街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
国道から旧道へ
▲旧道は左
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
国道から旧道へ
▲旧道は左
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
鬼の首塚
伝説によれば、鎌倉初期の建久年間、鬼岩(国指定名勝天然記念物)に住み着き、悪さをして御嵩の人々を困らせていた関の太郎という鬼がいた。正治元年(1199)地頭・纐纈源吾盛康の使いであった4人の武士は、市で謀りをしてこの鬼の首をはねた。その首を運ぶ途中、急に重くなったのでここに埋めた。それがここ「鬼の首塚」である。 弥次喜多道中で知られる「木曽街道続膝栗毛」の作者「十返舎一九」も「追縄手、今もその名を朽ちざりき、塩漬けにせし鬼の首かも」と詠んでいる。御嵩町観光協会HPより
▲付近の国道21号の様子
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2013年3月9日 岐阜県
愚渓寺
岐阜県可児郡御嵩町中2635−1
愚渓寺の創建は応永年間(1394~1428)、義天玄承(妙心寺5世)によって開山したのが始まりとされ美濃国守護代の斎藤利永が寺領を寄進するなど庇護した事で寺運が隆盛します。当初は鈴が洞にあり愚渓庵と称していましたが永正3年(1506)に美濃守護職土岐美濃守政房により現在の寺号である愚渓寺に改称しています。天保年間(1830~44)に現在地に移され2重塔(棟梁:野村作十郎)の建立など境内が整備、義天玄承が「臥竜」と名付け、竜安寺の庭園の原形になったとも云われる石庭も忠実に再現されました。
臥竜石庭
山門の瓦
▲亀?
▲鳳凰?
▲龍
▲虎
▲菩提樹 御嵩町名木▼
▲愚渓寺稲荷
▲二重塔
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
愚渓寺
岐阜県可児郡御嵩町中2635−1
愚渓寺の創建は応永年間(1394~1428)、義天玄承(妙心寺5世)によって開山したのが始まりとされ美濃国守護代の斎藤利永が寺領を寄進するなど庇護した事で寺運が隆盛します。当初は鈴が洞にあり愚渓庵と称していましたが永正3年(1506)に美濃守護職土岐美濃守政房により現在の寺号である愚渓寺に改称しています。天保年間(1830~44)に現在地に移され2重塔(棟梁:野村作十郎)の建立など境内が整備、義天玄承が「臥竜」と名付け、竜安寺の庭園の原形になったとも云われる石庭も忠実に再現されました。
臥竜石庭
竜安寺の庭園にそっくり
山門の瓦
▲亀?
▲鳳凰?
▲龍
▲虎
▲菩提樹 御嵩町名木▼
▲愚渓寺稲荷
▲二重塔
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
旧道の様子
▲卯建のある旧家▼
▲旧道は左ですが 右にまがり 愚渓寺へ
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
御嵩駅前の様子
▲右の壁は蟹薬師 正面が御嵩駅 御嵩駅前を右折しウォーク開始
▲中津川方向
▲伏見へ続く旧道
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2013年3月9日 岐阜県
蟹薬師
岐阜県可児郡御嵩町1377
中仙道御嵩宿の中心に位置しており、最澄が旅の途中に施薬院を建立したのが始まりとされ、正式名称は大寺山願興寺と言。通称で蟹薬師また地域名から可児(かに)大寺とも呼ばれた天台宗の古刹であす。一条院の皇女行智尼が住んだとされ、本尊の薬師如来を信仰する人々で栄えました。
▲本堂
▲本堂脇
▲本堂裏
▲鐘楼
▲山門の瓦 蟹のようでもあります
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅
2013年3月9日 17回目
蟹薬師
岐阜県可児郡御嵩町1377
中仙道御嵩宿の中心に位置しており、最澄が旅の途中に施薬院を建立したのが始まりとされ、正式名称は大寺山願興寺と言。通称で蟹薬師また地域名から可児(かに)大寺とも呼ばれた天台宗の古刹であす。一条院の皇女行智尼が住んだとされ、本尊の薬師如来を信仰する人々で栄えました。
▲本堂
▲本堂脇
▲本堂裏
▲鐘楼
▲山門の瓦 蟹のようでもあります
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街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿(各務原駅)
2013年3月9日 17回目
新可児駅 名古屋鉄道広見線
岐阜県可児市下恵土今広
新可児駅(しんかにえき)は、岐阜県可児市下恵土今広にある名古屋鉄道広見線の駅。日本ライン今渡 駅(2.7km)← →(3.5km) 明智駅
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