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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

日坂宿高札場~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:29:49 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

日坂宿高札場

幕府や藩の定めた法令や禁令を板札に墨書したものを高札、しの掲げられた場所を高札場といいます。高札場は人々の注目をひきやすい所に設置され、日坂宿では相伝寺観音堂敷地内にあり、下木戸の高札場ともいわれていました。 高札の内容は日坂宿が幕領であったため公儀御法度(幕府法)が中心で年代によって若干の書き換えがありました。ここに掲げられている八枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間のものを復原いたしました。高札場の大きさ「高さ二間、長二間、横七尺」は日坂宿の「御尋二付申上候」書付(天保十四年)によりました。

高札小史

◎正徳元年(1711)日坂宿の高札場設けられる。このときの高札五枚(親子・切支丹・火付・伝馬・毒薬)は幕末まで続いた。

◎慶応四年(明治元年・1868)大政官布告により従来の高札を撤去し新たに五枚(五傍の掲示)を掲げた。

◎明治六年(1873)高札が法令公布の方式として適さないとの見地から撤去された。

☆cosmophantom


秋葉常夜灯2~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:29:45 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

秋葉常夜灯2

 

日坂宿はしばしば火災にあっているためか、火伏せ(火防=ひぶせ)の秋葉信仰が盛んであったようです。 当時の人々は神仏のご加護を願い秋葉講を結成し分社や常夜燈をなどを各所につくりました。秋葉常夜燈は秋葉神社に捧げる灯りをともすためのもので、辻などにの人目につきやすい場所に建てられました。日坂宿には弘化二年(1845)に建立された、この常夜燈の他に、本陣入口と相伝寺境内の計三基が遺っております。 秋葉山のほかに「駅中(宿内のこと)安全」とあるのは、火災を恐れる気持ちの強さを示していると言ってもよいでしょう。

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