①尼崎市立小園小学校 若王寺3丁目
②明石市立江井島小学校 大久保町西島
③西宮市立香櫨園小学校 中浜町
④西宮市立夙川小学校 久出ケ谷町
⑤西宮市立用海小学校 用海町
⑥西宮市立生瀬小学校 生瀬町2丁目
⑦西宮市立神原小学校 神原
⑧洲本市立鮎原小学校 五色町鮎原
⑨洲本市立都志小学校 五色町都志万歳
⑩洲本市立安乎小学校 安乎町平安浦
読みなど
① おぞの 昭和43年開校。旧小字名か。
② えいがしま 明治25年,現校名に改称。旧小字名か。郵便局名は明石江井ヶ島郵便局。
③ こうろえん 大阪の商人・香野蔵治と櫨山(はぜやま)慶次郎の両氏が明治40年に2人の名前をとって造園した遊園地「香櫨園」に由来。
④ しゅくがわ 夙川は地名ではなく,市の西部を南流する河川名。宿川とも書き,この川原を宿河原といった。昔,風来僧が野宿して念仏を唱えたという(『河川辞典』)。夙は呉音読み。石刎(いしばね)町に北夙川小学校がある。
⑤ ようがい 昭和5年,現校名に改称。この地は,通称「ようがい」と呼ばれていたが,大正14年,「用海町」と命名された。海岸に近く,「護岸工事の難しい地」「用心」という意の用害が語源になったともいう(西宮市HP)
⑥ なまぜ 有馬温泉に向かう人が武庫川を渡る際に,川の中に滑らかな瀬が多かったために,「滑瀬(なめせ)」と呼んでいたのが転訛したという。また,川曲地の隠れた浅瀬や早瀬のある「ナバセ(隠瀬)」の転訛説もある。
⑦ かんばら 近くにある廣田神社と関係がある地名か。
⑧ あいはら 菅原道真が大宰府へ下向の途中,都志(とし)浦に着き都志川をさかのぼると,鮎がたくさんいたことに因むという。
⑨ つし 明治6年開校。藩政村。明治22年4月,津名郡都志村と万歳村が合併し都志万歳村成立(~大正13町制~昭和31)。村名は,出石の豆之(ずし)伝説や菅原道真の「都志」伝説に由来するといわれているが,「つし」は「土」「地」の転訛で,都志川の砂州から形成された平野であることも関係しているかもしれないという(『兵庫難読』)。
⑩ あいが 明治22年4月,津名郡平安・平安浦・豊秋の3村が合併し安乎村成立。村名は,「饗処(あえか)の意で,かつて朝廷に食料を献納していたことに因むという(『兵庫難読』)。
②明石市立江井島小学校 大久保町西島
③西宮市立香櫨園小学校 中浜町
④西宮市立夙川小学校 久出ケ谷町
⑤西宮市立用海小学校 用海町
⑥西宮市立生瀬小学校 生瀬町2丁目
⑦西宮市立神原小学校 神原
⑧洲本市立鮎原小学校 五色町鮎原
⑨洲本市立都志小学校 五色町都志万歳
⑩洲本市立安乎小学校 安乎町平安浦
読みなど
① おぞの 昭和43年開校。旧小字名か。
② えいがしま 明治25年,現校名に改称。旧小字名か。郵便局名は明石江井ヶ島郵便局。
③ こうろえん 大阪の商人・香野蔵治と櫨山(はぜやま)慶次郎の両氏が明治40年に2人の名前をとって造園した遊園地「香櫨園」に由来。
④ しゅくがわ 夙川は地名ではなく,市の西部を南流する河川名。宿川とも書き,この川原を宿河原といった。昔,風来僧が野宿して念仏を唱えたという(『河川辞典』)。夙は呉音読み。石刎(いしばね)町に北夙川小学校がある。
⑤ ようがい 昭和5年,現校名に改称。この地は,通称「ようがい」と呼ばれていたが,大正14年,「用海町」と命名された。海岸に近く,「護岸工事の難しい地」「用心」という意の用害が語源になったともいう(西宮市HP)
⑥ なまぜ 有馬温泉に向かう人が武庫川を渡る際に,川の中に滑らかな瀬が多かったために,「滑瀬(なめせ)」と呼んでいたのが転訛したという。また,川曲地の隠れた浅瀬や早瀬のある「ナバセ(隠瀬)」の転訛説もある。
⑦ かんばら 近くにある廣田神社と関係がある地名か。
⑧ あいはら 菅原道真が大宰府へ下向の途中,都志(とし)浦に着き都志川をさかのぼると,鮎がたくさんいたことに因むという。
⑨ つし 明治6年開校。藩政村。明治22年4月,津名郡都志村と万歳村が合併し都志万歳村成立(~大正13町制~昭和31)。村名は,出石の豆之(ずし)伝説や菅原道真の「都志」伝説に由来するといわれているが,「つし」は「土」「地」の転訛で,都志川の砂州から形成された平野であることも関係しているかもしれないという(『兵庫難読』)。
⑩ あいが 明治22年4月,津名郡平安・平安浦・豊秋の3村が合併し安乎村成立。村名は,「饗処(あえか)の意で,かつて朝廷に食料を献納していたことに因むという(『兵庫難読』)。
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