映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

『夜』 - LA NOTTE - (ミケランジェロ・アントニオーニ)

2014年06月08日 02時19分24秒 | ミケランジェロ・アントニオーニ
『夜』 - LA NOTTE - (1961年 122分 イタリア/フランス)

監督  ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本  ミケランジェロ・アントニオーニ
    エンニオ・フライアーノ
    トニーノ・グエッラ
撮影  ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ

出演  ジャンヌ・モロー
    マルチェロ・マストロヤンニ
    モニカ・ヴィッティ
    ベルンハルト・ヴィッキ


喧騒と静寂(孤独)、近代建築と古い建物(廃墟)

現在でも相当な高層建築、当時ならば目を見張るような高層建築の、上層階から下りてくるエレベータから、おそらくこれから建設が始まるであろう空き地、建設中のビル、そうした変化して行く街並みを映しながら映画は始まる.

開発(都市開発)
病院に着いた車の目の前に、パワーショベルが投げ出されるように倒れてきた.
開発とは、破壊なのか?、創造なのか?

病院
残された命がどれほどもないことを知った病気の人は、孤独なはず.孤独から逃れるために、誰でも良い、側に居てくれることを望むのではないでしょうか.それは、評論家の男も、隣の病室の女も同じであったと思われる.
若い頃から評論家の男は、作家の妻になった女が好きで、その事は、妻も夫も気がついていたことのようだ.彼は二人が結婚してからも、新婚家庭の甘い夜を邪魔したことを詫びていた.
好きな相手なら、なおさら側に居て欲しかったであろうけれど.その気持ちを知ればなおさらに、末期の病人を前にして、一緒にいても、気休めの言葉、嘘の言葉を並べるしかない、その辛さに耐えかねて、女は一人病室を出て、病院の建物の外で泣いていた.

出版記念のパーティ
「次作の予定は?」
「未だ何も」
「若者は、せっかちだ」
あの若い女性は、出版されたばかりの本を読み終えたかどうか?、なのに、次の作品について知りたがった.
そして、少し付け加えれば、若者は刺激的な内容、奇抜な内容、つまりは今までにない新しい内容を期待するのではないでしょうか?

若者たち
喧嘩をしている者達.必死になって殴り合っていたけど、「止めて」と止めたら、喧嘩かを止めて、そして、今度は女を追いかけてきた.
なぜ喧嘩をしていたのか、理由は分からない.そして、なぜ女を追いかけてきたのかも解らないけれど、若者とは、理由もなく何かに夢中になる.

おもちゃのロケットを打ち上げているのを、多くの者達が見物していた.
「月に行きたい?」
「別に」
夢中にはなっていたけれど、そこに夢、希望があるわけではないらしい.振り返れば、夢中になって喧嘩をしている者達にも、喧嘩をする行為に夢、希望があったとは言い難い.

古い建物、廃墟、空き地
「昔のままだな」
「今に変わるわよ」
「昔、ここを電車が...」
今は、街角にぽつんと一軒、小さなカフェがあるだけ.
けれども、残っている廃墟の建物を見ると、結構洒落た建物が並んでいる.往時はきっと賑やかな街だったのでしょう.

「迎えに来て」と言う電話を、カフェのおばさんは、仕事をしながら聞いていたらしい.
「会うならホテルにすれば?」
その辺は、空き地か廃墟の建物ばかり.男女の一時の欲望を満たすならば、ホテルに行くのが、難しい話し、回りくどい話をする必要も無く、手っ取り早い.
(「なぜここに来た?」「別に」、こんな話を、する必要はない.)

女=妻
妻は出版記念の会場を抜け出して、一人街をさまよい歩いた.彼女は、(どちらかと言えば)孤独を好む女性のようだ.
近代的な建物の側に、半分崩れ落ちた古い建物が残っていた.廃墟かと思ったら、洗濯物が乾してあることから人が住んでいて、おそらく住人であろう、少女が一人、泣いていた.捨てられ、止まったままの時計は、そこだけが取り残されて止まったままの空間を思わせる.
街角でパンにかぶりつく郵便配達、あるいは、家の中で読み物をしていた人は、自ら孤独を望んだであろう、自分を観られて迷惑そうにした.それに対して、泣いていた少女、あるいは、ヨーグルトを無心に食べていた老婆は、自ら望んだ孤独ではなく、他から与えられた孤独と言って良いのか、アヤされても、目の前を通られても、無関心だった.


家に帰っても、先に帰ったはずの妻が未だ帰っていなかった.家の中を探し回り、隣の家にも声をかけて探し、更にはベランダに出て妻が早く帰ってこないか、待ちわびる様子だった.
このような素振りから、彼は妻を愛しているように思えたのだが、けれども、入浴中の裸の妻に接するときの愛想のない様子を観ると、そうも言えないような感じ.彼は寂しがりや、つまり孤独が嫌いな男にすぎず、妻と一緒にいたいのに一緒にいても退屈していて、内心は、新しい刺激を求めている男なのが、後になって解ることになる.

ナイトクラブ
夫は興味を持って観ている素振りでいたが、後の妻の言葉によれば、『仕草も表情もわざとらしい』セクシーダンスを、夫も退屈して観ていたらしい.

