岩槻だいすき!

生まれ育った岩槻に恩返し。
年中まちを飛び歩いているお元気主婦の活動日記
岩槻大好きな人この指とまれ~

福島は時が止まっていた・・・

2017-12-21 14:10:21 | 復興支援を考える
2017年12月2日の福島県双葉郡の写真。

あの日のまま、時が止まっているのを目の当たりにした。

東日本大震災の2011.3.11からもう6年以上が経つのに・・・

住み慣れた家をこんな状態のままにしておきたい人なんて いるはずがない。

自分の街に行きたいけれど、その地域に入れないもどかしさは、計り知れない。

胸がつぶれる思いで写真を撮らせてもらった。

首都圏では、福島・被災地に関する報道がめっきり減ってしまっているから

     
   
     ガソリンスタンドだったのだろう・・・

     
      

     コンビニだったのだろう。見覚えのあるコンビニの看板の形だ。

電気を使い、便利で文化的な生活を今もしている自分を振り返ってみたい。




福島・浜通りに行ってみた。

2017-12-07 11:37:06 | 復興支援を考える
東日本大震災からもうすぐ7年が経とうとしている。

3月11日近くにでもならないと、首都圏では報道されることも少なくなっていて

自然と記憶が薄れてしまっていた自身に愕然としながらも、多くを自分の目で見てきた(2017・12・2)

除染された土があちらこちらに山積みにされている。

          

          復興のための盛土かと思ったのは大間違い・・・黒い袋に除染土が詰められ並べてシートがかぶされていた。
          
             
             
          そこここに除染した土が(福島県相馬郡)



           
          帰還困難区域への侵入を禁止するゲート(福島県双葉郡)

          
          ゲートのすぐ向こうに住宅が見える。


          
          ガードレールの左側は海 津波の爪痕だろうか?何もない。真っ平に荒地が広がっている。(福島県南相馬市)

          取り残されている そう感じた 福島 だった。


 

          



3.11原発事故★ドキュメンタリー映画

2017-04-12 11:00:52 | 復興支援を考える
2011年3月11日の東日本大震災から6年が経った。

福島第一原発の事故の為、故郷に帰りたいけど帰れない人=77283人(平成29年3月現在)がいる。

【参考サイト:福島復興ステーション

にもかかわらず、日々の自分の暮らしに精一杯だと3・11の記憶もいつしか薄れ

他人事になりつつある自分に気付きハッとする


           

           福島避難者への 震災いじめ も多発している。



                
           東日本大震災~福島原発事故が起きた3月11日からの5日間。原発事故に迫る新聞記者をキーパーソンに、
           当時の菅直人政権化の官邸内、更に東京や福島で暮らす市井の人の姿を対比させて描かれている。



               
           当時の閣僚たちが実名で登場する究極のジャーナリスティック・エンターテインメント映画 太陽の蓋(ふた)

被害の実態と被災者の想いをきちんと知ることができる機会となりそうだ


  太陽の蓋 自主上映会   (上映時間:2時間10分)
     
   日  時  : 2017年 月 15(土) 13:00 開場 13:30開演

   会  場  :  岩槻駅東口コミュニティセンター5階ミニホール(さいたま市岩槻区本町3-1-1)
           東武アーバンパークライン岩槻駅東口徒歩1分

   参 加 費 : 600円       映画終了後に参加費無料の楽しい交流会あり

   主  催  : 岩槻ドキュメンタリー映画上映実行委員会 (問い合わせ:090-1254-2718 新井)









つなみのひ★「小さな親切運動」紙芝居

2016-02-23 11:39:10 | 復興支援を考える
東日本大震災からまもなく5年を迎えます。

子ども達に何かしら伝えていくのが、大人の役目と思っていましたが。

想像を絶する被害を出した津波や、未だ復興段階にある被災地の現状をよく理解できないまま

子ども達にメッセジーを発する事をためらっていました。

そんな時、公益社団法人「小さな親切運動本部」さんが作成している紙芝居があること知り早速連絡。

無償で紙芝居つなみを送って頂きました。


          

