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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

稚児橋のカッパ君(静岡県静岡市清水区江尻町)~旧東海道を歩く(6回目)

2011-06-03 11:34:53 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<蒲原宿(駅)~府中宿(静岡駅)
2011年6月1日 6回目

稚児橋のカッパ君

静岡県静岡市清水区江尻町

庵原郡江尻駅〔宿〕に巴川がある。伝承によると、慶長16年(1611)9月、家康公の命令でここに橋が架けられた。渡り初めで、一番年老いた夫婦が先頭を歩いていたが、巴川より奇児が突然現れて橋の上を駿府の方角に歩き去ったという。このためこの橋を稚児橋というようになった。これは河童の類といわれている。〔駿国雑誌〕(財)静岡観光コンベンション協会のHPより

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江尻宿 東木戸跡~旧東海道を歩く(6回目)

2011-06-03 11:34:51 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<蒲原宿(駅)~府中宿(静岡駅)
2011年6月1日 6回目

江尻宿 東木戸跡

 

江尻宿東端の出入口おして、辻村と本郷の境に木戸(見付)があった。この付近は道路が桝形ではないが「く」の字形に曲がり、外から宿内を見通すことができないように工夫してある。木戸の脇には番小屋も建っていたものと思われる。平成13年2月「生き活き」街づくり辻の会  

 

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細井の松原~旧東海道を歩く(6回目)

2011-06-03 11:34:50 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<蒲原宿(駅)~府中宿(静岡駅)
2011年6月1日 6回目

細井の松原

 慶長6年(1601)徳川家康は東海道五十三次の宿場を制定し、江尻宿場が設置された、同9年(1604)二代将軍秀忠は江戸へ通ずる主要街道の大改修を行い江戸防備と旅人に安らかな旅ができるよう樽屋藤右衛門、奈良屋市右衛門を工事奉行に任命して街道の両側に松の木を植えさせ同17年(1612)完成したと伝えられている。元禄16年(1703)駿府代官守屋助四郎の検地によると辻村戸数110戸 松原の全長199間2尺(約360米)松の本数206本とあり、松原に「松原せんべい」を売った茶店があったと伝えられている。当時の旅人は、夏にはこの松陰で涼み、冬には茶店で憩い旅の疲れを癒したりした。ほそいの松原は太平洋戦争の時松根油(航空機燃料)の原料として伐採されたので現在その跡もない。いまの松は平成4年2月、社団法人清水青年会議所から寄贈され植樹されたものである。辻地区まちづくり推進委員会 説明板記載内容

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薩埵峠頂上~旧東海道を歩く(6回目)

2011-06-03 11:34:40 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<蒲原宿(駅)~府中宿(静岡駅)
2011年6月1日 6回目

薩埵峠頂上

静岡県静岡市清水区由比町

由比町と静岡市の境、駿河湾に突き出した山の裾にある峠で、歌川(安藤)広重の東海道五十三次「由井」にも描かれており、昔は東海道の難所でした。現在は東海道本線、国道1号、東名高速道路が峠の麓で重なり、富士山を背景にした写真撮影の名所として知られています。
Hellow NAVI しずおか より 

▲曇天のため見晴らしは悪い

薩埵峠周辺絵図 行程が分かりやすかった。

 この場所はかつて山之神が祀られていた場所だったこともあり、「山之神遺跡」と呼ばれているとのこと。

 

▲興津駅まで1時間

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倉沢の一里塚跡(40里)(静岡県静岡市)~旧東海道を歩く(6回目)

2011-06-03 11:34:38 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<蒲原宿(駅)~府中宿(静岡駅)
2011年6月1日

倉沢の一里塚跡(40里)

静岡県静岡市清水区由比西倉澤

 江戸から数えて四〇番目の一里塚である。だから江戸から凡そ一六〇キロの距離になる。
ちなみに由比駅~東京駅間は一五八・四キロである。この一里塚は薩埵峠東登り口に位置し、塚には榎が植えられていた。

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