2014年4月30日 福井県 早朝
金ケ崎城跡 (金ヶ崎山)
福井県敦賀市金ヶ崎町
敦賀湾を一望する小高い山、そこに『金ヶ崎城跡』があります。延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。戦いは激しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。中腹の金崎宮には、その両親王が祀られています。また、この地には戦国時代の「つはものども」の気迫を今に伝える、数々の逸話も残っています。 ―時は元亀元(1570)年4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎(豊臣秀吉)の活躍で、無事帰京できたという― 姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康…金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっているのです。敦賀観光案内サイトより
以前ここにお城があったことはこの石碑でわかるが今はなにもありません!
▲金崎宮
▲敦賀港
▲敦賀湾
月見御殿(南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡)より
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