2019年11月15日 【岡山2019】
備中松山城 100名城
岡山県高梁市内山下
岡山県岡山市の北西にあった,戦国時代の平城で城跡は国の史跡。正しくは高松城であるが,四国讃岐の高松城と区別するため備中を冠して称されることが多い。石川氏による築城で,のちに毛利方の清水宗治が城主となる。重要な拠点であったが,羽柴秀吉の中国攻めの際に攻めあぐねた秀吉が,近くを流れる足守川の水を引き込んで城周辺を水で満たし,水攻めを行った史実はあまりにも有名。
大手門の石垣
天然の岩盤を利用している。見所・・・
▲三の平櫓東土塀 重要文化財
▲幾重に重なる石垣 見所
▲城内で最も古い石垣 野面積▼
▲南御門から入城 一番右が天守閣
▲右:五の平櫓 左:六の平櫓
▲天守閣
▲五の平櫓と天守閣(右奥)
▲天守閣 重要文化財
松山城の天守は、構造などは不明であるが毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられている。現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされるが、慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれる。
▲左:五の平櫓 左:六の平櫓
▲二重櫓
▲武者窓
▲天守閣 最上部
二重櫓へ向かう
▲二重櫓
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