富豪のパーティ
富豪の娘は、孤独が好きな女のようだ.難しい本を一人で読んでいたり、一人でゲームに夢中になっていたり.そうした孤独を邪魔するように、夫は彼女に言い寄っていった.最後には『スランプから抜け出すには君が必要だ』、とまで言ったのだけど、どこまでが本当のことなのやら、ただの口説き文句に過ぎなかったのではないか?.
富豪の娘と夫がキスをしているのを目撃した妻.それでも彼女は孤独に耐えようとしたのだが、夫は、テラスに自分を一人残して、富豪の娘のお尻を追いかけていってしまった.
やがて妻も、それまでは、あたかも孤独を好むかのごとく、男を避け続けていた彼女だったけれど、一時の欲望を満たすために、あるいは新しい刺激を求めたのか、男の誘いに乗って、降りしきる雨の中を車で一緒に出掛て行った.けれども、ふと我に返って思いとどまった.

富豪の娘と妻は、夫を、一人の男を巡って喧嘩になりかけたけれど、仲良くなりました.二人とも孤独を好きというよりも、孤独を理解する女であったので、互いの心を理解することができたと言ってよいのでしょうか.

夜を徹してのパーティ、刺激的だった夜が明けて、二人は帰ることにした.
庭を抜け、ゴルフ場へ歩く二人.
妻は別れ話を始めるが、別れるのは嫌だという.
妻がラブレターを読み始めた.若い女心を魅了する、刺激的な文章だった.夫は「誰の手紙だ?」と聞いた.作家のくせに、自分の書いたラブレターを覚えていない男だった.
彼女は、若い頃、夫の上辺だけの言葉を信じ込んで結婚してしまった.今でも、夫は自分と一緒にいたがるけれど、けれども、一緒にいても退屈ばかりしている.そして、事あれば、新しい刺激を求めたがり、若い魅力的な女性を見つければ、すぐに夢中になって口説き始める、そんな男に過ぎなかった.
その事をはっきりと理解した妻は、夫に『別れよう、あなたは私を愛していない』と言うのだが、けれども夫は『愛している、愛している』と言って、妻に抱きつき、離れようとしない.この二人、この後、別れたのかどうなのか?

富豪の言葉
『私にとって事業は芸術だ.大事なのはお金ではなく、後世に何かを残すことだ』
『未来のことなど分らんよ、一応の抱負はあるが今のことだけで手一杯だ」
「未来は不透明だ、今や事業家とて仕事に自身が持てん」
『はるか昔、若い頃は、バラ色の夢見て働いたものだ』
そして彼は、
『社の活性化には、労使間の意志疎通が欠かせない.今の社員は、社の沿革はもとより創始者の私のことも知らん』
『出版部や広報部を創設して、社員を啓蒙しようと.そこで思いついたのが社史の発行だ』

断片的な言葉なのですが、なんとなく分るはず.後世=未来に何かを残そうと思うならば、社の沿革=歴史を知らなければならない.
富岡製糸工場を残し、保存してきた方達は、工場の歴史を学んだからのはず.
決して新しい綺麗な街を作ること、都市の再開発を否定するものではありません.けれども、古いものを壊そうとするとき、その歴史を学んでからでも遅くはないはずであり、また、新しいものを作ろうとするとき、古いものの歴史を学んでからでも遅くはないはず.
ことさら許されないのは、自分の書いたラブレターを憶えていなかった作家のように、一時の欲望を満たすため、刺激を求めるために、新しいものを求めること.すぐに飽きるのは当然である.
彼は、寂しがり屋で、孤独を嫌う人間だったけれど、皆で議論を戦わせるだけでなく、自分一人(孤独)になって、冷静な気持ちで判断することも必要なはずである.
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新しい国立競技場
デザイン決定に関わった委員の人達の中に、後日迷いが出てきた人がいるらしい.奇抜なデザインに引かれ選んだのだけど、幾日かたって冷静になって考えてみると、なんとも頂けないデザインに思えてきたのではないのか?

収容人員8万人程の、世界最大の競技場らしいけれど、世界一を望むのは一時の欲望に過ぎないのではないのか.
めったにそんな人数の観客を集めることは出来ない.そのため、若者向けのコンサートを行えるように、屋根を付けたりと考えているらしいけれど、若者向けにそんな設備を作る必要があるのかどうか?.
大きな施設を作れば維持費もかかる.多くの人が直接自分の目で見て競技を楽しめるようにと言ってみても、楽しく競技を観戦できる施設の大きさは限られているはず.離れた席から観戦するより、テレビで観ていた方が楽しいのではないのか.
(お金と相談も、当然必要)

同じ建築家の設計した大規模商業施設が韓国にあり、周りと調和しない景観が問題になっているらしいけれど、なぜ選ぶ前に観に行かなかったのか疑問でなりません.選んだ人達は、映画に描かれた夫婦のように、一時の感情により、刺激的なデザインに引かれただけにしか思われないのですが、どうなのでしょう.男と女の問題ならば、別れれば解決できるけれど、建物の場合はそうは行かない.気に入らなくて嫌だ嫌だと言ったにしても、あるいは皆が新たな刺激を求めて他所へ移って行ってしまっても、建物の維持費は、いつまでも払い続けなければなりません.


https://www.youtube.com/watch?v=vrT-slcjaLk