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岡山城(100名城)2022~岡山県岡山市北区丸の内

2023-01-08 05:55:02 | 100名城

2022年12月20日 岡山県

岡山城(100名城)2022

岡山県岡山市北区丸の内

岡山城は宇喜多秀家の居城として知られています。天守は戦争で焼失しましたが、1966年(昭和41年)に外観復元されています。岡山城の外観は黒漆塗の下見板張りが特徴的で、見た目の印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、「白鷺城」とも呼ばれる姫路城と対比されることもあります。

廊下門

本丸の搦め手(裏手)にある櫓門で、門の上に敵を迎え撃つ上屋がありました。上屋は本段(城主の住居)と中の段(政治の場)を結ぶ城主専用の廊下としても使用されており、廊下門と呼ばれていました。1966年に再建されました。

月見櫓 重要文化財

本丸の裏・北西方向を守る櫓。1620年代に池田忠雄が築いた実物で、国の重要文化財に指定されています。城外側からみると二階建ですが、城内側からみると三階建で、一番下の階は土蔵となっています。

城外側には、鉄板で覆われ下部に石落のある出窓があって、敵を監視、迎撃するための軍備を高めています。城内側では最上階に高欄と廻縁(手すりと縁側)があり、天井板も張られて、月見櫓の名のとおり風格を高めた造りです。戦国時代の終わりにあたり和戦両様の特徴を持った櫓といえるでしょう。

▼泉水

 表書院の中庭にあった泉水を復元したもので、発掘調査で出土した遺構は地下に保存されている。水が漏らないように底に漆喰(しっくい)を貼り、北東の井戸から備前焼の土管で給水する仕組みで、中の島に湧水口(ゆうすいこう)を設けていた。

▼黒鉄門

「くろがね」は鉄のことで、木の部分を鉄板でおおったいかめしい門だったためこの名になったといいます。下の段の南側から中の段の表書院(政治の場)へ通じる櫓門でした。※現在、門は存在しません。

▼不明門

本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門です。本段には藩主が暮らす御殿(江戸城でいう大奥)があり、限られた人しか入れませんでした。よってこの門は普段閉ざされ、それが名の起こりとなりました。江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたといいます。この門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されました。

▼天守の礎石

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