って欲しかったら、もっと金をよこせ」と言う.
言うこともやることも全て身勝手、この男の身勝手は切りがない.
けれども家族の誰もが、彼の身勝手を正すことが出来なかった.シモーネの身勝手を放置した、その結果と言ってよいであろう、ついに最後は殺人を犯すことに.
三男ロッコ.
彼は自分の恋人ナディアに「兄を救って欲しい」と言ったのだった.けれども、言われたナディアにしてみれば、なぜ自分が嫌いな男に尽さなければならないのか、まして、自分が本当に好きな相手から、そのように頼まれるとは.仮にロッコの言葉が兄に対する思い遣りであったにしても、ナディアにしてみればロッコの身勝手な言い草に過ぎなかった.ナディアにとってロッコの言葉は、残酷なシモーネの行為に、更に輪をかけた残酷な仕打ちだったとも言える.
四男チーロ.
お祭りの街中で突然に「キスしてくれ」と、身勝手な望みを言ったチーロ.
「こんなところで」、とは言ったけれど、彼女はチーロの気持ちを分ってくれたようだ.
二人は、満足の行くまでキスした.身勝手な言葉であっても、相手が理解してくれたなら、何も身勝手ではなかった.
「パパがあんたに来てほしいって」
「今でもいい」
「いや、明日にしよう.駆け落ちのチャンスを残しとくよ」
彼女の父親は家に来てほしいといった.チーロを気に入ったようだ.けれども、明日にしようと考え直したようだ.初めて会った日に家に来いと言うのは身勝手.自分はチーロを気に入ったけれど、チーロが自分をどう思ったかは別の話.もし、チーロが自分を気に入らないのなら、娘と駆け落ちすればいい.結婚するかどうかは当人同士の問題である.彼女の父親はこんな風に理解したのでは.
末の弟ルーカ
『家族だから』『兄弟だから』と、皆が殺人を犯したシモーネを匿おうとした.匿って救おうとしたのだが、家族の中でチーロだけは、救いようがなく警察に任せる以外に方法がないことを、すぐに理解したと言える.
工場のお昼休み、末の弟ルーカはチーロに会いに来た.シモーネが警察に捕まったことを知らせに来た.....『お前は家族の中で裏切り者だ.おまえのせいで警察に捕まった』と、言いに来たのだった.
そんなルーカにチーロは自分の気持ちを、自分の考えを幼い弟に話して聞かせた.「ロッコの寛大さが.....ロッコは赦してはならない者を赦してしまった」、こんな話をしたのだが、チーロの言うことが幼いなりにも良く理解されたらしく、聞き終わってルーカは納得して帰り道についたのだった.
互いの心を正しく理解しあって、互いに思い遣りの心で接することで信頼が生まれる.四男チーロがルーカに、「いつか分かるときが来ると思うけれど」と理解を求めたのだが、その話の内容は、兄弟に対する彼なりの正しい理解に基づく思い遣りが含まれた言葉だった.
その実態は全く描かれないのだけど、チーロは夜学に通い勉強した.学ぶ、知る、と言うことは、理解すると言うことに等しい、あるいは、より理解を深める行為と言えるはず.
反対に身勝手は、家族の信頼関係を引き裂き、皆の生きる夢、希望を奪うことになった.同情、哀れみは、一見相手の幸せを願っているかに思えても、所詮は自分勝手な、身勝手な思い込みに過ぎない事であったのだ.
チーロの思い遣りが理解より派生するものであるならば、他方、ロッコがシモーネに対して見せた思い遣りは単に同情、哀れみに過ぎなかった.互いの理解が信頼を生み、そして、そこから生きる夢、希望を生み出すものならば、同情、哀れみは見事なほどになにも生み出しはしない.に留まらず、ナディアの生きる夢、希望を奪ったのは、ロッコのシモーネに対する同情心、哀れみであり、結果としてナディアは刹那的な生き方をすることになり、そうしたナディアの生き方もまた、ナディア自身もシモーネも誰も救いはしなかった.
ナディアを殺して帰ってきたシモーネに、ロッコは自分だけに話せと言ったのだった.また兄弟に言わせれば、ロッコは言い出すと聞かない性格らしい.ロッコはシモーネの不正な行いを話そうとはしなかった.自分の給料を前借りさせた件、ブローチの窃盗、ナディアを強姦し自分を殴りつけた事件、シモーネの不正な行為を兄弟に話そうとしなかった.ロッコは全ての不幸を自分一人で背負い込もうとしたのだが、その結果はシモーネが殺人を犯すことにしかならなかったのだ.皆で話し合えば互いの理解が得られ、そして理解が信頼を産むのである.けれども、シモーネの不正を秘密にしたロッコの行為は、家族の不審を産むだけであったと言える.
シモーネが金を盗んで警察に訴えられた時、ロッコは長期契約の契約金でお金を工面しようとした.長男のヴィンチェンツォは、「家庭がある」「子供が産まれたばかり」などと理由をつけてお金の工面を断った.チーロはロッコに止めるように言ったが、けれども最後は彼もまた、ロッコに従ったのだった.
シモーネがナディアの気を引くために、ブローチを盗んでプレゼントしたこと、そして強姦して、ロッコからナディアを奪い取ったこと、チーロはこうした出来事を知らなかった.チーロはロッコの工面した金を渡して、シモーネを家から追い出そうとしたのだが、全てを知っていたならば、間違いなくこの時点で、シモーネが警察に捕まる道を選んだであろう.
チーロの言葉を借りれば、シモーネの身勝手にロッコの寛大さが輪をかけることになったのだ.ロッコは丈夫な家の基礎を作るために生け贄がいると言ったが、丈夫な家族の絆のために、生け贄がいるというようにも受け取れる.ロッコとシモーネの兄弟の絆のために、生け贄としてナディアが必要だったとでも言いたかったのだろうか?.ロッコがシモーネを救うために決心した拳闘のシーンと、シモーネがナディアを殺傷するシーンが交互に進行する.ナディアを殺したのは誰なのか、誰なのか、と、問いかけるように.
ロッコは以前に試合を終えた時、このように言ったことがあった.
「敵は奴じゃなかった.誰かしらない憎い相手だった.いつのまにか渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた.嫌なことだよ」
『誰かしらない憎い相手だった』とは、シモーネに他ならない.チーロは『ロッコは聖人で、赦してはならない者を赦してしまった』と言ったのだが、正確に言えば『赦すことの出来ない者を赦してしまった』のである.チーロも全ての出来事を知っていれば、彼もこのように、あるいは、このようにも言ったであろう.
他人の金を盗んだやつは、赦してはならないかもしれないが、赦すことは出来る.けれども自分の好きな女を強姦して奪ったやつは、赦してはならないし、赦すことも出来ない.
ロッコは必至に苦しみを押さえ込んで、心をねじ曲げて、上辺の言葉ではシモーネを赦した.赦したつもりでいた.ロッコ自身、そう信じて居たであろうが.....けれども心の奥底には、歪んだ憎悪の感情を抱き続ける事になったのだ.
ロッコはシモーネに対する憎しみを心の奥底に押し殺し、それに加えてナディアの死という悲しみを心の奥底に押し殺し.....、ルーカの帰り道、道の壁に、憎しみと悲しみに満ちた顔、歪んだ心のロッコの写真が、優しさが全て失われたロッコの写真が、幾枚も幾枚も張られていた.
『勝つことは初めから分ってた』
『敵は奴じゃなかった』
『いつのまにか心の中に』
『渦巻いていた憎悪を、相手にぶつけていた』
『嫌なことだよ』
処女を失った女は全て娼婦だった.