   つなみのひ ■脚本:にいの ゆうひこ ■絵:しもかわら ゆみ ■製作;公益社団法人「小さな親切」運動本部


小学生の発達段階にあわせて、低学年・中学年・高学年向けの指導内容書もアップされていて本当に助かります。

辛く悲しい現実から目を背けることなく頑張っている人たちの事を忘れないこと。、

不幸な災害からも何かを学び取り、今後の教訓とするよう努力すること。

それがせめてもの鎮魂につながるのではないかと思います。








ふなっしー★グッズ製作で復興支援

2014-11-01 18:40:46 | 復興支援を考える
宮城県南三陸町にある平成の森スポーツセンターの目立つところにふなっしー が

仮設住宅に住んでいる漁師さんが、ブイ(海に浮かべてあるデッカい目印の浮き)にペイントしてふなっしーのオブジェを作ったそうです。

津波で陸に打ち上げられ、高台の木に引っかかっていたブイを使用しているとか。


最近爆発的にふなっしーグッズが増えていますね。

ふなっしーグッズ製作(数に制限はあるそうですが)は、この仮設住宅に住む人々の貴重な仕事となっているそうです。


南三陸町では、働きたくても津波の為に働く場が極端に少なくなってしまっています。

  水産加工場で働いていた人 → 工場が流されてしまった。工場が再建されない。雇用先がない。

   農業従事者 → 畑や田んぼに塩水が入ってしまった → 売れる作物ができる保証がないので恐くて作付けできない。
       
        農業用の機械も流されてしまいどうにも出来ない。

   漁業従事者 → 船が流されてしまったので漁に出れない → 養殖用の棚や様々な道具が流されてしまい再開できない。

  酪農業者  → 牛も牛舎も全て流された → 農場に塩水が入ってしまい牧草が生えない。等、

お金を稼ぐことができない、本当に深刻な状況です。


でも、そんな状況下でも少しづつ前を向きはじめている南三陸のみなさん。

仮設住宅の住民同士が集まり、ふなっしーグッズの製造をすることで多少の収入もあり何より働くことができて元気が出てくると

ふなっしーへの好感度が一気に上がりますね。

ふなっしーの東北支援活動については ふなっしー劇場 をクリックしてみてください。

千葉県船橋市の非公認キャラクターで、自前で活動している ふなっしー
ふなっしーが地域貢献、復興支援に一役買っていることを知って、嬉しくなりました。

    ふなっしー 結構いいやつじゃん

ふなっしーグッズを買うことで、間接的ですが復興支援にもちょっとだけ関われそうです








オリンピックは自分の家で★被災地ツアー報告②

2014-10-31 15:36:09 | 復興支援を考える
南三陸町立戸倉中学校は、2014年3月31日に廃校になったそうです。

地元の語り部の方の言葉に促され、自分の足元から目線を移してみると・・・

   


中学校の校庭だったことが分かるトラックのコーナーライン。

今はきちんと舗装されて駐車場になっている。

びっくりするほどたくさんの車が停められている。

その奥にはズラッと仮設住宅が建っているようだ。(何故か直視出来なかった)

人々の暮らしの息遣いが伝わってくる。


東日本大震災から3年半も経っているのだから、もう仮説住宅に住んでいる方なんてほとんどいないんじゃないかなぁ~

勝手にそう思っていた。

何の根拠もなく、現実を正しく把握する努力もせず

復興の機運だけを感じて、楽観的に思い込んでいた自分に愕然とした。


震災以降、仮設住宅での生活を続けている人のストレスは、どれほどのものなんだろう。

(仮)ではない生活をみんな望んでいるはずだ。

    「オリンピックは、自分の家で見たいな」

仮設住宅に住んでいる方がみな口々によく言う言葉だそうだ。








3年半経ったけれど・・・被災地ツアー報告①

2014-10-27 10:03:52 | 復興支援を考える
2014年絵10月17日の宮城県南三陸町の防災庁舎。

3年半経過した今も、津波の猛威をマザマザと見せつけていた。


今まで多くの報道番組が東日本大震災の被害を伝えている。

けれども、やはり自分の目で見て感じたくて被災地の視察ツアーに参加した。

震災が起こった2011年は、関東圏でも計画停電などの直接的な影響があり、

誰もが東北の復興を強く願い、復興支援の気持ちをアツく持っていたような気がする。

でも、いつしか被災地も復興支援もどこか他人事(ひとごと)になっている自分を自戒したい。


南三陸町の復興がこんなにも進んでいないとは・・・愕然とする光景が広がる。

  

南三陸町立戸倉中学校(とぐらちゅう)の時計は、地震が起きたその時間のまま止まっていた。

東日本大震災の被害は広範囲に及んいるため、復興にバラつきがあるのは当然のことと思う。

しかしながら・・小さな町の復興は後回しにされている!

実際に被災地に行ってみて感じたことだ。