東京都の洋館⑤
青淵文庫・晩香廬(旧渋沢家飛鳥山邸)(重要文化財)
東京都北区西ヶ原
▲青淵文庫
▲晩香廬
旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。
渋沢栄一は、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ)や東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。
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常盤台写真場
江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)
健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。 照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。竣工:昭和12(1937)年
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迎賓館( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)2015 前庭
東京都港区元赤坂
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
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復興記念館
東京都墨田区横網
東京都復興記念館の敷地は、もと陸軍被服廠のあった所で、東京市がこれを買い受けて1923年(大正12年)に横網町公園の造営整備に着手したとき、図らずも関東大震災が発生し、東京市の遭難死者は58,000人に上った。東京市は犠牲者の霊を追悼し、また不言の警告を将来に残そうと、被服廠跡に震災記念堂を建設し、災害に対する不断の準備とその予防知識を普及するため、附属施設として東京都復興記念館を建設した。
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雑司が谷旧宣教師館
東京都豊島区雑司が谷
この建物は、木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です
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星薬科大学本館
東京都品川区荏原
大正13年に完成した星薬科大学のシンボル的建物です。世界的な建築家 アントニン・レイモンドによる設計で、創立者 星 一(ほしはじめ)が米国留学時に学んだコロンビア大学のローホールを模しています。
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旧文部省庁舎(登録有形文化財)
東京都千代田区霞ヶ関
霞が関官庁街における震災復興庁舎の好例。大蔵省営繕管財局の設計で、施工は大林組。鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼とする。正方形に近い大きな窓による立面構成と正面玄関上部の垂直性を強調した意匠に特徴がある。昭和7年
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東京都の洋館①
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